青木幹雄 元自民党参院議員会長が死去 官房長官など歴任 89歳

官房長官や自民党の参議院議員会長などを歴任し、政界への大きな影響力を持った青木幹雄氏が11日夜、老衰のため亡くなりました。89歳でした。

青木氏は、島根県出身で、竹下登元総理大臣の秘書や島根県議会議員などを経て、昭和61年の参議院選挙で初当選して以降、参議院議員を4期務めました。

小渕内閣で官房長官として初入閣(1999年)
1999年には、自民党の参議院幹事長から官房長官として初入閣し、小渕内閣を支えました。

翌年、小渕総理大臣が緊急入院したあと総理大臣臨時代理に就任して内閣総辞職から森内閣発足までの対応にあたりました。

小渕氏の後継を決める際には、青木氏や、当時自民党幹事長だった森氏ら5人の会談が行われましたが、臨時代理就任の経緯が不透明だという批判も出されました。
小泉首相と話す青木参院議員会長(2006年)
再び、党の参議院幹事長に就任した青木氏は、2003年の党総裁選挙では、所属する橋本派の候補ではなく、当時の小泉総理大臣の再選を支持しました。

その後、参議院議員会長を務め、とりわけ参議院では、野党側にも幅広い人脈があり、大きな影響力を持っていたことから「参議院のドン」とも呼ばれましたが、2007年の参議院選挙で自民党が大敗した責任をとって議員会長を辞任しました。
2010年の参議院選挙ではいったんは立候補を表明しましたが、体調不良を理由に取りやめ、長男の一彦氏があとを継ぎました。

引退後も岸田総理大臣が党総裁選挙の立候補のあいさつに訪れるなど、政局の節目では影響力を持ち続けました。

政治家どうしの関係について青木氏は、「公の役職がない時の人間関係ほど強いものはない」と周囲に話していて、早稲田大学の学生時代から縁のあった森元総理大臣との関係の深さはよく知られていました。

また政権の安定度を見る際に、みずからの経験から、各種の世論調査の内閣支持率と与党第一党の政党支持率を足した数字が50を下回ると、政権運営は厳しくなるとの見方を示していたことでも知られています。

最近では去年8月と11月に森氏も交えて、食事をともにしていましたが、青木氏は、11日夜、老衰のため亡くなりました。

89歳でした。

参議院によりますと、葬儀などは、近親者のみで執り行われ、後日、地元の島根県で「お別れの会」が予定されているということです。

自民 役員会の出席者全員で黙とう

自民党は12日夕方の役員会に先だって、岸田総理大臣をはじめ役員会の出席者全員で黙とうしました。岸田総理大臣は役員会で「青木氏は、日本の政治史に大きな功績を残された。ご逝去にあたり、心から哀悼の意を表させていただく」と述べました。

【自民党の関係者コメント】

岸田首相「公平無私で筋を通す政治家」

岸田総理大臣は、総理大臣公邸で記者団に対し「改めて哀悼の誠を表させていただく。政治家として公平無私な方で、筋を通される方だった。日本の政治において偉大な功績を残された方だったと改めて振り返っている」と述べました。その上で「去年11月に早稲田大学の大隈庭園を2人で歩きながら話をしたのが直接お会いする思い出としては最後になった。その際に大変温かく励ましていただき、激励をしていただいたことには本当に感謝の思いでいっぱいだ」と述べました。そして「今、日本の政治、国際社会が大変な時代を迎え、歴史的な転換点を迎えていると感じているが、青木氏の政治にかける情熱を今一度しっかりと振り返り、かみしめながら私も努力を続けなければならない。それが青木氏のご指導に報いる道であると信じて、これからも努力していきたい」と述べました。

松野官房長官「与野党超え信頼を集めた方」

松野官房長官は午前の記者会見で、「国政において大きな功績を残された青木元官房長官のご逝去にあたり、心から哀悼の意を表したい。私が当選した直後に、同じ大学の後輩として、いろいろと話を聞かせてもらう機会があった。与野党を超えて信頼を集めた方であり、政治家として働くにあたっては信頼関係を大事にしていくという政治姿勢を尊敬している」と述べました。

