処理水のフェイク情報と新たな風評被害 化粧品の不買運動も

処理水の放出をめぐって、いま国や市民を巻き込んだ“情報戦”ともいうべき状況が起きている。

政府やメディアが反発の姿勢を強める中国ではSNS上に過激な投稿があふれ、それにあおられた市民が日本へ嫌がらせの電話をかける事態にまで発展。

さらに、フェイク情報によって日本の化粧品が買い控えられるという新たな風評被害まで。いま何が起きているのか、データから実態に迫る。

(8月28日放送「クローズアップ現代」取材班)

日本へ“電凸”の呼びかけも

東京電力福島第一原子力発電所にたまる処理水の海への放出が始まった8月24日以降、福島県をはじめ全国各地の自治体や飲食店、学校、それに個人の住宅などに中国の国番号から始まる国際電話の着信が相次いでいる。

中には、一方的に暴言を吐いたり、ののしるようなことばを使って処理水をめぐる対応に抗議するような内容もある。

そうした中国からと見られる電話。

中国のSNS「ウェイボー」では、日本を非難するよう呼びかける投稿が相次いでいる。

投稿の中には「『核汚染水』を海に流した日本を非難したい人は、この番号に電話してください」という文言などが記載されたものもある。

東京都内の施設に電話をしたとされる動画では、男性が「なぜ『核汚染水』を海に放出するのか」などと一方的に中国語で話す様子がうつされていた。

中国SNSの実態「不満」と「恐れ」

NHKは、サイバー空間のSNS分析などを行っている都内の調査会社と共同で、ALPS処理水の海洋放出の前後で中国国内でのSNS上の投稿の変化などについて分析した。

分析に使ったメインのワードは「核汚染水」「核汚水」「核廃水」の3つ。

対象は中国で広く使われているSNSの「ウェイボー」だ。

放出前の8月18日から放出後の25日までのおよそ1週間のデータを収集した。

顕著な変化が見られたのは、ALPS処理水の海洋放出が始まった8月24日だった。

「日本が核汚染水を海に放出開始」というハッシュタグが付けられた投稿が、放出開始からわずか3時間で、12億7000万件以上の閲覧と、36万件を超えるコメントが投稿された。

投稿数は、21日には少し減っていたものの、その後は徐々に増え、放出開始の24日は前日の倍以上の335件にのぼった。

投稿をさらに詳しく見ていく。

まず、投稿内容について「肯定的」か「否定的」に語られているかをAIで分類してみると、調査した期間は批判的な内容がほぼすべてを占めていた。

さらに、投稿内容を「怒り、不満、恐れ、喜び、悲しみ」といった5つの感情で分類した。

すると、海洋放出が行われた24日をピークに「不満」と「恐れ」の2つの感情を含んだ投稿が、顕著に表れていることが分かった。

多く見られたのが、SNSなどで日本から発信されたと思われる「海洋放出に批判的な日本語のコメント」を引用した投稿だった。

多くは日本語が中国語に翻訳され、中国国内で拡散されていた。

さきほどのハッシュタグが付けられた、あるアカウントの投稿内では「東北の太平洋側の魚は数年食べないようにします」など、日本語のSNSのコメントが引用され、1万2000の反応を集め、広く拡散されていた。

ユーザーから多くの反応を集めた上位20の投稿のうち12が、国営の中国中央テレビや中国共産党の機関紙など政府や党直属のメディアのアカウントだった。

中国などの情報戦を分析している調査会社のアナリストは、こうしたデータから、中国のねらいを「主張の正当性」「外交」「内政」の側面から指摘した。

テリロジーワークス 陶山航スペシャリスト
「日本発の否定的な言説が図らずも中国に広く利用されてしまっている現状がある。中国としては『日本国内でさえ放出に反対している人がいる。そうした中で日本政府は断行した。どうして中国が納得できようか』というロジックに、日本のコメントを引用することで説得力を持たせたいねらいがあると考えられる。処理水の放出は、日本に強い態度で臨むための外交カードとして利用されている。また、中国は国内に経済や社会問題も抱える中、批判の矛先を日本に向けることで、国内内部の問題に目を向けないねらいがあるとも考えられる」

中国の情報発信については、中国の外交問題に詳しい東京大学の川島真教授も次のように分析している。

川島真教授
「おそらく中国としては、外交的に取引材料をつくるとか、あるいは国際的に日本に対してネガティブなイメージを作る。これは明らかに宣伝政策として進められているということです。加えて、書き込みの内容を見ても、ほぼ同じ方向の内容になっているので、おそらくは、そういったキャンペーンを張りつつ、同時に、そうした中国共産党の意見に反対するものを消していく、そういうこともやっていると思います。外国の問題に対しては、多くの方(市民)は情報を持っていないので、そうなると政府系メディアの影響力が依然強く、そうしたメディアに頼った認識を持つようになりがちであるということはあると思う」

