天皇皇后両陛下 輪島市と珠洲市を訪問 被災者をお見舞い

天皇皇后両陛下は、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の輪島市と珠洲市を訪れ、被災した人たちを見舞われました。

両陛下は、午前11時前に特別機で石川県の能登空港に到着し、午後、自衛隊のヘリコプターで輪島市の中心部に入られました。

両陛下が発生から間もない自然災害の被災地を訪問されたのは、天皇陛下の即位後2回目です。

住民らが沿道で歓迎

石川県輪島市では、住民などが沿道に立って天皇皇后両陛下が到着されるのを待ちました。午後1時半ごろにバスが通過すると、集まった人たちは手を大きく振って歓迎しました。

両陛下も窓を開けて笑顔で手を振られていました。

野球をしているという輪島市の12歳の女の子は「すごく元気づけられたし、みんなも笑顔になったのでよかったです。グラウンドの状態が悪いけど野球を続けたいと思います。これからも頑張ります」と話していました。

また、生後4か月の子どもを連れて訪れた輪島市の女性は「こんな機会はないのでよかったです。地元が少しずつ復興していってくれればいいと思います。元気をもらえてよかったです」と話していました。

輪島市では、災害関連死の疑いを含め102人が亡くなり、「朝市通り」で大規模な火災がありました。

倒壊したビルや家屋など地震の爪痕が残る市街地を車で通り、火災があった現場に到着した両陛下は、坂口茂市長から当時の状況について説明を受けたあと、焼け跡に向かって深く一礼されました。

両陛下からねぎらいのことばをかけられた輪島市消防団の副団長の山吹英雄さん(64)は、「朝市通り」で起きた大規模な火災で消火活動にあたりました。

山吹さんは「地震で道路が寸断されたり消火活動に使う水がなくて戸惑ったりしたことをご説明すると、『大変でしたね』というおことばをいただきました。市民もうれしく思っていますし、元気をいただいて復興につなげていけたらと思います」と話していました。

また、発災当初から被害状況の把握にあたり、安否不明者の捜索活動を指揮した輪島警察署の小坂裕署長(57)は、「『警察の活動としてどのようなことが大変でしたか』と質問され、元日で署員の数が限られる中で対応にあたったことをご説明しました。被災された住民の方々と同じようにねぎらいの言葉をいただき、大変感激しています」と話していました。

続いて両陛下は、100人余りが避難生活を送っている近くの公共施設を訪ねられました。

おふたりは、ひざをついて被災者と同じ目の高さになって「おけがとかは大丈夫ですか」とか、「お体をお大事にしてください」などとことばをかけられていました。

また、災害対応にあたった警察官と消防団員にもねぎらいのことばをかけられました。

自宅半壊の男性「たいへん心和む思い」

天皇皇后両陛下は、輪島市内の避難所を訪ね、30分あまりかけて被災者20人あまりと懇談されました。

このうち、自宅が中規模半壊し、80代の母親とこの避難所に身を寄せている新谷満さん(60)は、「両陛下から、『おけがはなかったですか』とか『自宅は大丈夫ですか』などと聞かれました。母と私は、地震後非常に不安な生活を送っていましたが、両陛下にお会いして優しい言葉をかけられて、たいへん心和む思いがします。勇気づけられました。2階のすべての方々にお声がけをされて、すごいなと思っています。優しい目元でお声がけされていたので、みんな心和んでいました」と話していました。

輪島市の男性「前を向いて頑張っていこうと」

石川県輪島市では、両陛下が避難所で被災した人たちを見舞ったあと、再び市の中心部を通られた際にも、沿道に多くの人たちが集まりました。

訪れた人たちは「ありがとうございます」などと言いながらバスに向かって手を振り、両陛下も窓を開けてにこやかに手を振られていました。

自宅で被災した輪島市の70代の男性は「両陛下が来られて励みになりました。家の片づけなどがありますが、なんとかやっていこうと思います」と話していました。

また、自宅が壊れて傾いているという輪島市の60代の男性は「被災地に来られて私たちの気持ちに寄り添っていただけて、本当にうれしく思います。1月1日からの3か月はあっという間でした。来ていただいたことを励みに、前を向いて頑張っていこうという気持ちになれました」と話していました。

輪島市長「復旧復興に向けて頑張っていく」

輪島市の「朝市通り」で火災や地震による被害の状況について説明した坂口茂市長は、「元日に起きた火災はなかなか鎮火せず、周辺で15人の方が亡くなったことを両陛下にお伝えすると、黙礼をされました。朝市のともし火を消さないために金沢市で『出張朝市』が始まることをご説明すると、皇后さまからは『1日も早く復興できれば良いですね』とおことばをいただきました。復旧復興に向けてさらに頑張っていくための良いきっかけになったと感じています」と話していました。

