阪神・淡路大震災から29年 語り部の現在地

阪神・淡路大震災から29年 語り部の現在地
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災。

記憶の風化を防ぐために大きな役割を果たしてきたのが「語り部」の存在です。

しかし、その「語り部」の高齢化は進み、担い手の育成が課題となっています。

ある80歳の語り部は言います。

「体が許す限り語り続けたいが、このままでは団体の存続が厳しい」

一方で、震災の記憶がなくても語り継いでいこうと動きだした若い世代の動きも見えてきました。

29歳の語り部は、1月1日に起きた能登半島地震の被害の様子を見て、「いま、何ができるのか考える日々です」と言葉少なに語ります。

あの日から29年、語り部の“現在地”を追いました。

(神戸放送局記者 小田和正)

ベテラン語り部が伝える“反省”

阪神・淡路大震災を経験した自治体の元職員などでつくる神戸市のNPO法人「神戸の絆2005」。

行政の立場から当時の経験を語り継ぐ活動を続けています。

これまで19年にわたって語り部の活動を行っている大濱義弘さん(80)。

当時、神戸市の小学校で校長を務めていたことから、避難所運営の対応にあたった経験などを各地の講演会で語ってきました。
大濱さんが語り部の活動で大切にしているのは、みずからの“反省”を伝えることだと言います。

先月(12月)も、神戸市西区の中学校で40人ほどの生徒を前に語りました。
「突然、『ドーン!!!』と下からつき上げるような揺れが20秒ほど続いたんです。そして、街は大変大きな被害が出ました。

恥ずかしながら、私も含めて多くの人は『神戸には大きな地震なんてこないだろう』と思い込んでいました。

ここにいる皆さんにはそんな私が震災で経験したことや、教訓として得られたことをこれから伝えるので、しっかりと受け止めて今後の災害への備えに生かしてください」

進む高齢化と募る危機感

NPOでは、最も多いときで30人ほどの語り部が所属していましたが、高齢化などを背景に年々減少。

実際に活動している語り部は大濱さんを含めて現在8人です。

今年度(2023年度)は兵庫県を訪れる修学旅行生などを対象にした講演会の依頼が20件ほど寄せられていますが、このうち10件あまりを大濱さん1人で対応しているということです。

団体で活動する8人の語り部の平均年齢は80歳近くと年々高齢化が進んでいます。

大濱さんは、体力が続く限りこれからも語り部の活動を続けていきたいと考えていますが、今後の継続的な活動のためには新たな語り部の確保が大きな課題となっていると感じています。
大濱さん
「語り部の数は設立当初の多かった時期に比べて今はかなり減ってしまっていて、団体の活動を継続できるかどうか強い危機感を持っています。

新型コロナウイルスによる影響で減少していた講演の依頼が最近になって戻ってきているので、震災から30年となるのを前に改めて団体の活動を積極的に発信するなど有効な手立てを考えていきたいです」

語り部の半数余り70代以上

震災から29年となり、伝承の現場はどのように変わったのでしょうか。

語り部の高齢化の実態を裏付けるデータが取材で明らかになりました。
神戸大学地域連携推進本部の山地久美子 特命准教授は先月(12月)、阪神・淡路大震災の語り部活動に10年以上にわたって取り組む兵庫県内の13の施設や団体を対象に語り部の年齢構成などを調査しました。

それによりますと、各施設や団体に所属する語り部はあわせて158人。

このうち70代以上が全体の半数あまりに当たる84人に上りました。

次いで、50代が26人60代が24人40代が11人30代が10人20代が3人となっています。

調査では「後継者がおらずこのままでは活動の継続が難しい」とか、「働く世代が参加するための社会的な支援が必要だ」といった意見が寄せられたということです。

一方、山地 特命准教授による別の調査によりますと、阪神・淡路大震災の経験が無い10代や20代の若い世代が中心に活動する「語り部」の団体が、この4年間で新たに2つ設立されているということです。
山地 特命准教授は、後継者を途切れさせないためには若者から高齢者までの“多世代”で語っていくことが重要だと指摘します。
神戸大学 山地久美子 特命准教授
「みずからのことばで語る震災の記憶や教訓は説得力があり、新たな災害への備えを考える上でも語り部の役割は重要です。

しかし、時間の経過とともに震災を経験した世代はいずれ高齢となっていくため、次の世代へと記憶を引き継ぎ、それをさらに次の世代へつないでいくという世代を超えた取り組みが今後、より一層求められると思います。

