20歳のアーティストが見た ガザの現実

20歳のアーティストが見た ガザの現実
イスラエルとイスラム組織ハマスの一連の衝突から、まもなく2か月です。
12月4日、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)は、ガザ地区では人口の8割を超える約190万人が避難を余儀なくされているとする報告書を発表しました。

そのうちの1人が20歳のアーティスト、ディア・エル・ディン・マディさんです。

生まれ育ったガザ地区北部から南部のハンユニスに逃れ、家族・親族とともに避難生活を送っています。1か月経った現地の状況、いま思うことについて話を聞き、11月7日「おはよう日本」で放送しました。
その後、衝突から約2か月となる12月上旬までのディアさんの状況を取材した内容も最後に載せています。
(おはよう日本 落合洋介 ディレクター)

画家を目指し 将来が期待された若者

今回の衝突前に、ディアさんがガザ地区で描いた絵。

ディアさんは画家を目指し、将来が期待された若者でした。

私たちは、取材で話を聞いた国連機関の職員を通じ、ディアさんと知り合いました。
ガザ地区の通信状況が不安定ななか、ディアさんへの取材を短いボイスメッセージやテキストなどを使って行っています。
ソーラーパネルがある近所の家の電源をわけあって、かろうじてスマートフォンを充電できているといいます。
ディアさんはもともと、ガザ地区北部の『ガザ市』で生まれ育ち、国連機関が運営する学校に通っていました。
しかしいま、生活は一変。

ディアさんが避難生活を送るガザ地区南部の町はがれきと化し、空爆の恐怖に常におびえているといいます。
ディア・エル・ディン・マディさん
「市民や子どもたちにとって安全な場所はどこにもありません。空爆はいつでも起きています」

生活必需品が手に入らない

さらにやりとりを続けるなかで、ガザ地区の人々が、だんだん追い込まれている様子が見えてきました。

ベーカリーの前には大勢の人が殺到。
ディアさんが撮影した写真では、パンを買いに大勢の人が並んでいます。

ディアさんはこの日、4時間並びましたが、パンを手にすることはできませんでした。

原料の小麦粉も不足しているといいます。

ガザではいま、食べ物や水などの生活必需品が手に入りにくくなっているといいます。

こうした中、10月下旬、ガザ地区の中部と南部にある倉庫などに大勢の人が押し入り、保管してあった小麦粉や生活に必要な物資が奪われました。
ディアさんは、日頃から『全員で助け合うことが大切だ』と考えています。

しかし、いま、その助け合いができないほど、人々は危機的状況に追い込まれているといいます。
ディアさん
「物資を持ち去るのは不公平です。物資は避難民に均等に配られなくてはなりません。食べ物を手に入れることができず、子どもたちは飢えや喉の渇きで極限状態に近づいてきています」

戦火の中で描いた絵

11月4日、ディアさんから突然、7枚の絵が送られてきました。
絵には、「戦争の現実を描いたので、あなたに送ります」との言葉が。

空爆を受けた街の様子などが、なぐり書きで描かれたように見えるものでした。
これまでディアさんが描いてきた作品とは、違って見えます。

ガザ地区の学校に通う中で、ディアさんは『プロの画家になる』という夢を抱いていました。

交流を持つアーティストは200人以上。精力的に制作活動を続けてきました。
こちらは1年前、ガザ地区の展示会で発表した作品です。
ガザ地区は、移動の自由が制限され、“天井のない監獄”とも呼ばれています。

絵では、そうした地区に住む若者たちの気持ちを表現しました。
「とげの生えたサボテンは、ガザ地区を出ようとすることへの痛みと苦しみをあらわしています。羽の生えたサボテンには根っこがあります。繰り返し抜けだそうとしても、ガザから出られない現実を表現しました」

“無理やり心に入ってくるものを描いた絵”

