又市征治氏が死去 社民党の前党首

社民党の党首を務めた元参議院議員の又市征治氏が、18日、亡くなりました。79歳でした。

又市氏は富山市出身で、高校卒業後、富山県庁の職員を経て、自治労富山県本部の執行委員長などを務めました。

そして2001年の参議院選挙の比例代表で社民党から立候補して初当選し、3回連続で当選しました。

この間、社民党の副党首や幹事長などを歴任しました。

2009年の鳩山政権の発足に伴い、社民党が当時の民主党、国民新党とともに連立政権に参加した際には、又市氏は副党首として政権運営を支えました。

しかしアメリカ軍普天間基地の移設問題で政権内の意見の食い違いが表面化したため、社民党はその後、連立政権を離脱しました。

又市氏は、2018年に党の再建を目指して党首選挙に立候補し、無投票で当選しました。

翌・2019年には肺がんが見つかったことを公表し、その年の参議院選挙には立候補せず、翌年の任期満了に伴い、党首を退任しました。

この間、党首として社民党と当時の立憲民主党との合流協議に尽力し、一部の社民党の国会議員や地方組織が立憲民主党に合流する道筋をつけました。

又市氏は憲法を守る立場から集団的自衛権の行使を可能とした安全保障関連法や憲法改正に反対する姿勢を貫きました。

関係者によりますと、18日午前、富山県内の病院で亡くなりました。

79歳でした。

吉田忠智氏「驚きで残念」

又市氏の前任の社民党党首で、現在は立憲民主党大分県連の代表を務める吉田忠智氏は、NHKの取材に対し「政治家の後輩として、ただただ驚きで残念でならない。又市さんが党首だった時に立憲民主党への合流をめぐって2人で議論を尽くしたことが、とても印象に残っている。又市さんは話が明快で分かりやすく、まだまだ指導していただきたかった。これまでの経歴に敬意を表すとともに、ご冥福をお祈りする」と述べました。