自民 森山選対委員長「寂しいかぎりだ」

青木氏が自民党の参議院幹事長を務めていた当時、参議院議員だった自民党の森山選挙対策委員長は、NHKの取材に対し「地方議員の時代から節目節目でお世話になっていた。私が国政に出た時も、参議院議員から衆議院議員に変わる時も青木さんのお力があった。同じ地方議員出身の政治家として非常に学ぶべきところがあったので、寂しいかぎりだ」と述べました。

自民 石破元幹事長「地方のことをよく思う政治家」

青木氏と同じ派閥に所属した経験があり、2018年の総裁選挙では青木氏が影響力を持った当時の竹下派の参議院側から支援を受けた自民党の石破元幹事長は、NHKの取材に対し「本気で総理大臣になってほしいと思うほど、地方のことをよく思う政治家だった。竹下元総理大臣の『竹下イズム』を引き継いだ方で、戦争を知る政治家がまた1人亡くなり寂しいかぎりだ。どれだけの政治家が、残されたものを引き継げるかが大事だ」と述べました。

自民 中曽根元外相「参院の存在感と国政の発展に大きく貢献」

青木氏と同じ、昭和61年の参議院選挙で初当選した自民党の中曽根元外務大臣は、NHKの取材に対し「本当に残念でならない。小渕内閣で一緒に初入閣した初当選の同期であり、参議院の存在感を高め、国政の発展に大きく貢献された。心からご冥福をお祈りする」と述べました。

自民 森元首相「野党から与党へ復帰過程で大きな支え」

森元総理大臣は、NHKの取材に対し、「自民党が野党から与党に復帰する過程において、幹事長を当時務めていた私の大きな支えとなってくれた。それだけでなく、その後の森、小泉、福田、麻生、安倍の歴代政権でもかげからずっと支えてくれた。連立を組む公明党との関係も大事にしてくれて、大変ありがたい存在だった。去年、会食した際、岸田総理大臣を『元気に、しっかり頑張れ』と激励していた。学生時代から70年のおつきあいで、心からご冥福をお祈りする」と述べました。

亀井静香氏「参院のドンで政界の巨大な存在」

自民党の政務調査会長などを務め小渕元総理大臣の後継を話し合った5人の会談に参加した亀井静香氏はNHKの取材に対し「参議院のドンで政界の巨大な存在だった。『巨星おつ』だ。政治や外交が正念場となる中で重しのような存在がなくなり、保守政権の痛手ではないか」と述べました。

また、「小渕元総理大臣の後継を青木氏らと話し合ったのが思い出で、青木氏は自分から積極的にリードするタイプではなく、全体の雰囲気をまとめていこうという人だった」と振り返りました。

細田衆院議長「国政や郷里の島根県の発展に多大な貢献」

青木氏と同じ島根県選出の細田衆議院議長は「県議会議員や参議院議員として、長く竹下元総理大臣とともに県政や国政を担われた。官房長官や自民党参議院議員会長などを歴任し、国政や郷里の島根県の発展に多大な貢献をされた。ご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈りする」というコメントを発表しました。

自民 古賀元幹事長「盟友であり同志であった」

青木氏とともに小渕政権や森政権を支えた、自民党の古賀元幹事長は、東京都内で記者団に対し「自民党だけでなく、野党も含めて友人がたくさんいて、非常に義理人情や縁を大事にされる方だった。派閥の全盛期に、ご指導頂き、一緒に修羅場を乗り越えた意味では、盟友であり同志であっただけに残念な気持ちだ。ここ何か月か、お目にかかることができず『少し足が弱ったので、静養している』という話だったので、訃報に接しびっくりした」と述べました。

また、政界への影響については「他派閥のことだが、茂木派でいろんな動きが出てくるのは仕方ないことだ。それだけ青木氏の影響力や信頼度は高かったわけで、岸田政権ができた時も陰で支えていただいた」と述べました。

自民 二階元幹事長「何度も伺い 指導を頂いた」

青木氏と同じ、平成11年に運輸大臣として初入閣し、青木氏の事務所がある建物に派閥の事務所を構えている自民党の二階元幹事長は「初入閣に際し、青木官房長官から連絡いただいた時のことを今でも覚えている。同じ『砂防会館』に事務所を構え、私が幹事長の時に何度も伺い、指導を頂いた思い出がある。これまでの功績に改めて敬意を表すとともに、心よりご冥福をお祈りする」というコメントを出しました。

