【全文掲載】「記憶に残りたいんだろう」尊富士に照ノ富士は…

大相撲春場所で、新入幕として110年ぶりの優勝を果たした24歳の尊富士が一夜明けて大阪市内で記者会見し「夢のまた夢だったのでまさかここまでできるとは思わなかった」と心境を話しました。

背中を押した横綱・照ノ富士からの言葉とは。
津軽弁で語る今の気持ちは。
会見で明かされたやり取りも、詳しくお伝えします。

尊富士はこの春場所、スピードあふれる一気の攻めを生かした相撲で13勝2敗の成績を収め、新入幕としては大正3年の元関脇・両國以来、110年ぶりの優勝を果たしました。

一夜明けた25日、尊富士は大阪市内で記者会見し「夢のまた夢だったので、まさかここまでできるとは思っていなかった。15日間やってよかった」と心境を話しました。

14日目の取組で右の足首を痛めた尊富士は、千秋楽の休場を考えたということですが、兄弟子の横綱・照ノ富士から「お前ならやれる。記録ではなくて記憶に残りたいんだろう。このチャンスはもう戻ってこない」と言われて出場することを決めたということです。

尊富士は「スイッチが入って第二の自分がいるみたいに急に歩けるようになった。自分で自分が怖かった」と笑顔を見せました。

そして、初優勝を決めた千秋楽の一番については「気持ちで負けたくなかった。自分の手で優勝をつかみたかったので自分から動こうと思っていた」と振り返りました。

今後に向けては「優勝の景色は何回見てもいい。チャンスを逃さないように必死にやっていきたい。とにかく自分を信じてやるしかない」と意気込みを話しました。

【会見全文】

一夜明けて

Q.ゆうべは何時に寝た?
A.5時ぐらい。

Q.数時間しか寝れなかった?体が痛い?
A.いろんな人から連絡が来るたびに優勝したんだなと、実感はない。逆に。

Q.どんな15日間だった?
A.毎日、自分自身の体にアクシデントがあり、その中でどうやって自分が相撲取ろうかなと思ったときに、その時から気持ちで負けないっていう不安。必ず勝ち越してふた桁いきたかったっていう気持ちだったのでとりあえずやってみようってことで、だんだん体が慣れてくるたびに逆にいい流れに持ってきたんじゃないかと。

Q.脇腹はずっと痛かった?
A.ちょっと痛かった。最後まで。肉離れです。

Q.優勝を意識したのはどのくらいから?
A.14日目から。

Q.足はどういう状況で痛めた?
A.相撲をとっている最中。じん帯損傷です。骨は大丈夫。

横綱 照ノ富士のことば

Q.けがから優勝を決めるまで心の動きは?
A.最初、人の肩を使わないと歩けなくて、相撲どころじゃないというか、今後自分の相撲の人生に影響してくると思って。これで土俵に立ったらファンの皆さんや多くの人は絶対勝てないだろうと思って、その中で自分は最初は無理だったと思ったが親方に話したときにはしょうがないなって。

その時は僕も諦めていたが、横綱が自分のところに来て「どうだ」って言って。「ちょっとこの状況じゃキツいです。ちょっと歩けないですし」って言ったら。横綱自身のお話を聞いて「お前ならやれるって、お前記録はいいから記憶に残せって、勝ち負けじゃない、最後まで出ることがいいんだよって、負けてもいいからしょうがない。でもこのチャンスは戻って来ないよ。俺もそういう経験があるし」と横綱自身の経験を言われて。

横綱に言われた瞬間に少し自分で歩けるようになった。怖いぐらいに。さっきまで歩けなかったが急に何か汗をかいちゃって。立てって言われて立ったときに無理やり歩いて。そこで僕自身が「明日がんばります」って言って親方のところに自分の足で「出させてください」と伝えた。

不思議と自分が怖かった。

そして、当日

Q.当日は痛み止めなど?
A.当日も本当に正直歩けないじゃないですか。実質痛いには変わらないので。でも自分で言った以上、土俵に恥ずかしい姿をあまり見せるもんじゃないですけど見せてもおかしくない状況の中で、でも俺は気持ちで絶対に負けたくなかったですし、ここまでやってきたことが意味がなくなる。逆に自分の中では出た方が今後の相撲人生に大きく変わってくると思ったので、もう気合いでやりました。

