太平洋戦争末期の沖縄戦 米軍上陸から79年 遺族など平和へ祈り

太平洋戦争末期の沖縄戦で、地上戦が始まってから26日で79年です。最初にアメリカ軍が上陸し、多くの住民が命を落とした慶良間諸島の座間味村では遺族などが平和への祈りをささげました。

太平洋戦争末期の沖縄戦では、激しい地上戦の末、沖縄県民の4人に1人が命を落とし、20万人を超える人が亡くなりました。

79年前の1945年3月26日、アメリカ軍は沖縄本島の西およそ40キロにある慶良間諸島の座間味村に上陸を開始し、日米間の戦闘や、住民たちによる、いわゆる「集団自決」などで、およそ1200人が亡くなりました。

戦没者の名前が刻まれた村内にある「平和之塔」には26日、花が手向けられ、遺族などが平和への祈りをささげました。

祖母などが「集団自決」で亡くなったという50代の男性は「戦争は愚かで誰も幸せにしない。この島で起きたことは絶対に忘れてはならず、継承していきたい」と話していました。

男性の14歳の長男は「学校でいじめがあったら話し合って解決するように、戦争も話し合いを進めて無くなればいいと思う」と話していました。

座間味村によりますと、戦争体験者の高齢化が進み、当時を知る人は村内にほとんどいないということで、次の世代に戦争の記憶や教訓をどう継承していくか課題になっています。

座間味「平和之塔」訪れた人は

祖母の弟が「集団自決」で亡くなり、座間味村で教員をしている39歳の男性は「自分と沖縄戦とのつながりを意識して、子どもたちに戦争について教えています。平和は私たちが築いていくものなので守っていきたい」と話していました。

祖父母が「集団自決」で亡くなったという60代の男性は「観光で、とてもにぎわっていますが、この島には戦争の一面があることを知ってほしい。『集団自決』は、なぜ起きたのか、そこまでの絶望感とはどういったものなのか、これからも考えていきたい」と話していました。

横浜市から移住した34歳の女性は「ウクライナなどで戦争が起きていて、早くおさまることを祈ることしかできませんが、まずは、自分が平和に暮らしていくことが大事だと思います」と話していました。