韓国でも反発広がる

一方、韓国政府は放出に関して賛成・支持の立場ではないとしながらも、放出決定にあたって記者会見で「科学的・技術的問題はないと判断した」と述べている。

しかし、韓国の市民の間では処理水放出に関する反発の感情が巻き起こっていることが、SNSのデータからは見て取れる。

韓国語で「汚染水」を含むX(旧ツイッター)の投稿の数を分析ツールで集計すると、ことし5月ごろから投稿が増加しはじめ、放出が決まった8月下旬にはさらに増加し、8月1日から26日までにリポスト含めて約70万件投稿されていた。

そのほとんどは処理水放出に反対する内容で、子どもたちの健康を不安視する投稿や、反対デモへの参加を呼びかける投稿が多くリポストされていた。

さらには、処理水の安全性を紹介する岸田総理大臣のフェイスブックの投稿に韓国語で「汚染水放出をすぐにやめろ」「歴史に残る犯罪だ」といった多くのコメントが書き込まれるなど、反対する韓国の市民によるネット上での運動が過熱している。

相次ぐフェイク情報 韓国・中国からも

中国・韓国で反発や不安が広がるなか、SNSやネット上には処理水をめぐるフェイク情報も拡散する事態となっている。

6月、韓国のメディアを名乗るアカウントが動画投稿サイトに「日本がIAEAに政治献金を行った」などとする動画を投稿。

動画で紹介された外務省のものとされる文書では、処理水に関するレビューを行うIAEAと第三国専門家の意見の相違を解消するために、日本政府がIAEAに対して100万ユーロ以上の政治献金を行ったことなどをうかがわせる内容が記載されているとしていた。

しかし、この文書はうそだった。

動画では、日本原子力研究開発機構の研究員の男性が写真付きで紹介された上で、文書では、この人物があたかもIAEAとの調整を行ったかのように記載されていたが、この人物は、処理水とは全く無関係の担当者だった。

私たちがこの研究員に直接取材したところ「全く身に覚えがない」と答え、ネット上の顔写真が無断で悪用されていたことがわかった。

日本の外務省は、「事実無根だ」と反論を行ったほか、韓国政府も「フェイクニュースである」と結論づけるなど国際社会を巻き込んだ問題に発展した。

また、中国系とみられるSNSのアカウントが、日本語で拡散している真偽不明な情報やフェイク情報も見つかった。

特に7月から8月にかけて拡散したのはこれらのイラスト。

日本人アカウントの間で拡散している。

中には、核燃料に触れた水が「そのまま海に放出される」と、誤解させるような書き込みがされている投稿も見られた。

このイラストを調べていったところ、文字は異なるものの同じ絵柄を使ったものが、数年前に中国語のXアカウントやブログで投稿されているのが確認できた。

数年前のこの絵柄が使い回される形で、中国系のアカウントなどが日本語で投稿したり、日本にある中国大使館のアカウントがリポストするなどして、日本人の間でも広がったとみられる。

さらに、全くのフェイク情報も広がる事態に。

「ドイツの研究機関のシミュレーション」として、処理水が世界に広がっていく様子を示したものだとする画像。

日本語で発信する中国人インフルエンサーが投稿した。

しかし、実際にはアメリカのNOAA(海洋大気局)が東日本大震災のあとで津波の広がりを示した画像だった(この投稿はすでに削除されている)。

こうした投稿が広がる背景には、中国・韓国だけでなく日本でも放出に反対する声が広がっていることもある。

X上には、処理水の放出に反対するハッシュタグが放出開始前後からトレンド入りするなど関心が高まっていて、関心の高まりにあわせて賛成・反対の双方からさまざまな情報が飛び交い、そのなかに真偽が不確かな情報も入り込んでしまっているのが現状だ。

日本製品の不買運動 新たな“風評被害”

こうしたフェイク情報の広がりは、新たな風評被害を引き起こしている。

標的となっているのが『日本の化粧品』だ。

6月、中国のSNS上で「放射線の影響を受けている日本の化粧品リスト」というフェイク情報が拡散した。

中国語で「特に妊婦さんや授乳中の方々は安全性を常に最優先に考えて製品を選択してください」などと不安をあおっている。

これにより、中国国内では日本ブランドに対する強い不信感が広がった。

このフェイク情報が拡散した6月初旬から中旬にかけては、中国で国内最大のECセールが開催されていた時期と重なる。

都内のマーケティング会社が、日本製品のECサイトでの販売動向を分析した結果、日本の化粧品の取引額が例年に比べ、大きく減少していた。

会社の分析によると、中国でも人気が高い日本の化粧品トップブランド5社の、6月5日から2週間の取引額は、前の年の同じ時期と比較して、複数のサイトで合わせて2億元、日本円にしておよそ40億円も落ち込んでいたことがわかった。

