将棋界に“藤井時代”が本格到来 その強さはどこから

将棋界に“藤井時代”が本格到来 その強さはどこから
「『名人』ということばには子どものころから憧れの気持ちを抱いていた。ふさわしい将棋が指せるように今後いっそう頑張らなくてはいけない」

将棋の八大タイトルで最も歴史のある「名人」を最年少で獲得し、史上2人目の「七冠」を達成した藤井聡太さん。

私は将棋の担当記者としてこの1年、七冠への道のりを取材してきました。常に印象的だったのは、その謙虚な姿勢と将棋に対するひたむきさ。

“藤井時代”と言われる中、前人未到のタイトル全冠制覇も見えてきた今、圧倒的な強さの秘密を、“王者の系譜”を継ぐ歴代の棋士たちへの取材で解き明かします。
(科学文化部記者 / 堀川雄太郎)

力勝負の94手 激闘の第5局

タイトル獲得まであと1勝と迫った「名人戦」第5局。

渡辺明名人(当時)との対局に臨んだ藤井さんは、いつものように“初手”で、お茶をひとくち含みました。

渡辺さんは「名人戦」3連覇中のトップ棋士。藤井さんには「棋聖」「王将」「棋王」のタイトルを相次いで奪われています。
カド番となる、第5局は、AI研究などで序盤の定跡を極めた藤井さんに対して、前例がほとんどない形に誘導する作戦を取っていました。

勝負は、2日目に入った6月1日の午後に入ってもAIの評価値はほぼ互角。

しかし、休憩が明けた午後6時すぎ。待機していた50人以上の報道陣が騒然とし始めます。AIの形勢グラフが、徐々に藤井さんにふれ始めたのです。

終盤の強さに定評があり、AI形勢グラフが一気に藤井側にふれる様子は“藤井曲線”とも呼ばれています。

「最年少記録は今夜更新される」

藤井曲線はそのまま上昇し続け、午後6時53分、渡辺さんが94手までで投了。

藤井新名人が誕生。史上最年少での名人獲得と七冠の達成でした。
藤井聡太さん
「まだ実感はないですけど、非常にうれしく思いますし、とても重みのあるタイトルだと思うので、それにふさわしい将棋を指さなければという思いです」

“しょうぎのめいじんになりたい”

5歳のとき、祖母から将棋盤を贈られたことをきっかけに将棋を始めた藤井さん。

6歳だった幼稚園のころのバースデーカードには、「おおきくなったらしょうぎのめいじんになりたい」と書いていました。
そして20歳の今、7つめのタイトルとして「名人」を獲得、当時の夢を実現させたのです。
藤井聡太さん
「『名人』ということばには子どものころから憧れの気持ちを抱いていたので、今回獲得できたことについてはすごく感慨深いものがあります。ただ、それで終わりというわけではなくて、先がずっとあるというところもあるので、それをしっかり見据えてやっていきたい」

“前”最年少「名人」はどう見たか

藤井さんの「名人」獲得は史上最年少の20歳10か月。これまで40年近く、その最年少記録を持ち続けていたのが、谷川浩司十七世名人です。

藤井さんと同じく、中学生でプロ棋士となった谷川さんは、1983年に当時のタイトルホルダーの加藤一二三九段を破り、「名人」を奪取しました。
谷川浩司さん
「私がこの世界に入る前後に大山康晴十五世名人から中原誠十六世名人に変わり、私の10代はイコール“中原時代”でした。中原先生に『名人戦』で挑戦するというのを大きな目標に励んでいました。初めてのタイトル戦が名人戦で、まだまだ実力的には及ばないと思っていたので挑戦者になれたのも幸運だったと思います。ほかのタイトルを取ることで先輩の名人に少しでも近づきたいという気持ちでした」
当初は自身の記録が更新されるかもしれないことについて、複雑な気持ちだったと振り返る谷川さんですが、今回の藤井さんの「名人」獲得については…。
谷川浩司さん
「記録というのはそれにふさわしい人が持つべき、と考えるようになりました。40年前の言葉をもう一度使わせて頂くと、中原十六世名人からお預かりした最年少名人の記録を、無事、藤井新名人にお渡しできた、という心境です」

