李克強前首相が死去(68)心臓発作で 中国 国営メディア

中国の李克強前首相が27日未明、心臓発作のため、上海で死去したと国営メディアが伝えました。68歳でした。

2期首相を務め 経済政策全般を担う

李克強氏は安徽省出身の68歳。10代後半だった文化大革命の時期には安徽省内の農村での生活を命じられ、農業に従事しました。

その後、1976年に共産党に入党し、文化大革命後には再開された大学入試で名門の北京大学に入学し、法律を学びました。

共産党ではエリートコースである青年組織、共青団=共産主義青年団に参加し、1993年からは共青団トップの第1書記を務めました。

同じ共青団出身の胡錦涛前国家主席の信頼が厚いとされていて1999年に当時、省長としては最年少で河南省の省長になり、2002年にはトップの書記に就任しました。

その後も、遼寧省トップの書記を務めるなど地方で順調にキャリアを積みました。そして2007年の党大会で、習近平国家主席とともに異例の2階級特進で最高指導部の政治局常務委員に抜てきされました。

2013年からは2期にわたり首相を務め、経済政策全般を担いました。

中国の経済成長が減速する中で構造改革を前面に打ち出す政策を掲げ、李氏の名前にちなんで、「リコノミクス」といわれましたが習主席の権力が強まる一方で李氏の存在感は低下していきました。

李氏はことし3月に憲法上の規定により任期が切れるのにあわせて、首相を退任しました。

国営の中国中央テレビは李前首相が26日、心臓発作を起こし、応急措置が行われたものの日本時間の27日午前1時10分に上海で死去したと伝えました。

中国 NHKの放送 一時中断

中国では、NHKの海外向けテレビ放送「ワールド・プレミアム」で、日本時間の27日正午すぎ、李克強前首相の死去のニュースを伝えた際、カラーバーとともに「信号の異常」などと中国語で表示され、放送の一部が一時中断されました。

中国国内では外国のテレビ局の放送が当局に監視されていて、政府や共産党にとって都合の悪い内容は中断されることがたびたびあります。

放送が中断されたのは「習近平国家主席の権力が強まる一方で、李前首相の存在感が低下し、ことし3月に首相を退任した」と報じた部分で中国当局が、習主席の権力に関する報道に神経をとがらせていることがうかがえます。

習近平氏とともにスピード出世

李克強前首相は、共産党のエリートコースである青年組織、共青団=共産主義青年団に参加し若いころから頭角を現してきました。

同じ共青団出身の胡錦涛 前国家主席の信頼が厚いとされ、2007年の党大会では今の国家主席の習近平氏とともに異例の2階級特進で最高指導部入りするなど、スピード出世しました。

一時は、習近平氏と国家主席の座を争う存在とも目されていましたが、2012年の党大会で、習氏が党トップの総書記に就任する一方、李氏は序列2位となり、習氏より格下になりました。

習氏権力を強め 李氏の存在感は徐々に低下 最高指導部退く

その後、習氏は汚職撲滅を掲げてみずからに抵抗する勢力や批判につながる動きを抑え込み、権力を強める一方で、李氏の存在感は徐々に低下していきました。

その後、李氏をめぐっては健康不安説も報じられ、2019年の全人代では李氏が政府活動報告を行う中で頻繁に顔の汗を拭う様子が注目されました。

こうした中、李氏は2020年5月の会見で「中国では6億人の平均月収が1000人民元程度だ」と述べ収入の低い人が依然として多い実態を認め、貧困対策の成果をアピールする習氏への抵抗ではないかとの見方も出ました。

去年10月の党大会では、当時67歳だった李氏は引退年齢とされる68歳に達していなかったため、最高指導部に留任するとの予想も出ていましたが、結局、退くことになりました。

胡前主席が途中退席する際 李氏の肩たたく 李氏引退に反発か

去年10月の党大会の閉会式

この党大会の閉会式では、胡前主席が途中退席する異例の一幕があり、壇上をあとにする際、李氏の肩をたたく姿が大きく注目され、胡氏が信頼を置く李氏の引退に反発したのではないかとの臆測も呼びました。

李氏はことし3月に首相を退任し、表舞台から姿を消しましたが、かつてライバルともいわれた習主席は、要職を関係の近い人物で固め、みずからへの権力の集中をいっそう進めています。

中国 SNSで検索上位に 突然の死去に衝撃

中国のSNS「ウェイボー」では、李克強前首相が死去したことをめぐる検索がランキングでトップになるなど、国民の間では李氏の68歳での突然の死去に衝撃が走っていることがうかがえます。

「ウェイボー」のコメント欄には「ご冥福をお祈りします」などと追悼のことばの書き込みが目立ちますが、中には制限がかけられ、閲覧できなくなっているコメントもあります。