珠洲市でも被災者と懇談

両陛下は再びヘリコプターに乗って、午後4時すぎに、災害関連死の疑いを含め103人が亡くなり津波で広い範囲が浸水した珠洲市に入られました。

そして、80人あまりが避難生活を送っている近くの中学校を訪ね、被災者と懇談されました。

さらに両陛下は、地震と津波で被害を受けた飯田港に移動し、泉谷満寿裕市長から被災状況について説明を受けられました。

時折うなずきながら話を聞いていた両陛下は、被害が大きかった地区の方に向かって深く一礼されました。

両陛下が発生から間もない自然災害の被災地を訪れたのは天皇陛下の即位後2回目で、輪島市と珠洲市の避難所では、自治体や警察・消防の関係者など災害対応にあたった人たちにもねぎらいのことばをかけられました。

両陛下は、このあと石川県を発って、午後9時ごろ東京に戻られました。

道沿いから手を振って歓迎

石川県珠洲市でも、両陛下が通過された道沿いに多くの人が集まり、手を振って歓迎しました。

今月、2次避難先の金沢市から珠洲市に戻ってきた男性は、「水が出ないけどみんなで協力して元気に過ごせたらいいなと思っています。両陛下のお姿をひと目見ることができただけで元気が出ました」と話していました。

避難の男性「お顔を拝見し 勇気100倍」

両陛下は夕方、珠洲市内の避難所を訪ね、ここでもひざをついて、被災者一人一人と目を合わせながらことばをかけられました。

このうち、自宅が半壊した橋元繁幸さん(69)は「『おけがはありませんでしたか』などとことばをかけられ、とても大きな励ましになりました。われわれに寄り添い、一人ひとりに優しく丁寧に声をかけていただいて、先月の天皇誕生日の記者会見で受けた印象のとおり、そのままを実践されている、誠実な方だと感じました」と話していました。

妻のひろみさん(65)は「『お体を大切に』とおっしゃっていただき、両陛下の優しさが伝わってきました。目線を合わせられるので、こちらのほうが恐縮してしまいました」と話していました。

また、輪島市に自宅があり勤務先のある珠洲市で避難生活を続けている岡田哲男さん(68)は、「『お体は大丈夫ですか』とことばをかけられ、両陛下の優しさに感激しました。今回の地震で地域の人のつながりがバラバラになってしまいましたが、おふたりのお顔を拝見して、勇気100倍でこれからやっていこうと思います」と話していました。

ことばをかけられた男性「多くの方々の勇気になる」

珠洲市の避難所で両陛下からねぎらいのことばをかけられた泉谷信七さん(74)は、自主防災組織の本部長として、避難所の運営を担っています。

泉谷さんは「わざわざ珠洲に来ていただいてすごく感謝しています。何をお話ししたか、緊張してあまり覚えていませんが、元気にやっているというお話をしました。皇后さまからだったと思いますが、避難所で感染症になる人がいないかどうかや、トイレの問題について質問を受けました」と話していました。

珠洲市の消防団の団長として住民の避難誘導や救助などにあたった秋前一雄さん(75)は「お心遣いや、私たちの活動に関心を持っていただいたことを非常にうれしく思っています」と話していました。

また、各地で避難所の支援に取り組んでいるNPO法人「ピースウィンズ・ジャパン」の国内事業部次長を務めている橋本笙子さん(58)は、「支援に入った経路や人数について質問をいただきました。『東日本大震災でも活動してきましたが、今回は本当に大変な状況になってしまいました』とお伝えしたら、両陛下とも悲しそうな目をされて、『そうですか』とおっしゃっていました。珠洲に来ていただけるだけで、多くの方々の勇気になると思いました」と話していました。

珠洲市長「心から感謝」

両陛下に被害状況などを説明した珠洲市の泉谷満寿裕市長は「珠洲市では2020年の暮れから群発地震が続いていること、今回一番恐れていた大きな地震に見舞われたこと、発災直後の様子や住宅被害の状況、津波の被害のことなどをご説明しました。熱心に耳を傾けていただき、いろんなご質問もいただきました。避難所で多くの方々にお話をしていただき、勇気をいただいたのではないかと思います。心から感謝しています。『新しい地域づくりやなりわいづくりにまい進してまいります』とお伝えしました」と話していました。

能登空港で両陛下を見送った石川県の馳知事は、「被災者の気持ちに寄り添って現状をご覧いただき、お帰りの際には『本当に大変さがよくわかりました』とおっしゃっていただいた。被災状況を説明した際には、本当に切なそうに苦しそうに相づちを打っていただいていた。メモをとりながら、震災がいかに過酷なものか受け止めておられる姿に心を打たれた」と述べました。

その上で、「被災者には1日も早く仮設住宅に入ってもらい、なりわいも再建しなければならない。そのためには水が重要なので、インフラの整備をしっかりやりたい」と話していました。