東ティモール虐殺事件の追悼式 パレスチナとの連帯示す声も

およそ20年前にインドネシアの支配から独立した東ティモールで独立の大きなきっかけとなった虐殺事件の追悼式が開かれ、生存者からは多くの犠牲者が出ているパレスチナに連帯を示す声も聞かれました。

東ティモールではインドネシアの支配を受けていた1991年11月12日、若者を中心とした独立派の住民が抗議集会を行っていたところ、インドネシアの治安部隊が無差別に発砲し、犠牲者は200人以上に上るとされています。

事件から32年がたった12日、首都ディリで追悼式が開かれ、犠牲者の遺族や当時集会に加わった生存者たちが現場となった場所で花を手向けました。

この事件はイギリス人ジャーナリストが現場で一部始終を撮影していたことで国際社会に知れ渡り、東ティモールが2002年に独立を果たす大きなきっかけになりました。

当時、一緒に集会に参加していた弟を亡くした男性は「丸腰だった私たちをまるで動物のように撃った。弟とは一緒にいられぬまま32年がたってしまった」と話していました。

また、東ティモールは多くの犠牲者をともなう激しい武力闘争のすえに独立したことからパレスチナに連帯を示す声も聞かれました。

生存者の男性は「東ティモールも多くの罪のない人々を失い、いま困難に直面している人たちの苦しみを理解できる。占領下にある犠牲者に連帯したい」と話していました。