そのためには、働いたり学校に通ったりしながらでも継続できる環境を整えることが、後継者の育成のためには必要で、社会全体で考えていかなければならない課題です」

0歳だった私 “でも、語りたい”

一方で、震災の記憶がなくても新たな災害に備えて語り継いでいこうとする若い世代の動きも出てきています。

兵庫県淡路市出身の会社員、米山未来さん(29)です。
生後2か月の時に阪神・淡路大震災に遭いましたが、当時の状況や街の被害の様子などについて記憶は全く無いと言います。

しかし、淡路市の施設で19年にわたって語り部の活動を続けている父の正幸さん(57)の思いを継いでいきたいと、5年前にみずからも語り部の活動を始めました。

特に意識しているのは同じ若い世代へ訴えかける力です。
スマートフォンのアプリを使ったライブ配信で、阪神・淡路大震災の被害規模や防災に役立つ情報などをクイズ形式で伝えるなど独自に工夫してきました。
実は米山さんはいま、神奈川県で暮らしていて、会社にも勤めています。

それでも、時間や場所に関係なくどこからでも発信できるライブ配信の利点をいかし、神奈川県の自宅や実家のある淡路島などから発信しています。

ただ、記憶が無い自分が震災を語ることについて、当初は悩んでいたという米山さん。

背中を押してくれたのは、語り部の“先輩”でもある父・正幸さんのことばでした。
米山未来さん
「記憶がない自分の場合、実際に震災を体験した記憶がある語り部のことばに比べて、説得力が足りないのではないかと悩んでいましたが、相談した父親が『記憶が無くても語り部はできる。自分も被災者から聞き取った話をまとめて多くの人に話してきた。教訓を伝えるためにも、胸を張って取り組んだらいい』と言って背中を押してくれました。

そのことばをきっかけに、自分だからこそ震災を経験していない若い世代の気持ちを理解できると思えるようになり、独自の方法で語り継ごうと考えました」

いま、語り部に何ができるか

ことしの元日、石川県能登半島で最大震度7の揺れを観測する地震が起きました。

そして、地震から10日余りが過ぎた1月14日。

米山さんは講演のため福島県双葉町にある県の施設を訪れ、東日本大震災の語り部などおよそ20人を前に講演しました。
その中で、救助活動が続く能登半島地震の被災地の現状に触れ、いまの心境を語りました。
「個人として被災地に入って支援することが難しい中、ひとりの語り部として何ができるのか考える日々です」
いつ、どこで、起きるかもしれない大災害。

米山さんは、いま語ることで誰かの命を救うことができると呼びかけました。
米山未来さん
「語り部の高齢化は懸念されていますが、語ることを止めると、そこで教訓が途切れてしまいます。私は29歳で震災の記憶がありませんが、同じ悲劇を繰り返させない、災害によって悲しい思いをする人を減らしたいという思いを大切にして、今は伝える活動を続けていきたいと思います」

次にバトンを受け取るのは…

記憶の風化が懸念されるいま、より一層の工夫が求められています。

先月(12月)、私は神戸市須磨区の中学校を取材しました。

ここでは中学生が阪神・淡路大震災の経験者から当時の経験を聞き取り、その内容をまとめて小学生に語り継ぐという取り組みが始まっています。

震災を経験していない子どもどうしの記憶のリレーです。
活動に取り組む中学3年の女子生徒は「震災後に生まれた自分が震災について伝えていくことに不安もありましたが、学んでいくうちに風化させてはいけないという気持ちの方が強くなっていきました」と頼もしく話していました。

ときの経過とともに進む語り部の高齢化。

阪神・淡路大震災だけでなく、その後に日本が経験した東日本大震災などにも通じる被災地の課題と言えます。

個人の使命感だけに頼っていてはいずれ限界が訪れます。

語り部団体の持続的な活動を支援するためにはどうすればよいか。

後継者となる人に必要な知識や技術をどう身につけてもらうのか。

次にバトンを受け取る人のためにも、支援のあり方の議論を急ぐ必要があります。

(1月14日「ニュース7」で放送、1月17日「ほっと関西」で放送)
神戸放送局記者
小田和正
2014年入局(金沢)
鹿児島を経て
2021年から現所属
現在は阪神・淡路大震災事務局を担当