ディアさんの絵の変化を、重く受け止めている人がいます。

国連機関・UNRWAの保健局長、清田明宏さんです。

6年前にディアさんと出会った清田さん、その繊細でカラフルな絵を応援し続けてきました。
UNRWA 保健局長 清田明宏さん
「もともと絵を描くのが好きな子ではあったんで、絶対絵は描きたいと思ってはいたんでしょうけど、じゃあこういう絵を描きたかったのかというと、たぶん違うと思うんですよね」
「目の前にこんなに重い現実が起こってくると、それを受け止めるというよりは、無理やり自分の心に入ってくるものを描いた絵だと思うんですよね。こんなに才能がある子にこんな絵を描かせている世の中はなんなんだという気はしますね」
なぜいま、絵を描き続けているのか。

ディアさんに聞きました。
「アートで私のメッセージや声を世界に届けたい。ただ傍観しているのは、嫌なのです」

衝突からまもなく2か月

11月7日の「おはよう日本」放送を終えてからも、私たちはディアさんと連絡を取り続けています。

イスラエル軍による地上侵攻が進み、死者数が増え続ける中で、ディアさんも友人や親族を亡くし、「死んだ友人のところに行きたい」と取り乱したような連絡が来る日もありました。
そして、ディアさん自身の身にも危険が及ぶこともあったといいます。

11月22日 食料を探して歩いている時、すぐ近くで空爆があった。
そして、戦闘休止が報じられたときは、純粋に嬉しい気持ちになったといいます。
ディアさん
「最終的な停戦に向けて、一時的にでも戦闘休止されることはとても良いステップだと思う」
11月24日 戦闘休止期間に入った朝に送られてきた新芽の写真。
「厳しい状況の中でも、成長していて、美しいと思った」
11月24日 戦闘休止期間に入った日の朝、空を飛ぶハトの群れ。
戦闘休止期間中、ディアさんは、命を失う心配の無い、穏やかな日を過ごしたようです。

少しずつガスや食料などの物資が届き、手に入れるのには苦労しているものの、希望は感じることができると話していました。
11月25日 人々は自分の畑に戻り、収穫できるようになったことで市場に活気も戻った。
11月28日 ガスが搬入され、大勢の人が列を作った。
ディアさんは親戚とともに13時間並んで、12キロ入る容器のうち、半分の6キロを満たしました。

6キロのガスで調理ができるのは数日分だといいます。

一方で、11月24日には、ガザ地区北部で暮らす友人たちに計21回電話をかけたものの、誰にもつながらなかったといい、友人の安否が心配な気持ちは消えていないといいます。

戦闘が再開 ディアさんは

12月1日、戦闘が再開。

ディアさんは、戦闘休止の時、「ガザ地区北部に行って友達や家の様子を見に行こうかな」とも言っていました。

休止期間の延長を信じていたというので、かなりのショックがあったのではと思います。
「私たちの暮らす地域にも空爆が起きています。爆撃の音が響き、子どもたちは恐怖で泣いています」
12月1日 戦闘が再開されたその日の写真。空爆で黒煙が上がる様子が見える。
12月1日 戦闘が開始された日の街の様子。人の姿はまばら。
戦闘再開がされるとすぐに、ディアさんは隣人から、イスラエル軍が上空からまいているという、あるビラの存在を知らされました。

ビラにはアラビア語で「直ちににラファにある避難所に避難せよ。ハンユニスは戦闘が行われる危険な場所だ。これは警告だ」などと書かれていました。
「戦闘休止の前もハンユニスは空爆を受けていて、その時からハンユニスは危険な場所でした。しかし、私たちの住んでいるエリアが『危険な場所だ』と名指しされることはこれまではなく、怖いです」
ラファに避難するのか?と聞くと…。
「避難したほうがよいとは思う。だけど、どこに行けばいいのか?ハンユニスの避難所も満員なのに、ラファに全員が入れる場所があるわけがない」
ディアさんから「7枚の絵」が送られてきて以降、新たな絵は届いていません。

衝突が始まってから、まもなく2か月。

“死の危険”と隣り合わせの日が続いています。

(11月7日 おはよう日本で放送)
おはよう日本 ディレクター
落合 洋介
NHK入局前、NPOの仕事で中東ヨルダンで働く。
2018年入局
沖縄局を経て、現所属。