30手以上先を読んでいた?驚異的な読み力とは

「名人戦」を含めてタイトル戦に15回出場し、すべてを制してきた藤井七冠。

これまでもその無類の強さは語られてきましたが、谷川さんが改めて強調するのは、読みの速さと深さ、そして正確さです。今回の名人戦でも、そのすさまじさを実感した場面がありました。

4月に東京で行われた第1局。

振り駒の結果、渡辺さんが先手、藤井さんが後手となりました。ことし2月から3月にかけて行われ、藤井さんが「六冠」を達成した「棋王戦」五番勝負では、「角換わり」と呼ばれる序盤に大駒の角を交換する戦法がメインとなりました。

今回も同様かと思いきや、渡辺さんが別の作戦を選択。AIの評価値はほぼ互角の形勢の中、対局2日目に入ります。
そして50手目となった藤井さんの「3五歩」。相手の歩を取るこの一手に、なんと1時間47分の大長考をしました。

タイトル戦で最長の9時間の持ち時間がある「名人戦」。

以前から「じっくり考えられることを楽しみにしている」と話していた藤井さんでしたが、このとき何を考えていたのか。実は対局後、何と32手先の「9八龍」まで読んでいたことを明かしました。

32手先は10億通り以上の局面があらわれ、数千手を読むことが必要だと言われます。対局はそのまま藤井さんが攻め合いを制し、相手の先手となった初戦の対局で貴重な白星をあげました。
流れをつかもうと臨んだものの、敗れてしまった渡辺さん。

終局後の取材で「最後まで差が埋まらないような将棋でした」とこぼしました。そしてこの日の夜にツイッターに投稿したのは「えぐいよなあ」のひと言。

藤井さんの驚異的な読み力の一端が見えた対局でした。
谷川浩司さん
「第1局は大熱戦で、渡辺さんにもチャンスがあったと思いますが、その中で藤井さんが相当先までを見極めていた。中終盤というのは一手一手に分岐点があって、30手先を読もうとすると、もう何千手読まないといけないわけで、これは驚きました」
藤井さんの驚異的な“読みの力”を培ったのは何なのか。

師匠の杉本昌隆八段は、幼いころから取り組んできた詰め将棋を挙げます。
藤井さんのノートには、びっしりと解いた問題が書かれ、その数は1万以上に上ると言います。
杉本昌隆さん
「幼少期から詰め将棋を解くのが非常に好きな少年でした。答えがはっきりあるものですから、どんどん先を読むトレーニングというか、結果的に読みを深めることにつながったのだろうと思います。そして読む能力プラス、読んだ先の形勢判断がやはりあるわけです。どこかで読みは打ち切ると思いますが、その局面がはっきり勝ちとか不利だとかいう場合と、まだちょっと難しいのではないかというケースがある。そこでの形勢判断のよさ、大局観も深い読みの裏にはあると思います」

“圧倒的な強さ”が与える焦りも

また、藤井さんのひたすら盤面に打ち込む揺るぎない姿とその強さ自体が相手にプレッシャーを与え、指し手に影響を与えているのではないかという見方もあります。

決着局となった「名人戦」第5局の2日目。
一進一退の攻防が続く中、藤井七冠は相手の「角」を取ると、「4六角」の角打ち、そして「6六角」と前に出て、2枚の「角」を活用します。

苦しい中で勝負に出た藤井さんでしたが、相手の渡辺さんは、ここで1時間20分を超える大長考に入ります。

「6六角」と出てきた「角」を、金で取る手は、通常の棋士では誰でも思いつく定跡で、AIも最善手だと示していました。
しかし、渡辺さんはその手を選ばず、「2三桂」と別の手を選びました。結果的に、そこから渡辺さんは形勢を崩し、最終的に藤井さんの勝ちにつながっていきました。

大長考のあとの「2三桂」の手に関して、渡辺さんは感想戦で、「シンプルに取る手がましだった」と振り返りました。

その日のツイッターでは、「4六角から6六角は全く読めていなかったし、こういう複雑な局面での正答率がシリーズ全体、というかこの3年の戦いでの差となりました」などと投稿。