中国では、李前首相と同じ共青団・共産主義青年団の出身で1980年代に党の総書記を務めた胡耀邦氏が突然、死去したのをきっかけに学生らによる追悼集会が始まり、その後、大規模な民主化運動に発展し、軍が鎮圧した「天安門事件」につながりました。

李前首相の死去をめぐっても、当局は、国民の間に動揺が広がらないよう神経をとがらせているものとみられます。

中国外務省 毛寧報道官「深く哀悼の意」

李克強前首相の死去について中国外務省の毛寧報道官は27日の記者会見で「深く哀悼の意を表する」と述べました。

また、外国メディアが、葬儀の日程や、葬儀に外国の要人が参列するのかなど質問したところ「適切な時期に発表する」と述べるにとどめました。

2018年 日本を公式訪問

李克強前首相は、首相在任中の2018年5月、日中韓3か国の首脳会議にあわせて日本を公式訪問しました。

この際、当時の安倍総理大臣とともに北海道を訪れ、トヨタ自動車の子会社で水素を燃料に走る燃料電池車などを視察したほか、観光牧場にも立ち寄り、訪れた市民らと交流しました。

当時、中国の首相としては8年ぶりの日本への公式訪問で、沖縄県の尖閣諸島などをめぐって日中関係が悪化する中、関係改善を推し進めようとする姿勢をアピールしたものと受け止められました。

北京市民「信頼ができ尊敬」

中国の李克強前首相が死去したことについて、首都・北京の市民からは驚きの声や追悼する声が聞かれました。

このうち50代の会社員の女性は「先ほど、そのニュースを知ったばかりです。まだ68歳なので信じられません」と話していました。

また、80歳の男性は「私たちの共産党のために多くの貢献をしてきた人なので、とても残念です」と感極まった様子で話していました。

40代の会社員の男性は「彼は中国の経済と人々のためにさまざまなことをしてくれました。とても信頼することができ尊敬していました」と話していました。

上海市民「経済発展や生活向上に大きな貢献」

李克強前首相が亡くなったと伝えられている滞在先の上海では、市民の間で驚きを持って受け止められています。

このうち、40代の女性は「朝ニュースで知り、とてもショックです。国にとても大きな貢献をしたと思います」と動揺した様子で話していました。

20代の男性も「とてもショックです。突然のニュースで悲しい。首相として10年間、国の経済発展や人々の生活の向上に大きな貢献をしました。アメリカとの貿易摩擦が激しくなる中、経済成長を維持させることは簡単ではなかったと思います」と話していました。

台湾「大陸情勢引き続き注視」

李克強前首相の死去について、台湾当局で対中国政策を担当する大陸委員会は「ご家族にお悔やみ申し上げる。大陸の情勢を引き続き注視していく」とコメントしました。

岸田首相「日中関係発展に重要な役割」

中国の李克強前首相の死去を受け、岸田総理大臣は、習近平国家主席と李強首相に対し、弔意を表すメッセージを送りました。

この中で岸田総理大臣は「ご逝去の報に接し、深い悲しみに堪えません。李克強・前首相は、2018年の日中平和友好条約締結40周年の機会にわが国を公式訪問されるなど、日中関係発展のために長きにわたり重要な役割を果たされました。ここに謹んでご冥福をお祈りするとともに、ご遺族、中国政府および国民に衷心より哀悼の意を表します」としています。

松野官房長官「日中関係において重要な役割」

松野官房長官は閣議のあとの記者会見で「李克強・前首相は、2018年5月の日中韓首脳会談の際に、わが国を公式訪問されるなど日中関係において重要な役割を果たされた。謹んでご冥福をお祈りするとともに、衷心より哀悼の意を表する」と述べました。

公明 石井幹事長「日中関係に一定の役割果たす」

公明党の石井幹事長は記者会見で「首相だった時に、山口代表が会談しており、私自身も4年前に国土交通大臣として北京で接する機会があった。日中関係にも一定の役割を果たされ、哀悼の意を表したい」と述べました。

立民 小沢衆院議員「実家にホームステイも 中国の国家的損失」

亡くなった中国の李克強前首相と親交があった立憲民主党の小沢一郎衆議院議員はコメントを発表しました。

この中では「突然の訃報に接し、大変驚き、深い悲しみを覚える。お互い若いころからの付き合いで、共青団=共産主義青年団の書記だった李氏が訪日し、日本滞在中にわたしの岩手県の実家にホームステイしたこともあった。まだ若い彼が早く亡くなったことは中国の国家的損失であり、今後の日中両国の友好発展のためにも惜しまれてならない。今はただご冥福をお祈りするばかりだ」としています。