大相撲 霧馬山の大関昇進が確実に 3場所の勝ち星 目安上回る

日本相撲協会は夏場所後に関脇・霧馬山の大関昇進に向けた臨時の理事会を開催することを決め、霧馬山の大関昇進が確実になりました。

霧馬山は小結だったことし1月の初場所で11勝、新関脇で迎えた春場所で12勝と三役で臨んだ直近の2場所で23勝をあげていました。

そして今場所、前半戦で2敗を喫しましたが、後半戦は立ち合いの力強さを取り戻し、持ち味の四つに組んでからの粘り強さやうまさがある相撲で順調に白星を重ねました。

特に10勝目を挙げた12日目の一番では会心の相撲で大関・貴景勝を圧倒し、27日の14日目、横綱・照ノ富士に敗れて2場所連続優勝こそ逃しましたが11勝4敗の好成績を収めました。

これで直近3場所の勝ち星の合計は大関昇進の目安とされる33勝を上回る34勝となりました。

昇進の議論を預かる日本相撲協会の審判部の要請を受けて八角理事長は大関昇進に向けた臨時理事会の開催を決め、霧馬山の大関昇進が確実になりました。

新大関が誕生するのは去年の初場所後に昇進した御嶽海以来です。

霧馬山「もっと大きな目標を立てる」

関脇・霧馬山は大関昇進を確実にしたことについて「うれしい。よかったと思う。もっと稽古してもっと大きな目標を立てて頑張っていきたい」と話していました。

また、昇進がかかっていた今場所については「いつもよりちょっと緊張した。負けても勝っても自分の相撲を取る、思い切り当たっていくという気持ちを持って臨んだ。一日一番だと思って15日間頑張ったのでそれがよかった」と振り返りました。

審判部長 佐渡ヶ嶽親方「申し分ない 昇進したら真っ向勝負で」

日本相撲協会の審判部長、佐渡ヶ嶽親方は関脇・霧馬山の大関昇進に向けた臨時の理事会の開催を八角理事長に要請したことを明らかにし、「今まで34勝を挙げているので申し分ない。初日はぎこちなかったが勝つたびに相撲内容がよくなっていた。足腰がよく土俵際の粘りがある。最後は自分の形になっているように見える。今の相撲を磨いてほしい」と評価しました。

その上で霧馬山が4日目の取組で取り直しも含めて立ち合いで変化したことについて触れ、「私も気になった。体が小さいから仕方がないという見方もあるのかもしれないが、大関に昇進したら真っ向勝負でいってほしい」と話していました。

両親「すごくうれしい」「地位に恥じないような大関に」

霧馬山は千秋楽を終えた後の陸奥部屋のパーティーで、28日来日し、4年ぶりに再会した両親に大関昇進が確実になったことを報告しました。

報告を受けて父親のビャンブチュルンさんは「すごくうれしいです」と喜び、母親のエンフゲレルさんは「息子を応援してくれた方々に感謝しています。地位に恥じないような大関になってほしい」とエールを送っていました。

霧馬山は「大きい目標を達成できたことを父と母に報告できてうれしい。強い大関を目指す。またさらに1つ上の番付があるので頑張っていきたい」と話していました。

大関昇進 31日の理事会で正式決定

大関昇進の議論を預かる日本相撲協会の審判部は、5月31日に東京・両国の国技館で名古屋場所の番付編成会議を行った上で、霧馬山の大関昇進を臨時の理事会に諮ります。

理事会の決定をもって大関昇進が正式に決まり、協会が使者を派遣し霧馬山に大関昇進を伝達します。伝達式では、新大関がどのようなことばで使者にこたえるか、その口上が注目されます。

大関昇進の目安と過去の事例

大相撲の大関昇進について明文化された基準はありませんが「3場所連続で三役を務め、あわせて33勝以上」が目安とされています。

霧馬山はことしの初場所では小結で11勝、続く春場所では関脇で12勝を挙げて優勝しました。大関昇進をかけた今場所は11勝4敗の成績を残し、三役で臨んだここ3場所の勝ち星の合計を大関昇進の目安を上回る34としていました。大関昇進の判断は日本相撲協会の審判部に委ねられていて、直近では去年、大関に昇進した御嶽海が3場所で33勝を挙げていました。

一方で、過去にはこの目安を満たさずに昇進した例や、満たしたのに昇進しなかったケースもあります。3年前の春場所後に大関に昇進した朝乃山は目安に1つ足りない32勝でしたが、新三役から3場所続けてふた桁勝利を上げたことや四つ相撲の安定感を評価されて昇進を果たしました。

同じ年の秋場所後に昇進した正代も直近3場所は32勝で、起点となった春場所は8勝止まりでしたが、その前の初場所で優勝争いに加わったほか、秋場所では初優勝も果たし、安定した勝ち星と相撲内容が高く評価されました。

平成23年の九州場所後に大関に昇進した稀勢の里と平成26年の名古屋場所後に昇進した豪栄道も3場所であわせて32勝と目安には白星が一つ足りませんでしたがそれまでの安定した成績が評価され昇進となりました。

一方、雅山は大関から陥落したあと、三役で迎えた平成18年の名古屋場所までの3場所で、10勝、14勝、10勝を挙げてあわせて34勝としましたが、大関復帰はなりませんでした。雅山の昇進を見送った理由について、当時の審判部は「もう1勝ほしかった」と説明するなど昇進の判断はそれぞれの事例で異なっています。