Q.その痛みの中でよくあんな相撲がとれた。
A.自分でも怖いぐらい、いや本当にいろんなパターンとか、けがしてるので相撲のとりくちを考えたが、やっぱり気持ちで負けたら見てる人にも残念だと思いますし、その中で解説が師匠だったので、変な相撲取ったら自分が師匠に言った「自分から出ます」というのが僕がうそついていると思ってしまうので、これは負けてもいいから記憶だけで、もう相撲はもう覚えてないですよね。

Q.今場所はじめての張り差し。それもいろんなパターンを考えた1つ?
A.本当に自分でもよく分からないぐらい体が無意識だった。

Q.安易に変化で勝とうかそういう思いも?
A.それもありました。ここまでけがをして実際に勝てばいいっていう気持ちも少しはあるわけじゃないですか。でも自分の手でどうしても優勝をつかみたかったですし、誰が勝って負けて優勝しようが自分の手で優勝をつかみたかったので自分から自分から動こうと思って。

心の強さ

Q.1か月前にここで会見をやったときに心技体の中で心が一番大切だと言ったが、心の強さはいつぐらいから自分の中に育まれてきたか?
A.僕も人間なので甘える部分もたくさんあるし正直、相撲は好きじゃないですし、でも応援してくれる人のために相撲をやって、だから本当にそれが僕の相撲にとっての幸せになりますし、その中で、それが一番心強く持って。でも、そんな自分でも限界がありますし、その中で伊勢ヶ濱部屋っていう部屋に入ってから常日頃から兄弟子たちがお前は伊勢ヶ濱部屋だろっていう暗示があるので根性だけで何とかって感じです。

Q.相撲が通用した要因は?
A.力や技術ではまったくかなわないが、気持ちだけは絶対に強く持たなければいけないなと思ったので、堂々と出来たのは部屋の稽古が自分の中ではいきてるっていう。

来場所、部屋の幕内力士が6人に戻りますし、部屋をいっそうみんなで切磋琢磨して、みんなで頑張ろうって、チームワークでやっているので伊勢ヶ濱部屋は。その中で来場所に向けてみんなで頑張るっていう思いです。

Q.三賞全部とりましたね。
A.そうっすね。まさかここまでできるっていうのは夢のまた夢ですし、何か本当に15日間やってよかったなってそれだけです。

親孝行と恩返し

Q.昨日はお母さんも会場でご覧になったが、お母さんにはどんな思いを?
A.正直、僕も来るってわかってなくて、本当にお母さんだけではなく誰が来るってわかってなくて、自分の中では全部自分に集中しながら、やるのは自分なんだと思って誰の助けもいらないと思ったので、その中で来てくださったときに、優勝してからも来てたのがわかんないぐらいに本当に必死で、いたときはやっぱり相撲と離れて安心感がありましたね。

Q.表彰式が終わってからお母さんに会った?
A.いろんな人から優勝したらどうする?万歳どうするって言われたが相撲に集中させてくださいって。それは今やることに対して、そんな未来なんてわかんないですし、今必死に自分がやれることだけをやろうと思って結果はあとだろうと思ってやってました。

Q.お母さんはどんなことばを?
A.本当によくやったって。いろんな思いが感じましたね。よくやったに対して。

Q.最高の親孝行?
A.どうなんでしょうね。相撲に対して一番の親孝行できたかなと思っています。

Q.長い相撲人生。このあとは力士としてどう生きていくか?
A.僕が優勝したのはやっぱり伊勢ヶ濱部屋みんなが勝ち取った優勝だと自分の中で思っていますし、何より僕が一番うれしかったのは横綱に言われたのが俺の9回よりお前の優勝の方がうれしかった。本当にうれしそうで。僕も横綱に恩返しできたなっていう初めて思いましたね。

津軽弁で「さっぱりしたじゃん」

Q.津軽弁で喜びのひと言を。
A.津軽弁で言うと「さっぱりしたじゃん」スッキリしたっていう意味です。青森県の市とかまったく知らなくて、いろんな人が応援してくれるのわかんなくて、前の日に出るか出ないかの状況の時に、応援してる映像を見たんですよ。みんな僕が負けたことに対して不安そうに、明日出てくれるかな、みたいな。

その時に不安なのは僕じゃないんだと、周りの人が不安ですし、何より周りが一番自分の状況を気になっていたので、自分ではまったく弱音とか吐きたくないんで大丈夫大丈夫と思って、休むことは僕の中では最終的には選択できなかったですね。

けがの状況

Q.けがの状況は?
A.けがは相撲やっている中でないことはないので、僕もまだまだ足りない部分しかないので、横綱から優勝したあとのアドバイス、何が足りない今後どうしろのアドバイス、いろんな話しを聞いて、「いつ言えるか分からないがお前土俵入り一緒に次できたら」って選ばれて、それは僕の幕内での夢であったし、僕が横綱の相撲を実際、幕内で見てみたいという、そういう思いでいっぱいです。

