石川県内の暮らしのいま 能登半島地震3か月

能登半島地震の発生から4月1日で3か月となりました。
今も水道が使えない状況のなか、新年度を迎え、石川県珠洲市の保育園では新しく通い始めた子どもたちの姿も見られました。
金沢市ではサクラの開花も発表。気象台の担当者は「地震で大変な状況の方もたくさんいると思いますが、サクラを見て、春の訪れを感じていただきたいです」と話していました。

4月1日の石川県内の暮らしの動きをお伝えしています。

輪島市 朝市通りの焼け跡で祈り

大規模な火災が発生した石川県輪島市の朝市通りでは、焼け跡で祈りをささげる人たちの姿が見られました。

市内に住む70代の女性は、かつて訪問ヘルパーの仕事をしていた際に利用者だった知人の自宅があった場所を訪れました。知人の安否はいまも分かっていないということで、手を合わせて祈りをささげていました。

女性は「自分も自宅が被害を受け、なかなか来ることができませんでしたが、ようやく訪ねられました。朝市も地震の前にはよく利用していましたが、以前の風景が思い出せないほどの焼け方で、とてもさみしいです」と話していました。

また、朝市通りの別の場所では、小松市にある寺の副住職などが焼け跡でお経をあげたあと、花を手向けていました。

珠洲市 今も水道が使えない保育園で新年度始まる

石川県珠洲市の中心部にある保育園では、地震の影響で今も水道が使えない状況のなか、新年度を迎え、新しく通い始めた子どもたちの姿も見られました。

珠洲市では、市内に3つある保育園のうち、市の中心部にある「つばき保育園」だけが、時間帯などを限定した「一時預かり」という形で子どもの受け入れを続けています。

もともとほかの2つの園に通っていた園児たちを含む100人以上が日中を過ごしていて、午前8時前から、保護者に連れられて子どもたちが次々とやってきました。

新年度を迎え、1日から新たに0歳と1歳の5人が園に通い始めたということです。進級した子どもたちもクラスに分かれて自己紹介をしたり、一緒に遊んだりしていました。

珠洲市では、市内ほとんどの地域で続く断水が少しずつ解消に向かっていますが、この園では、下水道管の漏水などのため、水道が使えない状態が続いています。

子どもごとに年間の保育計画などを立てる通常どおりの受け入れはまだできず、給食は支援物資のレトルト食品や、保護者に持参してもらうお弁当で代用しています。また、トイレは便器に袋やおむつを敷いて対応しているということです。

5歳の娘を預けに来た40代の母親は「園が受け入れを続けてくれてすごく助かっています。給食も再開してくれれば、もっとうれしいです」と話していました。

つばき保育園の加護清美園長は「笑顔いっぱいで登園してくれてうれしいです。保護者の方が、安心して預けられるよう、仕事を進めていきたい」と話していました。

“大変な状況だが春の訪れを感じて” 金沢市でサクラ開花発表

金沢地方気象台は、1日午前、金沢市西念の金沢駅西合同庁舎にあるソメイヨシノの標本木に6輪の花が咲いているのを確認し、基準となる5輪以上の花が咲いたとしてサクラの開花を発表しました。

▽統計開始以降最も早かった去年と比べると9日遅く
▽平年より2日早い開花です。

金沢地方気象台は「気温が例年どおりに推移したため、平年並みの開花になった」としています。サクラはこの先、5日ほどで満開を迎え、今月15日前後までが見ごろで、今週は晴れ間が出る土曜日がお花見日和ではないかということです。

1歳と2歳の子どもと通りかかった37歳の女性は「保育園の入園式の日に開花したので、記念になりました。ことしもぜひお花見をしたいです」と話していました。

金沢地方気象台の久木原萌技官は「地震で大変な状況の方もたくさんいると思いますが、サクラを見て、春の訪れを感じていただきたいです」と話していました。

奥能登地域から離れる人が増加 2月は前年同月比2.8倍に

石川県の輪島市や珠洲市などの奥能登地域では、能登半島地震のあと、ふるさとを離れる人が増加していて、ことし2月に転出した人は480人余りと去年の同じ月の2.8倍となりました。

石川県によりますと、能登半島地震で大きな被害を受けた▽輪島市▽珠洲市▽穴水町▽能登町の奥能登地域から、ことし2月に転出した人はあわせて488人でした。
174人だった去年の同じ月の2.8倍となっています。