自民 関口参院議員会長「人を立てながらみんなをまとめた」

かつて青木氏も務めた参議院自民党の現在のトップである関口参議院議員会長は、記者会見で「本当に残念で残念でしかたない。青木氏は私の議員会長としての目標だった」と述べました。そして「『参議院のドン』というイメージがあるが、青木氏自身は、自分がドンだなんて意識は持っておらず、人を立てながらみんなをまとめた。『俺がやった』なんて言い方では 絶対にうまくいかないという意識について、私も勉強させて頂いた」と述べました。

青木氏の長男 青木一彦参院議員「義理人情を重んじた」

青木氏の長男の青木一彦・参議院議員は記者団に対し「大型連休が過ぎてから体の調子を崩し、病院で過ごしていてだんだん食も細くなっていた。家族で見送ることができ、本人も思い残すことはなかったと思う」と述べました。その上で「本当に分け隔てなくいろいろな人と付き合いをさせて頂き、中央政治の場で仕事ができた。とにかく重んじていたのが義理人情で、同志をしっかり見つけて政治を行ってきた。参議院のあり方を大事にしていたので、その遺志をしっかりと受け継いでいきたい」と述べました。

自民 小渕元経産相「政治の親代わり 心に大きな穴」

小渕元総理大臣の次女の小渕優子・元経済産業大臣は記者団に「父が総理大臣の時には女房役として、青木氏しかいない役目をしてもらった。父の亡き後は、私の政治の親代わりで、初当選以降は青木ファミリーの末席に置かせてもらい、あたたかくご指導頂いた。島根の柔らかいことばで『がんばらなきゃいかんわね』と励ましてくれたが、ことば自体に本当に重みがあった。本当に残念で寂しく、心に大きな穴が開いてしまった」と述べました。

自民 額賀元財務相「総理大臣をつくった参謀役」

小渕内閣で青木官房長官のもと、官房副長官を務めた自民党の額賀・元財務大臣は、NHKの取材に対し「5月の連休明けごろから体調を崩して入院したと聞いていたが、残念だ。派閥から竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三の3人の総理大臣を輩出した際、私は青木氏の走り使い役だったが、青木氏は事実上、総理大臣をつくった参謀役だった。果断に決断し実行に移す手際のよさと人脈の広さはまさに大きな政治家そのものだった」と述べました。

自民 茂木幹事長「長年の功績に敬意 志を継承」

青木氏が所属した派閥で、現在、会長を務める自民党の茂木幹事長は、記者会見で「体調を崩していたとは聞いていたが、突然の訃報に接し、悲しみの念でいっぱいだ。幅広い人脈や豊富な経験のもとで、さまざまな重責を担ってきた長年の功績に敬意を表し、心よりお悔やみを申し上げる」と述べました。そのうえで「同じ派閥の大先輩であり、衆議院と参議院の枠を超えて、温かい指導を賜ってきた。派閥として、いっそう結束を図り、さらなる発展に努めることで、青木氏の志や功績を、みんなでしっかりと受け継いでいきたい」と述べました。

【地元・島根県内の関係者コメント】

島根県 丸山知事「長年にわたる多大な功績に深く敬意と感謝」

青木幹雄氏が亡くなったことを受け、島根県の丸山知事は報道陣の取材に応じ、県議会の最中に一報を耳にしたと明かしました。

そのうえで、「突然の訃報に驚くばかりだ。半世紀以上にわたり、島根県や日本の発展のために大変なご尽力をいただいた。長年にわたる多大な功績に深く敬意と感謝を表したい。安らかにお眠りいただき、われわれ残る者の努力を見守っていただけたらとの思いだ」と述べました。

自民 島根県連 絲原幹事長「島根の発展に大きな役目」

青木幹雄氏が亡くなったことを受け、自民党島根県連の幹事長を務める絲原徳康県議会議員は12日、県議会が開会する直前に一報が入ったと明かし「詳しいことが分からず、まだ何も申し上げることはできないが、大変なことだ。自民党島根県連でも最高顧問の立場にあり、島根の発展に大きな役目を果たした人だ」と述べました。

