亡き息子の歌声に背中を押されて

亡き息子の歌声に背中を押されて
今月17日で阪神・淡路大震災から29年になります。

兵庫県で若手演奏家の支援活動を続ける高校の音楽の元教員がいます。

震災で10歳になったばかりの息子を助けられなかった後悔を胸にしまい、若者たちの背中を押してきました。

70歳を超えて活動を続ける男性を励ましているのは、亡き息子の歌声でした。

(大阪放送局 カメラマン 福島浩晃)

若手演奏家たちの表現の場を増やす

音楽を専攻する学生や、学校を卒業したばかりでプロとして駆け出しの若手演奏家たちに、コンサートなどで腕前を披露する場を紹介するNPOの代表 和泉喜久男さん(73)。

兵庫県内の高校で音楽の教員として指導し、音楽科のある高校で校長も務めました。

和泉さんは音楽大学などを卒業したばかりの若手演奏家が、コンサートなどでプロとして活躍する機会に恵まれないという声を聞いてきました。

そのため和泉さんは、定年後兵庫県内の学校などで開かれるコンサートの出演機会を彼らに紹介しようと「NPO法人 関西芸術文化支援の森ゆずりは」を立ち上げました。

演奏活動の経験を積んでもらうことでプロとして活躍するきっかけにしてほしいという思いからでした。
和泉喜久男さん
「若手演奏家たちはステージを踏むごとにスキルアップしていくんです。演奏の場を自分の技能や演奏力を高める機会にして立派な演奏家になっていってほしい」

思いがけず見つけた息子の映像

和泉さんは定年後、若手演奏家の支援活動を10年間続けてきました。

そして70歳の節目として活動から退こうと考えていました。

そんなとき、家の整理をしていてある映像を見つけました。

阪神・淡路大震災の前に和泉さんがビデオカメラで撮影した長男 忠宏さんの映像でした。

背負い続けるあの日の悔い

和泉さんは震災で自宅のある西宮市で被災し、当時小学4年生で10歳になったばかりの忠宏さんを亡くしました。
木造2階建ての自宅は全壊。

幼いころから2階で家族と一緒に寝ていた忠宏さんですが、震災が起きた日は、1階で1人で寝る練習をしていました。
和泉さんは、あの日の夜、怖いからと2階に上がってきた忠宏さんと一緒に寝てあげなかったことをこれまでずっと悔やんできました。
和泉さん
「あのときに一緒におれば助かってたんちゃうんかなと。親としての負い目をずっと背負ってきました。29年とはいいますが、きのうのようにその当時の光景がそのまま、まぶたの裏に浮かび上がってきます。子どもが先にいなくなるのは、親としてはもう耐えられないことですよね。自分より先にいなくなるのは」

息子の歌声が背中を押した

見つかった映像には、自宅で忠宏さんの歌う姿が記録されていました。

「ウルトラマンエイティー♪」
人気テレビ番組のテーマ曲などを歌う懐かしい歌声を聞き、忠宏さんがふだんからよく歌を歌っていたことを思い出しました。

かつてテノール歌手だった和泉さんは、張りのある息子の声に、将来自分と同じ声楽の道に進んでくれたらと期待していたといいます。
和泉さん
「よく1人で歌ってたんです。しゃべりことばも歌うように話していました。おなかから出る張りのある声をしていてオペラ向きだなと勝手に思っていました。息子の歌っているビデオを見て、やっぱり将来どうしていただろうと考えました」
震災以来聞くことのなかった忠宏さんの歌声を、思いがけない形で聞いた和泉さん。

将来の夢を追うことができなかった忠宏さんからのメッセージのように感じ、若者の夢を支え続けていきたいと思うようになりました。
和泉さん
「歌声がお父ちゃん頑張れよ、頑張ってねって言っているよう私には聞こえたんです。だから自分も頑張ろう。生きている間は頑張ろうと勇気がわいてきたんです」

息子への思いが活動を続ける原動力に

70歳を超えたあとも、和泉さんは忠宏さんへの思いを胸に秘めながら支援活動を続けてきました。

これまで和泉さんたちの支援活動で、400を超えるコンサートでのべ1500人余りの若手演奏家がステージに立ちました。
女性サックス奏者
「練習しているだけでは得られないものが本番の舞台にはたくさんあります。演奏の機会があればあるほど演奏者としてどんどん仕上がっていくというかよくなっていくと思うので、すごく感謝しています」

女性ソプラノ歌手
「演奏家はすごく食べていくのが難しかったり、演奏する場が限られています。こうやって演奏する場所を提供してくださり、すごくありがたいと思っています」

若手演奏家たちの姿に 亡き息子の姿を思い浮かべて

去年11月、兵庫県宍粟市で高校生に向けた音楽鑑賞会が開かれました。

関西各地で活動する若手演奏家12人が集まり、高校生が親しめるポップスの曲も取り入れた演奏で楽しませました。

彼らが演奏する姿をビデオカメラで撮影していた和泉さん。

希望に満ちた表情で演奏を披露する若者にやさしいまなざしをむけていました。
和泉さん
「きょうも見ていて気持ちがこみあげてきました。目頭を押さえていたのは、自然に涙が出てくるというのかな。彼らが頑張っている姿を見たら、やっぱりエネルギーをもらいました」

震災から29年 能登半島でおきた大地震

年明けの元日、震度7の大地震が能登半島を襲いました。
和泉さん
「29年前の阪神・淡路大震災の光景がよみがえってくる。家が倒壊していて同じ悲劇だなと思いました」
和泉さんが代表を務めるNPOでは、これまでコンサートで集まった義援金や売り上げの一部を東日本大震災で親を亡くした子どもたちを支援する団体に寄付してきました。

今回の能登半島地震で被災した人たちも支援したいとNPOの仲間たちと動き始めています。

仲間との話し合いで義援金を募ることになり、今月行われるコンサート会場で募金活動をしようと計画しています。
和泉さん
「自分も阪神・淡路大震災ではいろんな方の支援があって、今の自分がある。やっぱり自分のできることは何らかの形でしていかなきゃあかんて使命みたいなものを感じているんですよ」
阪神・淡路大震災の経験が私の原点だと語る和泉さん。若手演奏家の支援活動と共に、被災地への支援をこれからも続けていくつもりです。

「息子も背中を押してくれていると思います」と話してくれました。

今もはつらつと活動する姿は、忠宏さんの明るい歌声に支えられているように感じました。
大阪放送局 カメラマン
福島浩晃
2003年入局
山口、報道局などを経て
2020年から現所属
能登半島地震など各地の災害取材にあたっている