自治体別では
▽輪島市が1.8倍の239人
▽珠洲市が10.5倍の115人
▽穴水町が3.4倍の55人
▽能登町が5.3倍の79人でした。

奥能登地域では能登半島地震のあと、ふるさとを離れる人が増加していて、ことし1月に転出した人は397人と、去年の同じ月の4.3倍でした。

また転出したケース以外でも、住民票を残したまま、別の地域にあるみなし仮設住宅などで生活している人もいます。

奥能登地域の人口はこの10年で2割以上減っていて、地震をきっかけに減少に拍車がかかることが懸念されています。

こうした状況について、馳知事は1日の記者会見で「大変深刻に考えている。先行きが見通せないと判断し、出たくなくても出ざるを得なかったのではないか。戻れない理由は、家族の問題や仕事の問題、断水の問題、タイミングなど複雑だ」と指摘しました。

そのうえで「戻ることのできるきっかけは1に仮設住宅、2にインフラ、3になりわい、4にコミュニティーの絆だと思う。住民が戻りたいときに戻ることのできる環境づくりに全力をあげる」と述べました。

七尾市 経産省が二重ローン問題の相談センター開設

能登半島地震で被災した事業者の間では、すでに多額のローンを抱えているため、事業の再建に向けた新たな借り入れが難しくなるいわゆる「二重ローン」の問題が指摘されています。

こうした中で、経済産業省は、独立行政法人の「中小企業基盤整備機構」や、石川県、それに北國銀行や北陸銀行などとも連携し、二重ローン問題に対応するための総額100億円に上る官民ファンドを新たに立ち上げました。

このファンドは、各金融機関から被災した事業者の債権を買い取るなどの支援を行う予定で、被災事業者にとっては、既存のローンの返済先が変わることで、金融機関から新規の借り入れがしやすくなるメリットがあるということです。

また、ファンドの設立にあわせて1日、石川県七尾市の商工会議所に二重ローン問題などの相談に応じるセンターが新たに開設されました。

経済産業省は、同じような相談センターをほかにも設置する予定で、被災事業者の支援を強化する方針です。

石川県 復旧・復興に向け国などと調整行う専門部署を発足

石川県は、1日、地震からの復旧・復興に向けて国などと調整を行う専門の部署「能登半島地震復旧・復興推進部」を発足させました。

石川県が新たに発足させた「能登半島地震復旧・復興推進部」には、51人の職員が在籍し、「創造的復興推進課」と「生活再建支援課」の2つの課があるほか、輪島市に「現地対策室」を置いています。

県の各部署と連携して全体の状況を把握するとともに、国と被災した自治体との間に入り、復旧・復興に向けた作業がスムーズに進むよう調整役を担うとしています。

能登半島地震復旧・復興推進部の土岐祥蔵部長は「まだインフラが復旧していない地域もあれば、仮設住宅に入れていない人もいる。避難を余儀なくされている人が多い中、被災地や被災者の意向を聞き、それをどう実現させるかを一緒に考えていきたい」と話していました。

七尾市 100人余りのボランティアが災害廃棄物を撤去

七尾市では当初、災害ボランティアの受け入れが限られていましたが、3月にボランティアの宿泊拠点が完成し、現在は1日に最大140人が活動できるようになっています。

能登半島地震の発生から3か月となった1日は全国各地から集まった100人余りがグループに分かれ、地元の人からの依頼をもとに災害廃棄物の撤去などにあたりました。

ブロック塀が倒れた現場では、20人ほどが割れたブロックをリレーで受け渡しながらトラックに積み込み、細かい破片はほうきで集めて袋に詰めていきました。

七尾市災害ボランティアセンターによりますと、これまでに寄せられたボランティア派遣の依頼はのべ2000件を超え、最近も毎日問い合わせがあるということです。

滋賀県から初めて参加したという女性は「何かできることはないかと思って参加しました。私たちの活動で、被災した人たちが少しでも元気になってほしいです」と話していました。

七尾市災害ボランティアセンターの高木伸安さんは「依頼にできるだけ早く対応し、被災者の日常生活が早く取り戻せるよう頑張りたい」と話していました。

珠洲市 地元写真館の男性 早咲きの桜を撮影「希望届けたい」

坂健生さん(66)は珠洲市で大正時代から続く写真館の3代目で、発生直後から今回の地震を写真で記録し、被災地に広く関心を持ってもらおうとSNSで発信を続けてきました。

