被災地の外からの支援縮小 “地域の医療”どう確保 課題は

能登半島地震からおよそ1か月半。日常を取り戻すとともに、変わりつつあるのが支援です。

医療の分野では被災地の外からの支援が徐々に縮小。

地域でどう医療を確保するかが課題になっています。

日本赤十字社 能登町での活動終了へ

能登半島地震の直後から石川県の被災地で医療支援を行っている日本赤十字社は医療機関の機能が回復してきたとして、能登町での活動を今月18日に終了することになりました。

日本赤十字社は地震の直後から、被害が大きかった石川県内の5つの自治体に医療や救護のチームを派遣しています。

このうち能登町について、総合病院をはじめ、地元の医療機関が通常診療を再開したことや、避難所から病院までの乗り合いタクシーが新たに運行するようになり、アクセスが改善されたことなどから、今月18日に活動を終了することになりました。

町で支援にあたってきた神戸赤十字病院の岡本貴大医師は「医療を補うのが私たちの目的なので、いったん活動を終了する形となった。今後、また医療がひっ迫するようなことがあれば、何らかのサポートができたらと思う」と話していました。

日本赤十字社が町内での支援を終えることについて、地元のクリニックの瀬島照弘院長は「避難所の医療ニーズが減ってきたので、撤収の時期がきたと感じている。地域の開業医は限られているので、今後は行政と連携して往診を行うなど、有効的に対応していきたい」と述べました。

そのうえで、今後、別の自治体に2次避難している人が戻ってきたり、感染症がまん延したりするなどして医療資源が不足した場合には、日本医師会が派遣しているJMAT=災害医療チームなどの支援を要請したいと話していました。

日本赤十字社は能登町のほか、輪島市と珠洲市、七尾市、それに志賀町で医療支援を行っていて、これら4つの自治体では当面、支援活動を続けていくということです。

DMATは19日以降 規模縮小へ

また、能登半島地震で被災直後から医療支援を続けてきたDMAT=災害派遣医療チームについて、被災地の外来機能が回復しつつあるとして、今月19日以降、規模が縮小されることが13日に行われた県の災害対策本部会議で報告されました。

県によりますと、DMATはこれまでに1132のチームが入り、けがをした人の搬送や入院患者の避難などさまざまな支援を行ってきたということです。

看護師3人が被災 全員退職の医療機関 支援は

珠洲市正院町の「小西医院」では働いていた看護師3人が被災し、市外で避難生活を送っていることなどを理由に全員退職しました。

このため、診療を中断していましたが、13日、JMAT=災害医療チームから看護師1人が派遣され、診療を再開しました。

小西堅正院長は「来てもらった看護師に期待している。地元の人の助けになればと診療を始めたが、話すうちにこちらも元気をもらっている」と話していました。

派遣された看護師、中市智恵さんは「患者さんが『先生の顔を見られてよかった』と本当に嬉しそうな顔をしていたので、それを見られただけで来てよかったと感じた。少しでも助けになれるように頑張りたい」と話していました。

薬を処方された80代の女性は「病院を開けてもらわないと薬が飲めないので本当に助かっています」と話していました。

災害医療チームは珠洲市内にある別の医療機関にも今月19日から看護師1人を派遣するということです。

馳知事 県として支援の考え示す

石川県の馳知事は13日、能登半島地震で被災した志賀町の工業団地や七尾市の民間病院を視察し、なりわいの再建や地域医療の継続に向けて、県として支援していく考えを示しました。

馳知事はまず、製造業を中心に中小企業33社が入る志賀町の能登中核工業団地を訪れました。

この中では、地震の影響で天井が落ちた部屋や、製品を加工するための機械が壊れた工場を視察し、馳知事は「保険だけで十分に対応できない部分は、政府とも相談をしながら必要な金融支援を行いたい」と述べました。

このあと、七尾市にある「恵寿総合病院」を訪れました。病院では理事長から、建物は免震構造のため目立つ被害はなかったことや、被災直後に水道の水が使えなかった際には井戸水を利用して出産や緊急手術に対応したことなどについて説明を受けました。

一方で、職員の疲労がピークに達しているとして、人的支援の要請を受けました。

馳知事は記者団に対し、「公立病院の再建にあたってはこの病院の取り組みを参考にしたい」と述べ、地域医療が継続できるよう県としても支援していく考えを示しました。

《医療支援長期化の課題も》

「DMAT」など医療支援 過去と比べ長期化

一方、能登半島地震の発災直後から続く災害派遣医療チーム「DMAT」などの医療支援は過去の災害と比べて長期化しています。

過去の災害ではDMATの急性期の医療支援が終了した後、日本赤十字社の救護班のほか、日本医師会の災害医療チーム「JMAT」などが引き継いで、被災地の医療体制の回復につなげてきました。

