信長に仕えた時期の豊臣秀吉の書状確認 SNS投稿きっかけに解読

戦国時代、豊臣秀吉が織田信長に仕えていた時期に、合戦に早く駆けつけた自分の家臣に対し、褒美を受け取るよう伝えた書状が静岡県内の一般の住宅に保管されていたことが、東京大学史料編纂所の研究者によって確認されました。信長の家臣だった時期の秀吉の動向が分かる書状が発見されるのは珍しく、持ち主が書状の写真をSNSに投稿したことをきっかけに、解読が進んだということです。

この書状は静岡県在住の宮田岳さんが、豊臣秀吉に仕えたと伝わる先祖のものとして実家で保管していたもので、書状の写真をことし6月、SNSに投稿して広く解読を求めました。

これが、戦国時代の史料の収集と分析が専門で、東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授の目にとまり、宮田さんと連絡をとって実物の解読が行われました。

その結果、署名にあたる花押が秀吉のものであることや、紙の質や筆跡の特徴などから、秀吉が側近に書かせた書状だと確認されたということです。

「天王寺」の地名や天正4年の日付から、現在の大阪市で行われた織田信長と一向一揆の戦いに秀吉が加わった際、みずからのもとに早く駆けつけた家臣に対し、褒美を受け取るよう書かれたとみられます。

村井准教授によりますと、この合戦に秀吉が加わっていたことは、信長の人生をまとめた江戸時代の文献「信長公記」の記述にありますが、当時の書状で裏付けられたのは初めてだということです。

また、これまでに確認されている秀吉の書状は、信長の死後のものがほとんどで、秀吉が信長に家臣として仕えていた時期のものが新たに見つかるのは珍しいということです。

村井准教授は「年代も確定できる史料はめったになく、信長の家臣だった秀吉の武将時代の動向が分かるものが出てきたことは非常に価値がある。SNSで出てきて非常にありがたい」と話しています。

また、書状の写真を投稿した宮田岳さんは「気軽に行った投稿が新たな発見につながったことに驚いています」と話していました。