地震の発生から3か月となる1日は、珠洲市上戸町の海沿いにある「谷崎の桜」と呼ばれる桜の名所を訪れました。

坂さんは、青空のもと淡いピンク色に染まった早咲きの桜と、地震によって崩れた観光名所の「見附島」を写真に収めました。

坂さんは「能登地方ではこの時期に青空が出ることは少ないので、きょうに合わせて我々を元気づけるために咲いてくれたのではないでしょうか。被災した人もこの桜を見ると少しは心が安らぐのではないかと思います。被災地にも本当の春と復興の春が訪れることを願っています」と話していました。

輪島市から転居した家族 「いつか戻りたい」

山下政昭さん(65)と妻の仁美さん(50)夫婦は、石川県の輪島市門前町にある古い木造の一軒家で、この春、小学5年生になった娘の安柚子さんと、高齢の母親のあわせて4人で暮らしていました。

能登半島地震で自宅が被災したため、しばらくは近くの中学校の避難所に身を寄せましたが、安柚子さんの学習環境も考え、今は1月末に転居した小松市内の住宅で生活を送っています。

移り住んで2か月がたち、安柚子さんにも転校先の学校で友だちができるなど新しい生活に少しずつ慣れてきました。

もといた場所への捨てきれない思いはありますが、山下さん夫婦は小松での生活がまだしばらく続くことを覚悟しています。

妻の仁美さん(50)は「保育園のころからの友だちと離れることを娘は寂しがっていましたが、“友だちができた”と言って学校から帰ってきた時には安心しました。ここに避難している1年か2年の間に今後の生活のめどを立てていきたい」と話していました。

夫の政昭さん(65)は「未練があるし迷いもありますが、輪島の家は被災してボロボロの状態です。すでに社会人になっている上の子どもたちが帰ってこられる場所を残すという意味でも、いつかは戻りたいと考えています」と話していました。

内灘町 いまだトイレが使えない家も 液状化の影響で

内灘町によりますと、1日の時点で町で断水しているのはおよそ70戸ですが、液状化の被害が特に深刻だった宮坂地区や西荒屋地区などでは、地盤沈下などの影響で住宅の敷地内の下水道が壊れ、いまもトイレが使えない家が少なくないということです。

このため町では町内に100余りの仮設トイレを設置していますが、住民は今も仮設トイレや簡易トイレを使う生活を余儀なくされ、負担が大きいということです。

転居を決めたという内灘町の80代の男性は「地盤自体を直さないと自宅のトイレの復旧は難しいということで、ここに住み続けるのは厳しいです。もう誰も地区に戻って来ることが出来ないのではないかと感じています」と話していました。

珠洲市 地震発生時間に避難所で黙とう

珠洲市三崎町は地震や津波による大きな被害を受けた地域で、避難所となっている三崎中学校では地震発生から3か月がたったいまも11人が避難生活を続けています。

1日は、避難している人たちなどが地震が発生した午後4時10分に合わせて亡くなった人たちに黙とうをささげました。

自宅が半壊し、避難生活を送っている中西美幸さん(85)は三崎町の仮設住宅への入居を希望していましたが抽せんに外れ現在、市内の別の地域の仮設住宅に申し込んでいるということです。

中西さんは「地震で怖い思いをしましたが、避難所生活では周りの人たちが親切で感謝しています。仮設住宅に入居できるかが一番心配ですが、結果を待とうと思います」と話していました。

また、避難所でまとめ役を務める米田初男さん(74)は「3か月間はみんな一緒に家族のように過ごしていました。仮設住宅に入居する人も出てきていますが、まだ復興は遠いと感じます」と話していました。

珠洲市 新たに「復旧・復興本部」を立ち上げ

珠洲市では、地震発生から3か月がたっても市内の広い範囲で断水が続いていて、先3月29日時点で全体の8割を超える4000戸余りに上っています。

また、仮設住宅はいまのところ1200戸ほどを建設する予定で、すでに完成しているのは450戸余りとなっています。

こうした状況について珠洲市の泉谷満寿裕市長は1日の記者会見で、「断水の解消と仮設住宅の建設、全半壊の建物の解体など、市民が待ち望んでいる生活の再建と復旧に向けて、全力で取り組んでいく」と述べました。

そのうえで、1日付けで新たに「復旧・復興本部」を立ち上げ、ことし中に市の復興計画の策定を目指す方針を明らかにしました。

計画の策定にあたっては、災害に強い地域づくり、なりわいや暮らしの再建などを基本方針にするということで、市民や専門家などから意見を聴く機会も設けるとしています。

泉谷市長は「これから先の復旧・復興の道のりでは、1日からの令和6年度が非常に重要になる。市民とともに考え、議論し、誰一人取り残すことのない持続可能な復興に向けて計画策定を進めていく」と述べました。