嘉納治五郎の書簡見つかる 幻の1940年東京五輪 招致経緯詳しく

柔道の創始者でIOC=国際オリンピック委員会の委員も務めた嘉納治五郎が、幻となった1940年の東京オリンピックの招致の経緯を詳細に記した書簡が新たに発見されました。

1940年の東京オリンピックはアジアで初の開催となる予定でしたが、日中戦争の激化のため開催が返上されました。

今回見つかったのは、その幻となった東京オリンピックの招致に尽力したことで知られる柔道の創始者でアジア人初のIOCの委員、嘉納治五郎が記した書簡の下書き11枚です。

1934年5月付けで当時の東京市長に宛てて書かれたもので、招致の経緯などが詳しく記されています。

1940年の開催地は、ローマが有力視されていたもののイタリアの首相だったムッソリーニが招致を辞退し、東京への招致にもつながったとされています。

書簡には、嘉納氏がフランスのIOC委員からムッソリーニを説得する案を示されたことや、ムッソリーニと親交のあったアメリカのIOC委員が仲介役を名乗り出たという経緯が記されています。

日本は1933年に国際連盟を脱退するなど国際的に孤立を深めていましたが、嘉納氏と各国のIOC委員との間には信頼関係があったことをうかがい知ることができます。

さらに書簡では、欧米中心で開催されていたオリンピックをアジアで開催する意義についても記していて、招致への強い思いがうかがえます。

オリンピックの歴史を研究している筑波大学の真田久 特命教授は「ムッソリーニへの依頼の背景がはっきりとし、非常に緻密な行動していたことが分かった。日本が政治的に孤立する中で、スポーツの世界では世界と強くつながっていったと見ることもできる。非常に価値のある資料だ」と話していました。

また、講道館の桐生習作さんは「パリオリンピックが開催される節目の年にオリンピック招致に向けた嘉納師範の活動を皆さんと共有できることをうれしく思う」と話していました。

見つかった書簡は、今月5日から東京 文京区の講道館にある資料館で展示されています。