救急車も助けも来ない「本当にごめんなさい」【被災地の声】

地震直後の混乱で救急車を呼んでも来てもらえない…。
避難所に助けを求めても応じてもらえない…。

「優しい父でした。助けられなくてごめんなさい」

能登半島地震による津波で父を亡くした息子は、声を詰まらせながら語りました。

中学の校長を務めた父 自宅が津波で浸水

石川県珠洲市で亡くなった向井宏さん(97)。

石川県珠洲市やその周辺で40年にわたって教員として働き珠洲市の中学校では校長も務めました。

1月1日、珠洲市宝立町の鵜飼地区の自宅で妻と過ごしていた時に能登半島地震に遭いました。

宏さんの息子の星十さん(63)は当時、金沢市内の自宅にいましたが、両親と電話がつながらなかったため、翌日2日、6時間かけて車で珠洲市の実家へと向かいました。

到着すると1階部分が津波で浸水していたそうです。

息子の星十さん
「家の中に入ると母親が廊下で倒れていて意識があり元気だったので起こして座らせました。父親の方を見ると仏間で横になっていて『寒い、寒い』と言っていて見たら布団もぬれてるし体もぬれていました」

呼んでも来ない救急車…そして

星十さんは救急車を呼びましたが、順番待ちで来てもらえず、500メートル離れた避難所に助けを求めに行きましたが被災した人たちが大勢いたため、対応してもらえなかったということです。

星十さんは自分ひとりで宏さんを助けようとしましたが宏さんは足腰が弱く、連れ出すことができませんでした。

宏さんにぬれていない布団をかけて「助けがくるから頑張って」と励まし続けたということです。

翌3日の朝、通りかかった近所の人に手伝ってもらい母親は無事に助けることができましたが、宏さんは亡くなりました。

星十さんは声を詰まらせながら、今の気持ちを語りました。

「優しい父でした。私が父と同じ教員になる時には『あまり怒らんようにせい』とアドバイスをくれました。寒かっただろうに助けてあげられなくて本当にごめんなさい」

どこに行っても好かれる先生でした

亡くなった宏さんは書道が趣味でした。

金沢市に住む書道家、阿部豊寿さん(45)に書を習っていました。

阿部さんによると、年は50歳以上も離れていましたが、20年以上の親交があったといいます。

阿部さんは珠洲市に通いながら宏さんに書を教えていました。

阿部豊寿さん
「宏さんの字は生き生きとしていて、本当に元気な人です。宏さんが教え子にあげた作品には『一日生涯』と書いてあり、『あすという日よりもきょう一日が大事だよ』と教えていました。『向井先生、向井先生』とどこに行っても好かれる先生でした。宏さんはじめ、珠洲の人は迎え入れてくれる姿勢があり本当に優しいです。宏さんとの出会いがわたしに珠洲のすばらしさを教えてくれました」

宏さんから月に何度も手紙や作品が送られてきたことも思い出されるといいます。

「いつも手紙や作品が送られてくるのに、地震が起きてからは来ないわけです。『当たり前だったことが当たり前ではない』遅ればせながらその辛さにいま気づいています。宏さんが大好きだった書を一生懸命頑張ることが恩返しになると思っています」