「これはダメやなと思って…」ホテルから避難所へ戻った理由は

「やっぱりここでなきゃいかんなと思ってます」

そう話すのは石川県珠洲市の男性の99歳の父親です。

先月、一緒に2次避難先のホテルへ行きましたが、元いた避難所へ戻ってきました。

生活環境が整ったホテルではなく、段ボールのベッドを使う避難所を選んだ理由を聞きました。

地震と津波で自宅が

地震があった元日。

珠洲市の沿岸部に暮らす鎌田勝栄さん(99)の自宅には、長男の鉄郎さん(71)の家族が来ていて、一緒に正月を過ごしていました。

鉄郎さんは最初の揺れがあったあと家の外に出ていて、その後の激しい揺れに襲われました。

鉄郎さん
「車の後ろ側にいたときに地震があって、どこにも行けず、ただしがみついていた感じでした」

揺れが収まったあと、家の中から鉄郎さんの妻と勝栄さんが飛び出してきました。

「津波が来るよー」

誰かがそう大きな声で言うのが聞こえ、まわりの家に住む人たちと一緒に、近くの高台へ急ぎました。

その後、自宅には津波が押し寄せたということです。

自宅の壁には、津波の跡が残っています。

「このブリキのところにあるこのラインですね。60センチぐらいだったと。地震は時々来ましたけど、津波は想像していませんでした。ここはもう住めませんね。いつ壊れるかわからんし、危なすぎる」

そして、近くの避難所での生活が始まりました。

自宅に戻るめどは立たず、トイレや入浴に不自由な暮らしが続きました。

環境のいい2次避難先へ しかし…

こうした中、2月7日からは珠洲市を離れ、勝栄さんと鉄郎さんは2人で県南部の小松市のホテルに2次避難することにしました。

ホテルでの暮らしは食事も温かい食べ物の提供があり、風呂もユニットバスで入浴できたということです。

生活面で不自由はありませんでしたが、父親の勝栄さんは元気がなく、部屋にこもって過ごす日々が続いたということです。

鉄郎さん
「することがないのでね。一階に新聞が置いてあるんですけど、そこへ行って新聞見たりしているだけで、部屋に帰ってくればテレビ見ながら、あとは寝ているか。ずっとその状態が続いていましたから」

生まれ育ち、慣れ親しんだ土地から離れ、知り合いが1人もいませんでした。

「孤独感ですね。人との触れ合いがないので、それが一番つらいというか、気持ち的にこもるというか。これはだめやなと思って」

見かねた鉄郎さんは「珠洲に戻るか」と声をかけました。

「うん」

勝栄さんはうれしそうな表情でうなずいたということです。

「親父が納得すればそこが一番」

2月21日、2人は再び自宅近くの避難所に戻りました。

珠洲市はいまもほぼ全域で断水が続いていて、避難所では仮設トイレや段ボールのベッドを使うなど厳しい環境です。

避難所での鉄郎さんと勝栄さん

それでも勝栄さんは、避難所で知り合いと話したり、長男の鉄郎さんと一緒に田植えの準備をしたりして過ごしているということです。

勝栄さん
「ここから離れるってのはちょっと考えられない。生まれてからずっとここばっかりいるから。やっぱここにおらにゃならんかなと思っています」

鉄郎さん
「こっちに帰ってくれば知り合いがいますので、そこへ行って話をしたりもできるし、意外と充実しているのではないかと私は思っています。自分の思ったように動けるというところかな。田んぼとか畑とか、自分の好きなことをしているので、一番ここが好きなんじゃないかと思います。親父が納得してくれれば、どこも行かずここが一番いい場所だっていう。納得さえすれば、そこにいるのが一番かな。それは変わらないです」

石川県によりますと、能登半島地震のために地元を離れホテルなどの宿泊施設に2次避難している人は、2月29日の時点で4700人余りにのぼるということです。

(能登半島地震取材班 田川優)