その後の詳しい調査で、サイトのカスタマーサポート宛てに「原産地はどこか」、「本当に安全なのか」など利用客からの問い合わせが増え、返品率が上昇したことが明らかに。

さらに、多くの中国人インフルエンサーが、炎上リスクを避けようと、日本企業から依頼されていた商品PRを拒否するなど、販売促進活動が頓挫したことも売り上げの減少に影響したとしている。

マーケティング会社の担当者
「中国国内では消費を減退させるようなニュースが非常に増えていて、情報が真実かどうか意識されないまま、社会的な不安が広がっている。中長期的に中国でビジネス活動をするのであれば、コストはかかるものの、商品全量の放射線検査をして、安心感を証明し、中国の消費者に届けていくということをやらなければ、デマで広がった不安感を覆すのは難しいと思います」

処理水の海洋放出以降、中国の消費者の不信感はさらに高まっている。

海洋放出が始まった24日には「ウェイボー」で一時「日本化粧品」が検索ワードのトップになったほか、中国の国営通信社が実施した「今後も日本の化粧品を買うか」というネットアンケートでは、回答したおよそ1万8000人の99%以上が「買わない」と回答している。

こうした動きに対し、日本の複数の化粧品メーカーは、中国国内向けのサイト上などで「中国で販売されている商品はさまざまな基準を満たしていて安全性に問題ない」などと説明している。

そのなかの1つ化粧品大手・資生堂のグループ会社がNHKの取材に対し、「全世界のお客さまに安全で高品質な商品を提供するため、極めて厳格な法規や指針に従って製品を製造しています。今後も、動向を見極めながら、適宜適切な対応をとって参ります」と答えた。

“情報戦”対策強める外務省

国や市民を巻き込んだ“情報戦”ともいえるこの状況のなか、外務省は科学的根拠や事実に基づかないフェイク情報への対策を強めている。

フェイク情報について、AI=人工知能を使って情報収集を行い、事実に基づかない情報を見つけた場合には削除を求め、反論するとしている。

6月に韓国のメディアを名乗るアカウントが発信した「日本がIAEAに政治献金を行った」などとする動画に対しては、外務省はすぐさま「事実無根であり、日本政府としてこのような無責任な偽情報流布に対し、強く反対する」としてその内容を否定。

さらに、8月に公開された外務省の公電とされる文書に対しても、外務省は「全くの偽物」ときっぱりと否定した上で、「手段を選ばない悪意のある偽情報の拡散は、自由や民主主義に対する脅威であるほか、復興に向け努力する人々の感情を大きく傷つけるものであり、断固として反対する」などとする声明を発表し、強く非難している。

外務省軍縮不拡散・科学部国際原子力協力室はNHKの取材に対し、「文書の偽造などあたかも真実かのように見せかけた特に悪質な偽情報だ。誤った情報やデマは速やかに正していくことが風評の払拭(ふっしょく)につながる」と話している。

また諸外国の理解を求めていくために、SNSを活用して英・中・韓・スペイン語など10か国語で情報発信しているほか、現地の大使館は、誤った情報や偽情報の一つ一つを訂正するQ&AをHPに掲載するなどして風評の払拭に努めている。

安全性の発信どうすれば

国の有識者会議の委員を務めた福島大学の小山良太教授は、各国に対して、日本政府が安全性の発信を継続していくことが大事だと話した。

福島大学 小山良太教授
「中国との国際関係で言うと、何を言っても無駄だという人もいるが、そこできっちり回答した、誠実に回答したという事実はのちのちに効いてくる。関係は必ず変わるので、今やれることをやっておくことで次につながる。国際世論も味方につけていく必要はあるので、日本が誠実に一つずつ回答している姿を見せるのは重要だ」

一方で、各国の理解を得ていくには、各国の科学者どうしの交流など、科学的な発信だけではない取り組みも必要だとしている。

「いかに理解してもらえる仲間を増やすか、理解者を増やすか、結局ここに尽きると思うし、いまからでも遅くはない。政府どうしの関係だけに頼っていると理解を進めるのはなかなか難しい。政治的な対立が影響を及ぼしてしまうのはわかっているので、そこを一つずつ解きほぐしていくしかないのではないか」

情報に冷静に向き合う

処理水放出が開始されたあとも、日本や中国、韓国のSNSでのその是非をめぐる議論はとどまる気配をみせていない。

もちろん、建設的な議論は続けていかなくてはならない。

しかし、とりわけSNSでは、議論が過熱し、フェイク情報だけでなく、一方的なレッテル貼りや誹謗中傷と感じる投稿も広がっている。

そして、ネット上のそうした情報の拡散や混乱が、世論を動かし、結果的に不買運動などにも発展している。

ネット上の分断が、社会や国家間の分断をこれ以上広げないように、何よりまず、一人一人が情報に冷静に向き合うこと、そして立場を異にする人と相互理解を進める丁寧なコミュニケーションを心がけていくことを、改めて肝に銘じたい。

(科学・文化部 植田祐・島田尚朗・長谷川拓 メディアイノベーションセンター 斉藤直哉)