競泳 ジャパンパラ大会最終日 東京で金の木村敬一が優勝

来年のパリパラリンピックで活躍が期待されるトップ選手が出場した競泳のジャパンパラ大会は最終日の18日、男子100メートルバタフライ、視覚障害のクラスの決勝が行われ東京パラリンピック金メダリストの木村敬一選手が優勝しました。

横浜市の横浜国際プールで開かれている競泳のジャパンパラ大会は最終日の18日、男子100メートルバタフライ、視覚障害のクラスの決勝が行われ東京パラリンピックで、この種目の金メダルを獲得した木村選手が出場しました。

東京大会のあとからフォームの改善に取り組んでいる木村選手は「技術的な部分を試す」とレースに臨み、安定感のある泳ぎで1分2秒17のタイムで優勝しました。

木村選手は、ことしの世界選手権で銀メダルを獲得した50メートル自由形、視覚障害にクラスにも出場し、26秒51の大会記録をマークして優勝しました。

世界選手権で6位だった富田宇宙選手は26秒94で2位でした。

また、男子100メートルバタフライ、運動機能障害のクラスは20歳の南井瑛翔選手がみずからが持つアジア記録を0秒38更新する59秒84のタイムで優勝しました。

このほか、女子100メートルバタフライ、知的障害のクラスは17歳の木下あいら選手が1分7秒32の大会新記録で優勝しました。

木下選手は、今大会合わせて6種目に出場し、5冠を達成しました。

木村敬一「感覚としては満足」

木村敬一選手は100メートルバタフライについて「予選はうまくいかなかったが、決勝はスピードがまだ足りていないところはあるが、技術的なところではキックを打ちたい場所で打てていたし腰も高い位置で泳げていた気がするので、泳いだ感覚としては満足いく形だった」と振り返りました。

また、先月の世界選手権で日本記録を更新した50メートル自由形については「やってきたことが完璧なところまではいかなかったと思うがタイムは世界選手権前のベストよりも速いので、安定してきたと思う。精度をさらに上げて安定させたい」と話していました。

その上で、東京大会のあとから取り組んでいるフォームの改善などについて「まだ30点ぐらいだと思う。僕の実感だけでなくて、いろいろな人からの映像を見てのフィードバックをもらいながらやっていきたい」と話しました。

南井瑛翔「スタートラインに立ててほっとしている」

男子100メートルバタフライでアジア記録を更新した南井瑛翔選手は「ふだんは力んでしまうところがあったが今回は自信があったので、落ち着いてレースを展開することができた。パリパラリンピックまで1年を切る中、やっとスタートラインに立ててほっとしている」と笑顔で振り返りました。

南井選手は今大会、男子200メートル個人メドレーに続いて、2日続けてアジア記録を更新しました。

ことしの世界選手権ではいずれの種目も決勝に残れなかったことを踏まえ「このタイムを出していれば決勝には残れたので、この悔しさを来年のパリ大会にぶつけられるよういいところは継続して、だめなところをもう1回洗い出して取り組んでいきたい」と話していました。

木下あいら「パラリンピックではいちばんいい色を」

木下あいら選手は今大会6種目目となった100メートルバタフライについて「予選では後半に体が動かなくなってしまったので、決勝ではそういうことがないようにと思って準備したが調子のいい時よりは止まってしまった。タイムは満足はしていないが、最終日なのでいいかなと思う」と振り返りました。

今後に向けては「来月の中国・杭州でのアジアパラ大会で1つでも多く金メダルを取るのが目標。そして、世界選手権ではタッチの差で負けてしまったので、パラリンピックではいちばんいい色を取れるように頑張りたい」と意気込んでいました。

山田拓朗 現役最後のレース

パラリンピックにアテネ大会から5大会連続で出場したパラ競泳の山田拓朗選手が現役最後のレースで力強い泳ぎを見せ、およそ20年の選手生活に別れを告げました。

山田選手は兵庫県三田市出身の32歳。

生まれた時から、左腕の肘から先がありません。

3歳の時に水泳を始め、パラリンピックには13歳の時に史上最年少で初出場したアテネ大会からおととしの東京大会まで5大会連続で出場。

2016年のリオデジャネイロ大会では50メートル自由形で銅メダルを獲得しました。

東京大会のあと、腰や肩、それに首と、相次ぐけがに苦しんだことなどから1年半ほど前に引退を決断した山田選手。

ジャパンパラ大会最終日の18日、現役最後のレース、男子50メートル自由形、運動機能障害のクラスの決勝に臨みました。

山田選手は伸びのある泳ぎでスピードに乗りましたが、大学生の岡島貫太選手にわずか0秒32差で競り負け、2位でした。

大会のあと会場ではともにパラリンピックに出場した木村敬一選手や鈴木孝幸選手など大勢の人たちが参加して花束が贈られたあと皆から胴上げされ、およそ20年の選手生活に別れを告げました。

山田選手は「いろいろな故障があって、トレーニングが積めず思うようなパフォーマンスが出せなくなった。水泳を始めた当初はこんなに長くやっているとは思わなかったが、すべてを出し切り悔いなく終われてよかった」と振り返りました。

そして最後に、今後について「まだはっきり決まったものはないが、大会やパラ水泳を盛り上げていけるような取り組みを頑張っていきたい」と晴れやかな表情で話していました。