この日、渡辺さんはおよそ19年ぶりに無冠となりました。
長考の結果、攻め込んできた「角」をとらなかった渡辺さん。

藤井さんの指し手に対し、何か読みの裏付けがあると思えたのか。
日本将棋連盟の常務理事を務める森下卓九段は、冷静沈着な差し回しで次々と勝ち続ける藤井さんの揺るぎない姿勢が、ここぞという局面で、渡辺さんの指し手にメンタル面で影響を与えたと指摘します。
森下卓さん
「渡辺さんと藤井さんとの差がそれほどあると思わないんですね。ただ将棋は勝っていると、ますます勝ちを引き寄せやすくなる。強いと周りに思われていると、ますます強さが増幅されていくのです。野球に例えると、140キロの球で的確にコントロールをよくするとだいたい打ちとれる気がしますが、相手が強い、藤井さんくらいになってきますと、全力で160キロの球を投げて、なおかつコントロールも的確にしようとすると、どうしても力が入ってしまうんです。そうすると大暴投につながりやすい」

“藤井時代”本格到来 王者の系譜は

江戸時代の1612年に幕府が大橋宗桂に与えて誕生した「名人」の称号。昭和10年に今と同様の「実力制」に変わり、藤井さんは16人目の「名人」となりました。

初めて「実力制名人」となった木村義雄十四世名人から、大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人。そして羽生善治九段(十九世名人の資格保持)。

一時代を築いた棋士たちについて、将棋界では「王者の系譜」と言われることがあります。
タイトルの最高峰の「竜王」と、最も歴史のある「名人」の2つを併せ持ち、圧倒的な第一人者として“藤井時代”が本格到来したとされる今、藤井さんの活躍をどう見ているのか。

“中原時代”を築いた中原さんに話しを聞きました。
中原誠さん
「藤井さんとしてはふだんどおりの実力を十分に出したという気がします。7つもタイトルを取り、今までの先輩棋士を上回るような成績をあげていっているわけですから、明らかに“藤井時代”の始まりです。まだ若いので、これがどこまで続くのだろうかという思いです」
中原さんが指摘する藤井さんの特徴は、『常識にとらわれず、通常は思いつかないような手を何気なく指す』ということだと言います。
中原誠さん
「すごい棋士が現れたと思いました。彼の棋譜はけっこう並べていて、新手というわけではないですが、場面場面で非常に新鮮な感じを受けます。AIも入ってきて、私のころとは環境、時代が違うのだと思います」
この点については、谷川さんも「AIが推奨して、人間的には指しにくい、経験則としていい手ではないと判断しがちな手でも指すことがある」と話します。

幼い頃から藤井さんを指導してきた師匠の杉本さんは、この「常識にとらわれない発想」そして、「あらゆる変化に対応できる柔軟性」は、AIの活用によって生み出されている点もあると指摘します。
藤井さんは、AIを搭載した将棋ソフトを使い、敗れた対局を徹底分析しました。

自分の対局中の形勢判断と照らし合わせて、どのあたりで形勢を損ねたか、人間の価値観にとらわれないAIの指し手によって深めていったのです。
杉本昌隆さん
「序盤の指し手はある程度経験がものを言うこともあって、棋士になったばかりの藤井さんはあまり得意でなかったというか、意識が向いていませんでした。プロになると相手もそこを突いてくるので、序盤でリードを奪われて逆転できないまま負けてしまう展開もかなりありました。しかし、AIを使うことによって、序盤の経験の少なさをカバーすることができるようになったと思います。藤井さんの指し手というのはAIが示しているものと非常に一致率が高いというか、考え方が似ているということはあります。AIを使うことによって、あらゆる変化でも対応できるようになった。これが大きいと思います」

藤井聡太は“考える天才”