過去の大災害で「DMAT」の活動期間は10日間程度でしたが、能登半島地震の被災地では6週間以上たった今も派遣が続き、日本赤十字社や「JMAT」などと並行して活動が行われています。

「DMAT」はこれまでに1132チームが、石川県内の病院や避難所での医療支援や、高齢者などの広域搬送の調整にあたり、厚生労働省によりますと、13日の時点で石川県内で88チームが活動中ということです。

また、
▽日本赤十字社の救護班は今月8日の時点でのべ22班、
▽「JMAT」は13日時点で48隊が活動していて、今後、輪島市や珠洲市で避難所などの診療支援や、被災した診療所の復旧支援などにあたる予定です。

今後については、DMATは大規模な医療チームの指揮や調整を今月20日にも終了する見通しですが、その後もDMAT事務局と石川県DMATが医療介護体制の回復に向けた支援を継続する予定です。

長期化の背景は これからの課題は

DMAT事務局で次長を務める近藤久禎医師は活動の長期化について、「能登半島地震の特殊性として、地域は狭いものの深刻な災害を受けていて、一気に支援を投入して問題を解決できず、何をやるにも時間がかかった。また、医療従事者自身も被災し、医療・保健・福祉体制を支える活動に取り組んでいることも長期化している背景にある」としています。

医療支援の現状については、「急性期の医療ニーズが終わり、支援が必要な地域もある程度限定されてきた。持続可能な医療介護体制の姿が徐々に見えてきた段階だ」と指摘していました。

そのうえで、「これからの一番の課題は地域の医療や介護の継続だ。被災した住民が戻れるようにするためにも、立ち上がろうとする診療所や頑張ってきた福祉施設をいかに支えるかが活動の中心になってくる。少子高齢化が進む地域で元の状態に戻すのは難しいが、医療や福祉、そして住民が一体となって議論できる環境を支えていきたい」と話していました。

東日本大震災経験の医師は

能登半島地震のあと被災地で活動している福島県の医師がNHKのインタビューに応じ、東日本大震災の経験から、避難の長期化による被災者の精神的、身体的な影響をできるだけ小さくする方策を多くの関係者が一緒になって考えていく必要性を強調しました。

福島県立医科大学附属病院で働く箱崎貴大医師は地震のあと、災害派遣医療チーム=DMATの一員として輪島市で活動しています。

今は市の保健医療福祉に関する調整本部で、全国各地から集まる支援チームの指揮をとっています。

【地震発生1か月 医療の現状は】
地震から1か月余りがたった輪島市の医療の現状について箱崎医師は「医療は非常に水を使うが、それができない。透析治療や手術が困難で、完全に平時に戻るにはかなり時間がかかる」と話しました。

一方で、地域の診療所などが再開してきたほか、道路状況が改善してきたため、地域の外の医療機関への搬送も以前のとおりに行えるようになっているとしています。

【新たな課題は】
そうした中で懸念されるのが避難の長期化による精神的、身体的な影響だといいます。

箱崎医師は「精神的なフォローアップを含めて診療態勢を続けていく必要がある。ふだんと同じような日常生活を送れず、体力が落ちて介護が必要な状態になる高齢者もいる」として、心身の機能が低下するいわゆる「生活不活発病」の予防に医療関係者が協力して取り組む必要性を指摘しました。

その上で、東日本大震災の経験から、「日常生活に戻る、ご自身の仕事を続ける、そうした支援の必要がある。コミュニティーの問題もある」と述べ、被災者の精神的負担を軽くし、体力などを保って健康で過ごすためにも、職業支援や地域のつながりをできるだけ維持する方策などを行政などと一緒に考えていく必要があると強調しました。

最後に、箱崎医師は被災者に対する思いをこう話しました。

「時間が経過して本当につらい毎日を暮らしてらっしゃると思う。何か息抜きできるタイミング、しっかり休んで頂きたい」

そして、地元の医療関係者も被災し、職員が大幅に減っている中で、応援として入っている自身のような医療従事者がどのような形で支援を続けられるのか、悩みながら活動していると話していました。

箱崎医師は「ここで被災しながら働いている行政、病院職員がいる。ずっと避難のつらさ、震災の被害に向き合って逃げられないかたがたの思いを強く感じているので、少しでも力になりたい」と話しました。