自民 島根県連 生越副幹事長「1つの時代が終わった」

青木幹雄氏が亡くなったことを受け、自民党島根県連の副幹事長を務める生越俊一県議会議員は、「“1つの時代が終わった”と感じている。間違いなく、島根県をずっと引っ張ってきた人で、その存在がいろいろな方面に影響を与えていたと思う。心からご冥福をお祈りする」と述べました。

【他の党の関係者コメント】

公明 山口代表「連立誕生のかげの立て役者の一人だった」

公明党の山口代表は、記者団に対し「青木氏が小渕内閣の官房長官だった平成11年に、自公の連立政権が始まったが、連立誕生のかげの立て役者の一人だった。丁寧な国会運営のため、与野党に根回しをし、話し合いを尽くす姿勢を持っていた。義理人情を重んじる日本の保守政治家の巨頭の1人だっただけにとても残念だ」と述べました。

また、青木氏とのエピソードについて「宝塚歌劇団を応援する参議院議員の会の会長で、議員を辞めてからも、毎年のように一緒に公演を見たが、優しく親しく歌劇団の皆さんを激励していた姿が印象に残っている」と述べました。

立民 小沢一郎衆院議員 「政治課題の調整・解決にたけた」

かつて自民党に所属していた立憲民主党の小沢一郎衆議院議員は「竹下登元総理大臣の縁で政界に入って以来、大変お世話になった。常に義理と人情を重んじ、どんな相手でも、まずしっかりと信頼関係を築いたうえで、難しい政治課題を調整・解決していくことに誰よりもたけていた。本当に偉大な政治家で、心からご冥福をお祈り申し上げる」というコメントを発表しました。

立民 蓮舫参院議員 「与野党問わず議員に対しこまやかな気遣い」

立憲民主党の蓮舫参議院議員は、みずからのツイッターに「私が参議院議員に初当選して以降、与野党問わずすべての議員に対し、こまやかな気遣いをされる姿に敬服した。予算委員会で政府の税金の使い方を問うと、青木先生をはじめ当時の自民党の先輩議員は政府や官僚に対して『改めろ』とかつを入れてくださる方々だった。とても悲しく、ご冥福をお祈りする」と投稿しました。

立民 安住国対委員長「政治を丸くするプロだった」

立憲民主党の安住国会対策委員長は、記者団に対し「大学のクラブの先輩でもあり、30年に及んで指導をいただき、自民党の議員以外でいちばん頻繁に伺っていたかもしれない。政治を丸くしていくために与野党のとんがった部分を削っていくプロフェッショナルだった。人間の社会や政治の世界を教えていただいた秀でた先輩がまた1人去って本当にさびしい」と述べました。

維新 鈴木宗男参院議員 「筋を通し義理人情を重んじる政治家」

かつて自民党に所属していた日本維新の会の鈴木宗男参議院議員は、NHKの取材に対し「昭和61年に国会に出てこられて、竹下登元総理大臣から『青木君を頼むよ』と言われて以来、長い友情と厚情をいただいてきた。生っ粋の党人派の政治家で、筋を通し、義理人情を重んじる平成の政治家だった」というコメントを出しました。

元参院副議長 輿石東氏「政治の道の師」

旧民主党の幹事長や、参議院副議長などを務めた輿石東氏は、甲府市内でNHKの取材に応じ、「青木氏とは、互いに歩み寄るところは歩み寄る。歩み寄れなかったら、ルールに従って勝負していく。互いに『心あわせ』のできる参議院、政党にしていこうと話し合った。そういうことを党は違ったけれど教えていただいた。政治の道の師であり、亡くなられたことは言葉にならない」と述べました。

共産 小池書記局長「参院の重要性しっかり受け継ぐべき」

共産党の小池書記局長は、記者会見で「政治的な立場は全く対極にいた方だが、再考や熟議の府としての参議院の役割を果たしてきたことは非常に重要だった。青木氏が主張した二院制における参議院の重要性はしっかりと受け継ぐべき話だ。ご冥福を心よりお祈りしたい」と述べました。