【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(4月1日の動き)

ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻が続いています。

ウクライナの各地でロシア軍とウクライナ軍が戦闘を続けていて、大勢の市民が国外へ避難しています。戦闘の状況や関係各国の外交など、ウクライナ情勢をめぐる4月1日(日本時間)の動きを随時更新でお伝えします。

(日本とウクライナ、およびロシアのモスクワとは6時間の時差があります)

“戦争犯罪に関与 ロシア軍兵士を特定” ウクライナの警察

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻で多くの市民が犠牲になった首都キーウ近郊のブチャが解放されてから2年となったのにあわせて、ウクライナの警察は、戦争犯罪に関与したとする100人以上のロシア軍兵士を特定したと発表しました。

ウクライナの首都キーウ近郊のブチャは、おととし軍事侵攻が始まった当初、ロシア軍に一時占拠され、地元の当局は509人が殺害されたとしています。

ウクライナの国家警察は、解放から2年にあわせて先月31日「この町は28日間占領され、ロシア軍は誘拐、拷問、性的暴行、子どもを含む市民の殺害などを行った」とSNSに投稿し、数百人の目撃者への聞き取りなど現場での捜査を続けるとともに、防犯カメラの映像分析などを行ったと発表しました。

そのうえで、戦争犯罪に関与したとする100人以上のロシア軍兵士を特定したとしています。

この日行われた追悼式典で、ゼレンスキー大統領は「ブチャで見つかった遺体は、世界中の誰もがこの戦争から目を背けることはできないという証しだ」と述べ、国際社会が結束してロシアに対じし続ける必要があると強調しました。

米シンクタンク「戦争研究所」がロシア軍の今後の動きを分析

攻勢を強めるロシア軍の今後の動きについて、アメリカのシンクタンク「戦争研究所」は3月31日、「ロシア軍の司令部はウクライナ東部ドネツク州のアウディーイウカのあたりを優先しているようだ」としたうえで「ことしの春から夏にかけてドネツク州西部で攻撃を集中させる可能性がある」と分析しています。

ただ「ロシア軍の人員が限られていることなどから大規模な攻撃作戦は1度に1つの方面でしか行えない可能性が高い」として、複数の方面で実施することは難しいという見方を示しています。

一方、ウクライナのゼレンスキー大統領は3月下旬に放送されたアメリカのCBSテレビのインタビューで「ロシアは反撃の準備をしていて、5月末か6月はじめになる可能性がある。私たちは準備をするだけでなく、状況を安定させなければならない。旅団を準備するためにもいま助けが必要だ」として改めて支援の必要性を訴えました。

ロシア大統領府 “プーチン大統領が15万人徴兵の大統領令”

ロシア大統領府は31日、プーチン大統領が15万人の徴兵を行う大統領令に署名したと発表しました。

これは毎年春と秋に行われている徴兵で、徴兵された兵士らはロシア国外には派遣されないことになっています。

ただ、ウクライナには派遣できるよう、新たに契約を結ばせる可能性があるとの指摘も出ています。

ゼレンスキー大統領 国際社会に結束を改めて訴え

ウクライナの首都キーウ近郊のブチャが解放されてから2年となったのに合わせて、3月31日、市内各地では犠牲者を追悼する式典などが開かれました。

このうち、市内にある記念碑の前で行われた式典では、ゼレンスキー大統領をはじめイエルマク大統領府長官などの政府高官や地元の人たちも出席し、犠牲者に1分間の黙とうがささげられました。

ゼレンスキー大統領は演説で、ロシアによる侵攻について「われわれの国家の存続とすべての人の生きる権利をかけた戦争だ」と強調し、「全世界がこの戦いの代償と、われわれがこの国で食い止めようとしている悪を忘れないでほしい」と述べました。

そして「占領軍に殺され、ブチャの通りに横たわったウクライナの人々の遺体は、世界中の誰もがこの戦争から目を背けることはできないという証しだ。ウクライナの人々の命や国家を守ることこそが人類の勝利を意味する」と述べ、国際社会に対し結束を改めて訴えました。

ブチャ解放2年で犠牲者を追悼 ロシア軍事侵攻で市民が多数犠牲

ロシア軍による軍事侵攻で多くの市民が犠牲になった、ウクライナの首都キーウ近郊のブチャが解放されてから2年となったのに合わせて、市内では3月31日、新たに整備された公園で犠牲者を追悼するための植樹などが行われました。

ブチャは侵攻当初にロシア軍に一時占拠され、地元の当局は、12人の子どもを含む509人の市民の命が奪われたとしています。

ブチャが解放されてから2年にあたる3月31日、現地ではさまざまな追悼の行事が開かれ、このうち多くの遺体が見つかった聖アンドリー教会では、犠牲になった人々をしのぶコンサートが開かれました。

教会の敷地には犠牲者1人1人の名前を記したモニュメントが設置されていて、訪れた人たちが花をたむけていました。

34歳だった兄を亡くした女性は「兄はその日水を買いに行き、そのまま39日間、行方不明になりました。幼い子ども2人を残して亡くなったんです。まだ兄の死を乗り越えることができていません」と話していました。

また、78人の遺体が見つかり「死の通り」とも呼ばれたヤブロンスカ通りには、新たに公園が整備され、ブチャの復旧に協力してきた日本のJICA=国際協力機構など各国や支援機関の代表らも招かれ、犠牲者を追悼するための植樹が行われました。