大阪 クリニック放火事件から2年 遺族や元患者のサポート課題

大阪 北区のビルに入るクリニックが放火され、巻き込まれた26人が死亡した事件から17日で2年です。遺族や元患者の中には時がたつにつれて悲しみや不安が募っているという人もいて、周囲がどのようにサポートしていくかが課題となっています。

2年前のおととし12月17日、大阪 北区のビルに入る心療内科のクリニックが放火され、巻き込まれた患者や医師、スタッフあわせて26人が死亡しました。

この事件では谷本盛雄 容疑者(当時61)も死亡し、その後、殺人と放火などの疑いで書類送検され、不起訴になりました。

現場のビルは2年がたった今も立ち入ることはできないようになっていて、クリニックが入っていた4階は割れた窓に板がはり付けられ、看板も当時のまま残っています。

容疑者が死亡し、裁判で事件の真相を明らかにし刑事責任を問うこともできない中、遺族の中には気持ちに区切りがつけられず、時がたつにつれて悲しみが募っているという人もいます。

支援者 “数年たち 悲しみや不安あふれてくる場合が”

元患者などの支援に携わっている一般社団法人「日本医療カウンセラー協会」の土田久美代表理事は「事件が起きた当初は受け入れられない気持ちや怒りなどさまざまな感情があり、悲しみと向き合えなかった遺族や元患者も少なくないと思う。数年がたち、周囲が落ち着いてきたころに悲しみや不安の感情があふれてくる場合があるので、周囲の人たちは本人が思いを打ち明けてきたら、ただ黙って耳を傾けてほしい。そして、『もし何かできることがあれば相談してほしい』と伝えてあげることがいちばんのサポートになる」と話していました。

元患者 今も気持ちを切り替えられず

現場のクリニックに通っていた元患者の中には、事件から2年がたった今も気持ちを切り替えられず、不安を抱えている人がいます。

事件で亡くなった院長の西澤弘太郎さん(当時49)を慕っていた元患者も多くいました。

クリニックに8年ほど通っていたという40代の男性によりますと、西澤院長はどんなに忙しくてもしっかり目を合わせ、親身になって話を聞いてくれたといいます。

男性は現在、別のクリニックで治療を続けていますが、「西澤先生のように信頼できる先生はほかにいません。人生の5分の1ほどの期間お世話になり、私の話を1から10まで聞いてくれた上、あたたかいことばで励ましてくれました。この2年間、なんとか前を向いて生きてきましたが、気持ちの整理はつきません。戻れるなら事件の前に戻りたいです」と話していました。

また、30代の元患者の女性は事件のあと、しばらくは気分が落ち込み、別のクリニックを探すことができなかったといいます。

女性は「西澤先生は仕事で遅れてしまっても待っていてくれて、本当に助かりました。あの優しい顔を今でも思い出し、『なぜ亡くなってしまったのだろう』と考えてしまいます。特に12月になると事件のことが頭をよぎり、つらい気持ちになります」と話していました。

院長の妹 “時がたち 兄が亡くなったのを現実と感じるように”

事件から2年となるのを前に、亡くなったクリニックの院長、西澤弘太郎さん(当時49)の妹が取材に応じ、「時がたつにつれて、兄が亡くなったことを現実として感じるようになった。兄に会いたい」と今の思いを語りました。

西澤院長の妹、伸子さん(46)はかつては歯科医師でしたが、事件のあと、クリニックの元患者たちと交流し、相談に乗るなどの活動を続けてきました。

西澤院長が多くの患者に慕われていたことを知り、兄に代わって寄り添いたいという思いが芽生えたといいます。

カウンセリングの勉強を始め、知人の相談にも乗るようになりましたが、忙しく活動する中、兄を失った現実からはこれまで目を背けてきました。

しかし、事件から2年がたった今、その心境は変わりつつあるということです。

伸子さん
「時がたつにつれて、兄が亡くなったことを現実として感じるようになりました。また、最近は事件の当時の映像を見たり、消防車のサイレンの音を聞いたりするとつらい気持ちにもなります。事件直後や1年がたったころにはなかった感情です」

さらに、心境に変化をもたらしたのが、「京都アニメーション」のスタジオが放火され、社員36人が死亡した事件の裁判です。

伸子さんはことし9月、多くの命が失われた事件で遺族が被告とどのように向き合うのか知りたいと裁判を傍聴し、そのやりとりを目の当たりにしました。

クリニックの事件では容疑者が死亡し、今後、裁判が開かれることはありません。

やり場のない遺族としての立場を改めて実感したということで、伸子さんは「事件で犠牲になった人だけでなく、家族などその何倍もの人が悲しむということを容疑者は考えていなかったと思います。その時の精神状態は分かりませんが、裁判を通して自分のやったことをしっかりと見つめなければならなかった。遺族にとっては中途半端なままで、裁判はやはり必要だったんだと感じています」と心境を明かしました。

犠牲者を追悼する演奏会で 兄への思いつづった詩を朗読

今月3日、伸子さんは知り合いのピアニストなどとともに大阪市内で事件の犠牲者を追悼する演奏会を開きました。

毎年、開催することで、やり場のない遺族や元患者たちが集える場所を作りたいと考えたといいます。

この中で、伸子さんはこれまで口にしてこなかった兄への率直な思いをつづった詩を朗読しました。

伸子さんの詩(抜粋)

あなたを思い出し、時に涙を流しているということ。

あなたに生きていてほしかった。あんなことがなかったらよかった。

もっと先に、あなたと思い出話をする予定だったから。

あなたに会いたいです。

私はこちらで私らしく生きます。

どうかあなたを知る人を空から見守っていてください。

悲しみと向き合い始めた今、「患者に寄り添う」という兄の思いを受け継ぎ、遺族としてだけでなく、支える側としても、できることを続けていきたいと考えています。

伸子さん
「兄に会いたい。ただ、両親にとって子どもはもう自分しかいないんだと思った時に、絶対に両親を守らなければいけないと感じたし、私が泣いている場合ではないとも考えています。元患者などの相談に乗り、『話してよかった』と言ってくれれば、私の心も癒やされるので、結果的には人のためでもあり、自分のためにもなると思っています。今までどおり自分のできる範囲で、無理のない状態でやれることをやっていきたい」