左足失ったウクライナ軍元兵士 義足つけて東京マラソンに挑戦

手りゅう弾で左足を失ったウクライナ軍の元兵士の男性が、3日開かれた「東京マラソン」で義足をつけて初めてのフルマラソンに挑戦しました。

国内最大規模の市民マラソン「東京マラソン」に義足をつけて挑戦したのは、ウクライナ軍の元兵士で8年前、手りゅう弾で左足を失った41歳のユーリ・コズロフスキーさんです。

ウクライナでは、これまでの戦闘で手足を失った人の数がおよそ5万人に上ると伝えられていて、コズロフスキーさんは、同じ境遇にある人たちの希望になりたいと挑戦を決め、先月来日しました。

2日は、一緒に東京マラソンに出場するウクライナ軍の元兵士で5年前、地雷で右足を失った27歳のロマン・カシュプールさんと皇居周辺で練習を行いました。

コズロフスキーさんは左足だけでなく、右足にもまひが残っているということで、左右のバランスに注意しながら調整していました。

3日は午前9時半ごろ、コズロフスキーさんがスタートの号砲とともにウクライナの国旗を身にまとって東京都庁前から走り出すと、沿道から声援が上がったり、他のランナーから「頑張れ」と声をかけられたりする場面もあり、日本語で「ありがとう」と応えていました。

その後はペースを上げて、東京の名所をめぐりながら都心を駆け抜けましたが、およそ29キロの地点に設けられた関門を時間内に通過できず、失格となりました。

それでも諦めずに沿道を走り続け、スタートからおよそ7時間たった午後4時40分ごろ、ゴール地点の東京駅近くまで走りきると、応援にかけつけた家族や支援者たちと抱き合うなどしていました。

コズロフスキーさんは、「多くの日本人ランナーが声をかけてくれて感動した。困難がある中で、最後まで戦う姿勢を見せたかったので、はってでもゴール地点まで走りきりたかった。今はとてもポジティブな気持ちです」と話していました。

ウクライナ軍 元兵士の思い

ユーリ・コズロフスキーさんは、ウクライナ西部のリビウで妻のタチアナさんと2人で暮らしています。

8年前、ロシア側との戦闘が続いていたウクライナ東部の戦線で、仕掛けられていた手りゅう弾が爆発して左足を失いました。

コズロフスキーさんは、当時の状況について「なにかを踏んでしまい、独特の音がしました。それは手りゅう弾の安全装置が外れる音でした。何とかその場から逃げようとしましたが爆発の音が聞こえ、左足がなくなっていることに気づきました」と話していました。

ウクライナでは、コズロフスキーさんのようにこれまでの戦闘で手足を失った兵士の数がおよそ5万人に上るとメディアなどで伝えられています。

ウクライナ政府は、けがをした兵士が義足などを購入する費用を補助するとしていますが、軍事侵攻の長期化で対象者は増え続けているとみられ、海外からの支援が不可欠になっているということです。

コズロフスキーさんは「軍事侵攻が始まってからけがをした兵士の数は劇的に増えています。政府も対策をとっていますが全く対応しきれていません」と話していました。

左足を失ったことで当初は大きなショックを受けたと話すコズロフスキーさんですが、義足をつけてリハビリに励みながらマラソンを始めました。

目標ができたことでより前向きに生きることができるようになったといいます。

現在は、海外で開かれるマラソン大会に出場するとともに、けがをした兵士たちへの支援金を集める活動を行っています。

これまでハーフマラソンに出場したことはありましたが、今回初めてフルマラソンに挑戦するにあたって、雪の多いウクライナでも週に2回のトレーニングはかかさなかったといいます。

取材した先月下旬も自宅近くの公園でストレッチをしたあと、軽いジョギングをしながら本番にむけた調整を行っていました。

コズロフスキーさんは、みずからが高い目標に挑む姿を発信することで、同じ境遇にある兵士たちに希望を与えることができればと考えています。

また、多大な犠牲を払いながらもロシアへの勝利を目指して戦い続けているウクライナのことを改めて多くの人に知ってほしいという願いも込めて東京マラソンに挑戦するということです。

コズロフスキーさんは「健常な人にとってさえ大きなチャレンジですが不可能なことなどなく、私たちは希望を持たなければなりません。そして世界に対してはウクライナが戦い続けるということを示したいと思います」と話していました。