昭和のお相撲さんは、けがをしても出てたっていう力士もいましたし、じん帯切った人でも出ている人もいますし、土俵っていうのはスポーツではなく男の勝負なんで。けがをしようが何しようが土俵に上がったら何かが生まれるんじゃないかなと。最終的にはけがを忘れて土俵に上がってました。

Q.昨日の取り組みで足自体は悪化は?
A.これ以上悪化しないと思ってやっているので、痛みとかってわかっているので、これ以上ないなと思って自分ではやっていますし、特に相撲を見た感じだったら、あんまり右足使えてなかったなって思いますけど。

最小限のことを精一杯やりました。

Q.右足を使わなかったのは意図的?
A.意図的にはできない。体が反応しているんじゃないですか。

ライバルの存在

Q.ライバルが身近にいることで刺激は?
A.今場所に限っては大の里関が自分の中ですごい存在になってましたし、僕も負けられないという気持ちがあったので、はるかに上の存在だったが、ボコボコに負けてはいけないですし、僕の中で同級生である豊昇龍関が大関に上がって、僕の中で刺激でした。

大関と初めて同じ土俵に上がったのはうれしく思ってますし、熱海富士関にも昨日、悔しいって言われました。自分ができなかったことをくやしいって素直に。

部屋で切磋琢磨している一仲間として、僕も一緒に熱海富士関の背中を見て育ってきましたし、これからもっと相撲界を盛り上げようっていう中で、これからまた頑張れる要因に僕も全然、これからがやっぱり毎場所大事なので、チャンスはやっぱり相撲をやっていく中で何回もくるので、そのチャンスを逃さないように、これから頑張って必死にやっていきます。

師匠からのことば

Q.師匠からどんなことばを?
A.よく頑張ったなと。僕も頑張ってよかったなって。師匠に「お前が引っ張っていかなきゃ」と。出るって言った結果が良い結果になって、本当に師匠の顔に泥を塗らなくて良かったなと思っています。

師匠に止められました。無理だろうって。どうすんだそれって力入んないし。その時は最初、僕は諦めていました。それは僕自身も分かっていましたし、今後のことも考えて。

横綱が来たときに初めて、横綱から言われてスイッチが変わったので第2の自分がいるような。みんなも驚いてましたね。急に自分の足で歩き始めたんで。えっみたいな。大丈夫かお前って。

でも本当にたぶん病院の時から僕は松葉杖いらないですって、自分の足で歩きますって。自分が自分で怖くなったですね。最初は反対されたがお前がやりたいなら俺は反対しないって。そしたら頑張れよって。

そこで明日出れるっていう安心感に変わった。何より土俵に立つことがうれしかった。

入門当初から錦富士関の付き人をやらしていただいて、同じ青森県民として小さいころから知ってましたし、錦富士関と一緒に飲みたいと思って。

錦富士関も苦労している力士なんで、話しを聞いたらやっぱすげーなっていう全然自分なんかかなわないぐらいです。

すごいけがもして、その中でいつも弟のようにかわいがってもらってうれしかった。

今後の目標は

Q.今後の目標は?
A.幕内に上がってから、ことし中には三役上がりたいっていうつもりが大きいですし、その中で部屋の関取衆が誰が先に三役上がるっていう争いもしてるので、みんな悔しい思いがあるので、誰がいちばん最初に三役になるかっていう勝負も結構やっています。

Q.師匠が青森の人が横綱にならないと認められないと?
A.師匠は横綱なので横綱の言ったことは間違いないのでは。久しぶりに青森県にも優勝を報告できるのが本当に、何より県民が本当にうれしいと思っています。

目標というか、気合いでやっているので考えてもねらえるものではないですし、自分を信じてやるだけだなと。

Q.連続優勝も期待されるが?
A.僕がファンの皆さんに応えられるように精一杯、また僕も研究されると思うので、僕も逆に研究して、僕もまた強くなって土俵に上がります。

考えてもしかたがないので、あとは自分を信じてどれだけこれからやれるかっていう、そしたら自ずと皆さんの記憶にも残ってくれると思うので、そんなやる前から記録なんて分かんなかったですし、こういう記録があったのはみんなも忘れてたと思うが、その中で自分を信じてやれば記憶があとからついてくるんで、とにかく自分を信じてやることだけですね。