ALS患者殺害などの罪で起訴の元医師 起訴内容を否認

4年前、難病のALSを患う京都市の女性を本人からの依頼で殺害したとして嘱託殺人などの罪に問われている45歳の元医師の初公判が開かれ、元医師は起訴された内容を否認しました。

医師の大久保愉一被告(45)と元医師の山本直樹被告は(45)4年前、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病のALSを患っていた京都市の林優里さん(当時51)から依頼を受け薬物を投与して殺害したとして嘱託殺人などの罪に問われています。

この事件で山本被告の初公判が京都地方裁判所で開かれ、被告は、「女性の自宅に滞在したことは間違いないが、大久保被告と共謀もしていないし、実行もしていない」と述べ、起訴された内容を否認しました。

そのうえで被告の弁護士は「実行したのは大久保被告で、仮に何らかの犯罪が成立するとしても、ほう助にとどまる」と主張しました。

【冒頭陳述】検察の主張

きょうの冒頭陳述で検察は次のように主張しました。

2人の関係について、「それぞれ大学の医学部に在籍している時に知り合い、お互いに医師になってからも、親密で良好な関係を継続していて、事件後も逮捕されるまでの間、良好な関係を続けていた」と述べました。

事件までのいきさつについては、「山本被告は、事前に林さんから自分の口座に現金130万円が振り込まれたのを見て、振込額が高額で早期に動かなければならない仕事であると自覚したことを大久保被告に伝えた上、自分の事業の運転資金やクレジットカードの引き落としに130万円の全額を使った」と指摘しました。

事件当日については、「2人で友人を装って林さんのマンションを訪れ、山本被告は寝室のドアの前に立ちふさがるなどしてヘルパーの行動を見張り、大久保被告が林さんに薬物を注入した。ヘルパーが訪問者の氏名を記録するメモ用紙を渡そうとしたところ、山本被告はドアの前に立ちふさがって入室を阻止し、ドア越しにメモ用紙を受け取って偽名を書いた」と述べました。

【冒頭陳述】弁護側は反論

一方、弁護側は冒頭陳述で、2人の関係について、「山本被告は大久保被告との間に長年にわたる因縁の関係があり、大久保被告の頼みを聞くしかない立場だった」としました。

林さんが振り込んだ現金については、「山本被告は、林さんと大久保被告のやりとりに一切かかわっておらず、大久保被告が山本直樹と名乗っていたので山本被告の口座にお金が振り込まれることになったという事情がある」と主張しました。

そのうえで、「被告は大久保被告から京都で落ち合うことを求められ承諾したが、行き先で何をするのかは具体的に知らされておらず、部屋を出たあと大久保被告から説明されて林さんに何をしたのかを知った。林さんの部屋にヘルパーが入れないようにしたということはなく、部屋の中で行われた犯罪の中身を知らなかった以上山本被告は無罪だ。仮に犯罪が成立するとしてもほう助にとどまる」と反論しました。
次の裁判は、6月8日に開かれ、今後、林さんのヘルパーや主治医の証人尋問が行われます。

一方、大久保被告の裁判の日程は、まだ決まっていません。

今回の事件のいきさつ

林さんは、自身のブログやSNSで病気のつらさや孤独な思いを訴え、「死なせてほしい」と繰り返し投稿したあと、4年前、京都市の自宅で容体が急変し、搬送先の病院で亡くなりました。

病院で詳しく調べた結果、体内からはふだん服用していない薬物が見つかったため、警察は経緯を慎重に捜査していました。

その結果、林さんはSNSを通じてみずからの殺害を依頼していたとみられることがわかり、3年前、大久保被告と山本被告の2人が、薬物を投与して林さんを殺害したとして、嘱託殺人の疑いで逮捕、起訴されました。

捜査関係者によりますと、林さんは事件当日、2人が自宅に訪れた際、ヘルパーに「知人」だと伝え、部屋の外に出るよう促したということです。

2人は10分ほどで退出し、直後に容体が急変した林さんを、ヘルパーが発見しました。

事件前、林さんは山本被告名義の口座に現金130万円を事前に振り込んでいたことがわかっていますが、現金の振り込みや具体的な金額などは林さんが提示していたということです。

こうしたやり取りや依頼を実行する具体的な日時などは、SNSの第三者には見られない個別のメッセージの中で大久保被告との間で続けられていたということです。

林さんは当時、死期が迫っている状態ではなく、2人の行為は、終末期医療の現場で議論されることもある安楽死とはかけ離れた違法なものとみられています。

事件をめぐって、ALS患者の介護だけではなく、精神的なサポートの必要性が大きな課題として浮き彫りになりました。

亡くなった林優里さんとは

家族などによりますと、林さんは京都市出身で、市内の大学を卒業したあと東京のデパートで働きましたが、アメリカの大学に留学して建築を学び、帰国後は東京の設計会社に勤めていたということです。