実は、藤井さんが小学生のころ、杉本さんは「今はAIは必要ない。プロになってからでいいのではないか」と言ったことがありました。

AIは答えを教えてくれますが、そこに至るまでの考え方は分からず、若いうちにAIを使ってしまうと、せっかく持っている“考える能力”を奪ってしまう可能性があると考えたのです。

そして藤井さんは中学生のころにAIの活用を始めます。AIの答えを決して妄信するわけではなく、なぜその手なのかということを自分で考えて消化して理解する。

杉本さんは、AIによって、藤井さんがもともと持っている読む力、脳のスタミナの部分が補強されたと言います。つまりAIによって、さらに早く成長していったというのです。

杉本さんは、そんな藤井さんを、“考える天才”と評します。

常にどんなことに対しても真正面から取り組んで、誠実に対応する。将棋だけでなく、日常の中で質問に対して答えるときもひと言ひと言を大事にして答えている姿は、私たち記者も日頃から感じていることです。

杉本さんは、将棋に対しても全く一緒で、「そこが彼の持っている才能なんだろうなと思います」と話していました。
ことし1月から3月にかけて行われた「王将戦」で、藤井さんとタイトルを争った羽生九段は、藤井さんのこのAI研究によって培われた柔軟な対応力について、美学や発想の基準みたいなものも感じたと言います。
羽生善治さん
「将棋は多い局面だと100とおりとか200とおりの可能性があるので、プロと言えどもしらみつぶしに考えていくということはもちろんしない。1つの場面でほとんどの可能性を最初から捨てていますが、でもその捨てている可能性の中にけっこういい手が潜んでいたり、可能性が潜んでいたりするということもあります。そういうところを幅広く拾って読むことができるのが強さの一端なのではないかと思います」

なるか全冠制覇 八冠への道は

強さを磨き続ける藤井新名人。

前人未到の八大タイトル全冠制覇も視野に入ってきた今、残るタイトルは「王座」です。

現在、永瀬拓矢王座が保持し、例年9月から10月にかけて行われる五番勝負に向けて、挑戦者を決めるためのトーナメントがすでに始まっています。藤井さんは初戦を勝利し、ベスト8に進出していますが、挑戦者となるには残り3回の対戦で一度も負けは許されません。

また、今後も6月に始まった「棋聖」や7月に開幕する「王位」の防衛戦にも勝たなければなりません。

それでも今の活躍ぶりや圧倒的な勝率を踏まえると、周囲の関係者やファンなど「八冠」への期待の声が高まっています。
このことについて、藤井さんは次のように話しています。
藤井聡太さん
「それ(八冠)についてはまだまだ遠いものかなと思っていますが、目指せるということ、そういうチャンスを作れたこと自体が幸運なことかと思うので、それを生かして少しでもそこに近づくことができるように頑張れたらと思っています」

強さを求める藤井将棋 熱戦は続く

タイトル戦に伴う記者会見のたびに、ほぼ毎回出る「八冠」についての質問。

藤井さんはいつも変わらず「全く意識はしていません」と答えます。

十七世名人の谷川さんは、「藤井さんは棋士になったときから一貫して、勝つこと、タイトルを取ることよりも、強くなりたい、将棋の真理を追究していきたいという姿勢を貫いている。それが彼の今の地位や実力につながっていると思う」と話していました。

十六世名人の中原さんも藤井さんに対し、「時代が違ってもいい棋譜を残すということが棋士にとって一番大切なこと。それに精進してほしい」と話します。

そして十九世名人の資格を持つ羽生さんは、「前人未到の大記録の達成は、将棋に興味を持つ子供たちに大きな夢と希望を与えます。これからも将棋の魅力を伝えるフロントランナーとして更なる飛躍を遂げ活躍されることを期待しています」とコメントを寄せています。

これからも強さを追い求める藤井さん。一方で、もちろん“八冠阻止”に向けて立ちはだかる棋士たちもいます。

藤井さんが、さらに将棋界の覇権を進めるのか。

誰かがそれを阻むのか。

今後も繰り広げられる名勝負から目が離せません。
堀川雄太郎
岡山市出身、2014年入局。
山形、鹿児島を経て22年から科学文化部。
現在は将棋のほか出版やロケットも担当。