「一緒に観客席で声援を」

「一緒に観客席で声援を」
“みんなで一緒に観客席で声援を送りたい”

コロナ禍を経て、障害のあるなしに関わらず一緒にスポーツを観戦できるような動きが起き始めています。

実現のカギや社会に根づかせるための課題とは…。

(スポーツニュース部 記者 古堅厚人)

大熱戦に湧く観客席で

5月、横浜アリーナで行われたバスケットボールBリーグのチャンピオンシップファイナル第1戦、第4クオーター残り10秒。

琉球ゴールデンキングスが3点をリードした場面で、千葉ジェッツの劇的なスリーポイントシュートが決まり、土壇場で77対77の同点に追いつきました。すると会場のボルテージは最高潮に達しました。

2回のオーバータイム(延長)にもつれ込む大接戦となり、初優勝を目指す琉球が逃げきりました。
続く第2戦。会場にはBリーグ史上最多の1万3657人の観客が詰めかけました。このうち沖縄から訪れたのは2100人以上。

琉球の選手たちは声援を力に変えてプレーし、見事初優勝を果たしました。
琉球ゴールデンキングス 岸本隆一選手
「大勢の人たちが横浜アリーナに来て自分たちを後押ししてくれたのはすごく力になった」
選手を後押しした超満員の観客席は、新型コロナによって制限されていた時期を経て、スポーツ観戦がようやく日常の姿を取り戻したことを、強く印象づけるシーンでした。

初めてのスポーツ観戦

その会場の一角には、今回、ある観客席が設けられました。

招待されたのは、障害のある子どもとその家族です。スポーツの力で社会をよりよい方向に変えていきたいというBリーグの取り組みの一環で、今回初めての試みとして実現しました。
このうちの1人、安藤陸くん(2歳)。身体障害と知的障害があり、座ったままの姿勢を維持するのが、難しいといいます。

学生時代にバスケットボールを10年ほどプレーしていた母親の久美子さんは、いつかBリーグを息子と一緒に見に行きたいという願いを持っていました。

今回の取り組みを知り、初めて親子でバスケットボールの観戦に訪れました。
母親 安藤久美子さん
「外出となると障害のある子どもは特に、物理的にも親の精神的にもスポーツ観戦となるとなかなかハードルが高い部分がありました」

社会の「隔たり」を埋めたい

健常者も障害者も、誰もが同じ空間でスポーツ観戦を楽しめるようにと、今回、Bリーグが初めて企画したこの取り組みの実現の鍵を握っていたのはイスでした。
座った姿勢をとり続けるのが難しい子どもでも、1人で座りやすくするため、座席に固定できる特別なポータブルチェアが用意されました。
このイスを開発したのは京都市の松本友理さんです。

3年前にみずから会社を立ち上げ、このイスの開発に取り組んできました。そのきっかけは長男の存在です。

2016年に生まれた長男は、生後8か月の時に医師から脳性まひと診断されました。障害のある子どもを持つ親になって気づいたことは、健常者と障害者の間にある社会の隔たりだったといいます。
松本友理さん
「息子が障害があって生まれてきて、リハビリや病院に行ったときに障害のある子どもたちがこんなに世の中にいたんだというところに最初はすごく驚きました。障害のある人とない人で生活の空間が分かれてしまっていることを、当事者になってすごく痛切に感じました」
とりわけ松本さんが困難に感じたのは外出する時だったといいます。

脳性まひの息子は体幹が弱く、長時間座るためには、座位保持装置と呼ばれる大型の福祉用具が必要です。
ただ、重さは20キロほどあり、大人でも持ち上げるのが難しく、外出先に持って行ったことはありません。外出の選択肢や行動範囲が制限される現実に直面し、少しでも健常者と障害者が同じ体験を共有する機会を作りたいと考えるようになったといいます。

