御嶽山噴火から9年 追悼式で遺族らが黙とう 長野 王滝村

死者・行方不明者が63人に上った御嶽山の噴火から27日で9年です。ふもとの長野県王滝村では追悼式が行われ、遺族などが噴火が起きた時刻に合わせて黙とうをささげました。

平成26年9月27日に起きた御嶽山の噴火では、58人が死亡、5人が行方不明となり、「戦後最悪の火山災害」となりました。

噴火から9年となる27日、ふもとの王滝村で追悼式が行われ、遺族や自治体の関係者などが噴火時刻と同じ午前11時52分に合わせて、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑と、その背後にそびえる御嶽山に向かって黙とうをささげました。

このあと、主催者を代表し、王滝村の越原道廣村長が「噴火から9年を迎えるこの日に改めて人命の安全を第一に考え、火山防災対策にまい進していくことを固く誓います」と述べました。

また、遺族代表として、息子の祐樹さん(26)と、その婚約者の丹羽由紀さん(24)を亡くした愛知県一宮市の所清和さん(61)が「大切な家族を失って9年、本当に時間が止まってしまいました。御嶽山が悲劇を繰り返さない山となることを強く願っています」と述べました。

御嶽山は、山頂周辺での避難施設の整備に伴い、ことし7月から火口近くの尾根「八丁ダルミ」にも入れるようになり、登山者は去年の2倍ほどに増えています。

今も火山活動が続くなかで、長野県は、ことしから9月27日を「信州 火山防災の日」として風化を防ぐ取り組みを強化していて、災害を教訓とした安全への取り組みが続いています。

遺族の心境に変化も “忘れられない節目の年に”

御嶽山の噴火から9年となり、遺族の中には少しずつ心境に変化があらわれてきた人がいます。

息子の祐樹さんと、息子の婚約者の丹羽由紀さんを亡くした愛知県一宮市の所清和さんは、ことし「八丁ダルミ」の立ち入り規制が解除され、2人が亡くなった場所に行くことができました。

さらに8月には妻と、丹羽由紀さんの母親、真由美さんとともに御嶽山の8合目で祐樹さんと由紀さんのための結婚式を挙げました。

7年前に亡くなった由紀さんの父、邦雄さんが結婚式を挙げてほしいと話していたことから実現し、2人をイメージした人形にドレスを着せて行ったということです。

所さんは「やっと息子たちと同じルートから登って亡くなった場所に行くことができました。由紀さんのお父さんは写真での参加でしたが、2つの家族が一緒に8合目で結婚式ができました。噴火から9年目のことしは忘れられない節目の年になりました」と話していました。

そして、気持ちに1つの区切りがついたということで、今後は被害を繰り返さないため、安全な登山を呼びかける活動に力を入れたいとしています。

所さんは「八丁ダルミを登ったところ噴火口が近く、2基のシェルターで大丈夫かと思いました。今後さまざまな調査が進み、安全に登山できることを願うばかりです」と話していました。

遺族 “夫が安全対策の道しるべ”

9年前の噴火で夫の泉水さんを亡くした長野県安曇野市の野口弘美さんは「9年という時間は長いようでとても短くもありました」と振り返ったうえで、「安全対策に対して、夫が道しるべを作ってくれたと思います。御嶽山は活火山であることを忘れずに、噴煙をみたら逃げ出すことを心がけてほしいです」と安全への思いを話していました。

「八丁ダルミ」で不明のおいを思い手を合わせる

噴火から9年となる27日、愛知県刈谷市の野村正則さんは、およそ2か月前に立ち入り規制が解除されたばかりの火口近くの尾根「八丁ダルミ」を訪れました。

当時、野村さんと一緒に登山していたおいの大学生、野村亮太さんは、「八丁ダルミ」で噴火に巻き込まれたと見られ、その後も行方が分からないままです。

野村さんは、噴火が起きた午前11時52分ごろ、最後に亮太さんと別れたあたりで静かに手を合わせました。

そして、噴火当日に亮太さんの写真を撮ってあげたという「王滝頂上」付近に移動すると、そのときの亮太さんと同じポーズをとって記念撮影をしていました。

野村さんは「噴火から9年がたっても亮太を連れて帰って来られなくて申し訳ないという思いで手を合わせました。今後も捜索をさせてもらいたいと思っています」と話していました。