沖縄からの疎開船「対馬丸」から生還 平良啓子さん死去 88歳

太平洋戦争中の79年前、沖縄から九州に向かう途中、アメリカ軍に撃沈された疎開船「対馬丸」から生還し、自らの体験を語り継いできた平良啓子さんが29日、大動脈解離のため亡くなりました。88歳でした。

対馬丸は、太平洋戦争中の昭和19年8月22日、沖縄から疎開する子どもたちなどを乗せて長崎に向かう途中、鹿児島県の悪石島の沖合でアメリカ軍の潜水艦に撃沈され、800人近くの子どもを含むおよそ1500人が犠牲になりました。

対馬丸に乗っていた当時9歳の平良さんは、撃沈されたあと、油まみれになりながら漂流する樽にしがみついて九死に一生を得ましたが、投げ出された子どもたちがサメに襲われる惨状に直面するなど、過酷な体験を踏まえ、二度と戦争を繰り返してはならないという思いで、自らの体験を精力的に語り継いできました。

去年秋の講話で平良さんは「戦争体験者が減ってきているので焦っている。語り継ぐ後継者を育てないといけないと思う」と話し、来月も複数の講話が予定されていたということです。

那覇市にある「対馬丸記念館」によりますと、平良さんは29日午前10時23分、名護市内の病院で大動脈解離のため亡くなったということです。

88歳でした。