活発な性格で、勉強や仕事に積極的に取り組んでいましたが、40代のころ、足に違和感があり病院を受診したところALSと診断されます。

その後、仕事を辞めて京都市内に戻り、ヘルパーの支援を受けてマンションで1人暮らしを始めました。

はじめのころは車いすに乗って外出することもありましたが、徐々に全身の筋肉が動かなくなり、亡くなる前は視線を使って、パソコンで文字を入力したり、文字盤の文字を示したりして、意思疎通を図っていたということです。

専門職など30人ほどの支援チームによる24時間体制の在宅介護を受けていましたが、7年ほどの闘病生活のあと、4年前の11月に51歳で亡くなりました。

SNSの自己紹介欄には「自らの生と死の在り方を自らで選択する権利を求める」と書かれていて、症状が進むなか、亡くなる2か月前には「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない。安楽死させてください」などと投稿していました。

林さんの父親「本当のことを知りたい」

裁判のあと、林さんの82歳の父親が取材に応じ、「山本被告の顔をきょうはじめて直接見ました。被告の話を聞くと、もう一人の医師が陰で糸をひき、ほとんど指示したかのように聞こえました」と話していました。

その上で「裁判の中で弁護側から『発症したときから死を考えていた』という娘の遺書が読み上げられましたが、刑を軽くするために利用されたようで不快でした。2人が罪のなすりつけ合いをするようでは本当のことがわからないので、娘の目を見てなお薬を注入したのが誰なのか、早くもう一人の医師の話を聞き、本当のことを知りたいです」と話しました。

難病患者の在宅医療やケアに取り組む医師は

難病患者の在宅医療やケアに取り組む医師の紅谷浩之さん(47)は、これまで多くのALSの患者をサポートしてきたということで、その深刻な病状については、「患者の中には『毎日が絶望の更新だ』と表現した人もいた。できていたことが少しずつ、そして確実に、できなくなっていくことに、絶望的な気持ちを持つことは、サポートする立場としても実感してきた。同時に、医師として、治せないことへの無力感も感じてきた」と振り返ります。

亡くなった林さんは、SNSやブログに「死なせてほしい」などと繰り返し投稿していました。

紅谷さんも在宅医療を担当するALS患者から同じような思いを訴えられ、『死ぬためのサポートをしてくれないなら、もう帰ってくれ』と自宅から追い返されたことがあるといいます。

それでも次の週には患者は『庭の花が咲いてきれいだから先生も見ていってよ』と話し、前向きな表情を見せてくれたということです。

紅谷さんは、「患者の気持ちは、日々、揺れ動いている。『死にたい』ということばは『生きたい』という気持ちと共存している。『死にたい』という言葉を本人の考えだと思い込んで『そんなことを言わず生きていて』ではなく、『死にたい』に込められた気持ちをひもとけるよう対話を続けるべきだ。絶望がなくなるわけではないが別の選択肢が生まれることもあり、その瞬間に答えが出なくても慌てず伴走していくことが大事だ」と強調します。

そのうえで、林さんがSNSに投稿し、終末期医療の現場で議論されることもある「安楽死」については、「事件と安楽死を結びつけるのは間違っている。安楽死が合法化されている国もあるが、いずれもさまざまな条件がある。本人や家族、支援者が徹底的に議論することが大前提で、『本人が死にたいなら死なせればいい』という国はどこにもない」と、一緒に議論すべきではないと指摘しています。

一方で、結果的に林さんが亡くなったことについては、「いまの医療や福祉の枠組みだけで、難病の患者を絶望から救うことは難しい部分もあることを示しているのかもしれない」としたうえで、裁判については、「病気と向き合い、苦しみながらも頑張っていた林さんの思いや、治せないことは理解しながらも対話を重ねて支援していた人たちの気持ちなどがひもとかれていくことで、新たに見えてくるものがあると思う。治らない病気の患者を自分が、地域が、社会が、それぞれどう支えていくのか、自分もそうした病気になり得るという立場から考えるきっかけにしなければならない」と話しています。

ALS患者として発信を続ける日本ALS協会会長は

裁判が始まるのを前に、ALSの患者や家族で作る日本ALS協会の会長でいまも当事者として発信を続ける恩田聖敬さんは、NHKの取材に対し、メールなどで次のような思いを寄せています。

事件については改めて「当該医師に強い憤りを感じます。医師の役割は単に生死だけではなく患者の生活に寄り添う側面もあるはずです。患者がどんな環境にあるのか認識、理解した上で日常生活の改善に踏み込むべきだったのに、自分の偏った思想を実行したと認識しています」としています。

そのうえで裁判については、「とにかく真実が明らかになることを望みます。林さんがどのような境遇にあり、医師とどんなやり取りがあったのか、なぜ事件は起きたのか、真実を知ることで同じ当事者として考えることがあると思います」としました。

また、裁判をきっかけに改めて伝えたいこととして、「われわれはヘルパーさんをはじめとして多くの支援者の手を借りて生きています。けれどもそれは特別なことではなく、人間は誰でも人の手を借りて生きています。SOSを出せない人が病気の有無に関わらず、社会に生きづらさを感じています。支援に頼ることは悪いことではないと皆さんが思えば息苦しさを感じている人も救われる気がします」と誰もが生きやすい社会に向けた思いをつづっています。