【解説】「王座戦」五番勝負の行方 谷川十七世名人はどう見る

藤井聡太七冠が更新するまで「名人」獲得の最年少記録を持っていた谷川浩司十七世名人(61)に、永瀬拓矢王座との「王座戦」五番勝負について話を聞きました。

ここまでの対局 内容的には永瀬王座か

谷川十七世名人はここまでの対局について、「藤井さんが2勝1敗とリードしていますが、おそらく永瀬さんは王座戦に向けて半年くらい前から準備をしていて、毎局工夫をこらしています。内容的にはどちらかというと永瀬さんの方が押しているのではないか」と指摘しました。

「王座戦」第3局 藤井七冠が終盤で勝負手

「王座戦」第3局

自身が立会人を務め、藤井七冠が逆転勝ちをおさめた第3局については、「最近の藤井さんにしては珍しく序盤の作戦があまりうまくいかなくて、終盤まで永瀬さんの有利・優勢で進んでいました。ただ、藤井さんが終盤で『銀』をぶつける勝負手を放って、それ以降の手に対して永瀬さんが時間を使いすぎてしまった。そのために次の勝負どころで時間が切迫してしまったというのが勝負のあやとしてありました」と話していました。

谷川十七世名人によりますと、相手玉を追い詰める「寄せ」など、“終盤力”に定評のある藤井七冠ですが、ここ最近は、駒組みで万全の体制を整え満を持して攻めていく“横綱相撲”のような将棋も増えてきているということです。

藤井七冠 ギリギリの終盤に持ち込む超一流

今回の「王座戦」の挑戦者決定トーナメントや五番勝負では、藤井七冠は最終盤での逆転勝ちも目立っているとしています。

谷川十七世名人は「形勢が苦しくなることで、藤井さんのもう1つの強さというか、四段や五段のころの終盤力、鋭さやひらめきが際立っています。小学生の頃から詰将棋を解いて自分で作っていたことで、いろんな詰む形や詰まない形を知識として多く身につけ、実際の対局で読む時間を省略できますし、数多く読めるわけです。AIが例えば90対10という評価をしても絶対に逆転をしない90と、1手間違えたら逆の形勢になってしまう90というのもあります。特に藤井さんは、終盤でも勝負手を指して、1手間違えたら逆転してしまうようなギリギリの終盤に持ち込むことも超一流だと思います」と指摘していました。

30年近く前 永瀬王座と同じ立ち場に

「王将戦」(1996年)谷川氏と羽生氏

1996年、日本将棋連盟の羽生善治会長が当時7つあったタイトル独占を達成したときに、残された最後のタイトル、「王将」を保持していたのが谷川十七世名人でした。

谷川十七世名人は「私も30年近く前、羽生さんが七冠を目指しているときに永瀬さんと同じ立ち場でした。勝負の世界は長く、30年、40年と現役で戦い続けるので、主役の立場になることもあれば脇役にまわることもある。脇役にまわることも大変で、それなりの実力・実績が必要です。藤井さんが八冠を目指して挑戦する最後の相手として永瀬さんがふさわしいということだと思います」と話していました。

後世に長く伝えられる勝負に 力を出し切ってほしい

その上で、「第3局のあとの打ち上げで永瀬さんが『自分で変えられないことはもう気にしない』と言っていたのが印象的でした。今回藤井さんが八冠を目指していて、ファンやメディアが大きな注目をしていることはもう変えられないことなので、気にせずに実力を高めて対局の場で100%出すことに専念すると話したことに精神力の強さを感じました。今回の勝負は結果がどうなるか分かりませんが、後世に長く伝えられるものになるはずなので、勝ち負けだけでなく、内容もお互い力を出し切ったものにしてほしい」と期待を寄せていました。

《挑戦受ける“軍曹” 永瀬拓矢王座とは》

永瀬王座と親交深い棋士「すごく真剣で研究熱心」

今回、藤井聡太七冠の挑戦を受けて立つ永瀬拓矢王座について、親交の深い鈴木大介九段(49)に話を聞きました。

鈴木九段によりますと、永瀬王座が17歳でプロ入りしてまもなくのころ、1対1で練習将棋を指す「VS」をさせてほしいと連絡を受けたことが交流の始まりでした。当時、棋士のランクを決める「順位戦」で最上位の「A級」に所属していた鈴木九段は、序盤に「飛車」を横に移動させる「振り飛車」の戦法で知られ、永瀬王座も当初は「振り飛車」を採用していました。

鈴木九段は、「『振り飛車と言えば先生なので勉強したいんです』と急に電話がかかってきて、そのときは『いや、君はそうかもしれないけど私には得るものがないのでお断りします』と言って切りました。それから3回くらい電話がかかってきたので、『1回だけやります。その内容を見て決めます』と言ってVSを始めました」と振り返っていました。

その上で「10時からVSが始まるのですが、私が20分ぐらい前に着いたらもう彼が来て棋譜を並べてウォーミングアップを全部済ませてる状態だったので、こういう子だったら自分も得るものがあると思いました。VSは1か月に1回が暗黙のルールなのですが、永瀬さんは『いつ空いてますか、来週はどうでしょうか』と言って、『来週だと月と金が空いているけど』と言ったら『じゃあ両方お願いします』という感じで、すごく真剣で研究熱心でした」と話していました。

ニックネームは「軍曹」

その後も棋士の仲間たちとルームシェアをするなど交流は続き、朝から夜まで訓練のように将棋に取り組み、当時は後輩にも厳しかったことから「軍曹」というニックネームをつけたということです。

鈴木九段の勧めもあって、20歳のころに「飛車」を移動させない「居飛車」に転向した永瀬王座は、同じ局面を繰り返すことで「指し直し」となる「千日手」が多いことでも知られます。

鈴木九段は、「最初のころは駒をとる将棋で、いわば『町道場のおじさんに勝つ』将棋だったのが、プロになって慣れてくると受け将棋になってきました。ただ切れ味がなくてストレートが120キロぐらいしか出ないので、泥沼に引き込んで体力勝負で勝つことが多かったです。今はかなり洗練された将棋で、攻守のバランスが取れています。終盤も鋭くなってここ数年が永瀬さんの棋士人生の中で一番強い状態ではないかと思います」と評価していました。

勝って最終局にもつれ込んでほしい

そして、ここまで永瀬王座の1勝2敗の「王座戦」五番勝負では、永瀬王座の対局にかける思いの強さを感じたとして「第1局は後手で永瀬さんが勝ったので、先手の第2局で勝てば8割ぐらいの確率で永瀬さんが防衛を果たすと思いましたが、大熱戦になりました。結果的に負けましたが、永瀬さんの心の奥底のマグマみたいなものが出たような感じがして、若いときのガッツというか片りんを見た気がします」と印象を語りました。

その上で、「藤井さんが将棋をやめたら永瀬さんのモチベーションがなくなってしまうのではないかというくらい、一生をかけて追い抜こうとしている相手だと思います。藤井さんに勝つことが将棋界を盛り上げることだという自負もあるでしょうし、今の彼の目の中には藤井さん1人しかいないと感じます。次の第4局は永瀬さんの先手なので、勝って最終局にもつれ込んでほしいです」と話していました。