そして、同じように障害のある子どもを持つ親から意見を聞き、ポータブルチェアを開発しました。

ワンタッチで折りたたみが可能で、母親が1人でも気軽に持ち運びができるよう、重さは3.2キロほどです。障害のある子どもだけでなく、乳幼児が使うこともできます。自分で姿勢を保つことが難しくても、安定して座れるように座面の形状なども工夫しました。

スポーツ観戦に広がる可能性

初めてのスポーツ観戦に訪れた安藤久美子さんと陸くん親子。

陸くんはポータブルチェアに1人で座っておよそ2時間、スポーツ観戦を楽しみました。

親子で精いっぱいの気持ちを込めて選手たちを応援し、久美子さんの「息子とバスケットボールを観戦したい」という願いは、かなえることができました。
母親 安藤久美子さん
「息子は会場がキラキラしたりする演出など会場の雰囲気がすごく楽しそうだったし、刺激にもなったと思います。すごく落ち着いて見ることができたし、抜群に一緒に楽しめました。こういうところにまた来てみたいなと思ったし、可能性がすごく広がりました」
ポータブルチェアを開発 松本友理さん
「小さな子どもを持つ家族がもっとスポーツ観戦をしやすくなるきっかけにつながればいいと思います。さまざまなニーズを持つ子どもたちやその家族が、同じ空間で自然に混ざりあえる機会を作っていくことで、お互いの違いを認め合って、それぞれが支え合える社会を作っていければいいなと思います」

遮音された部屋で観戦も

障害のある人がスポーツ観戦をするための環境作りは、ほかのスポーツでも広がり始めています。
サッカー女子のWEリーグでは、昨シーズンから神戸市のスタジアムに、音や光に敏感な子どものため、遮音などを施した「センサリールーム」と呼ばれる特別な部屋を設けています。

また、視覚障害のある人が触覚を通して、ボールの位置をリアルタイムに把握したり、聴覚に障害のある人が、振動と光によって会場の音のリズムや大きさを感じることができるデバイスの開発なども行われたりしています。

社会に根づかせるための課題は

スポーツ観戦の環境整備について、スポーツと社会の関係に詳しい日本福祉大学の藤田紀昭教授は「障害がある人でも会場にアクセスしやすい環境整備が進むことで、スポーツをライブで観戦することの魅力を誰もが感じられるようになるということはよい変化で、それが社会全体で起きつつある」と評価します。

一方で、こうした取り組みが社会に根づいていくには、課題もあると指摘します。
藤田紀昭教授
「観戦する側もチーム側もスポンサー側もメリットがないと長く続けるのは難しい。まだ始まったばかりの取り組みで、いろいろな改善が必要になってくるが、それを繰り返しいろいろな場所で議論し合って、議論が進むことで、少しずつ社会が変わっていくのではないか」

それぞれの“頑張った先に”

初めてのBリーグ優勝を果たした琉球のシンボルともいえる沖縄出身の岸本隆一選手。

初優勝を決めたあとの記者会見で、試合を見に来てくれた障害のある子どもたちに向けてこうメッセージを送りました。
岸本隆一選手
「見えないところでいろいろな人が戦っている世の中で、自分たちがプレーすることによって少しでも希望になればという思いは僕自身強く持っている。会場でバスケットボールを楽しんでもらうとともに、自分なりの努力や頑張った先に何かきっといいものがあるということが伝わっていたらうれしいし、これからもそういう思いを持ち続けてプレーしていきたい」
障害のある人たちを取り巻く環境を変えると期待された、自国開催のパラリンピックのあと、わずかかもしれませんが、確実に変化は起こり始めています。

ただ、それを一過性のものとせずに、根づかせていくことは簡単ではないのも現実です。

“自分なりの努力や頑張った先にある、それぞれの「いいもの」を求め続けること”

岸本選手のメッセージの中に、その課題に向き合うヒントがあると感じました。
スポーツニュース部 記者
古堅厚人
2015年入局 宇都宮局、甲府局を経てスポーツニュース部。沖縄出身だが指笛は練習中。尊敬する人は具志堅用高さん。