雲仙・普賢岳大火砕流から32年 遺族ら犠牲者を悼む 長崎 島原

43人が犠牲となった長崎県の雲仙・普賢岳の大火砕流から3日で32年です。島原市では、遺族や市民が慰霊碑に花を手向け犠牲者を悼みました。

平成3年6月3日に起きた雲仙・普賢岳の大火砕流では、地元の消防団員や住民、報道関係者など合わせて43人が犠牲となりました。

災害から32年となる3日、島原市の各地で遺族や市民が祈りをささげ、犠牲者を悼んでいます。

このうち、火砕流によって自宅を失った人が移り住んだ団地にある慰霊碑には、市長や市の関係者など70人が花を手向けて犠牲者を悼みました。

古川隆三郎市長は「亡くなった消防団員は私と同じ世代で、一家の柱として家族を支えるはずの人たちだった。これから市が発展していくことが、亡くなった方への恩返しになると考えている」と話していました。
また、亡くなった消防団員を追悼する慰霊碑には、遺族や当時の消防団員らが花を手向け、犠牲者を悼みました。

消防団員の父を亡くした大町真樹さんは「何年たっても悲しみが癒えることはないし、つらくて悔しい気持ちがある。あの時の災害が二度と起きないよう願いながら手を合わせた」と話していました。

当時、消防団員だった金子宗弘団長は「災害を記憶している消防団員としては最後の1人になってしまったので、当時の記憶を伝えていかないといけないと思う」と話していました。

3日は、大火砕流が発生した午後4時8分に合わせて市内全域にサイレンが鳴らされ、遺族や市民が黙とうをささげます。