5月25日、長野県中野市で起きた立てこもり事件。
この事件で亡くなった池内卓夫巡査部長(61)は、ことし3月の異動で中野署に配属されました。
パトロールカーに乗って地域の安全を見守りながら、警察の音楽隊でドラムの演奏を担当し、孫も演奏を見に来ていました。

立てこもり事件で殉職「孫に囲まれ優しいじぃじ」池内巡査部長
「地域の安全を守る」最前線で警察官が命を落とした立てこもり事件。
父に憧れて警察官になった長男と夫の帰りを楽しみに待っていた妻。今の気持ちを語ってくれました。
亡くなった池内巡査部長は

長男の将吾さん「父に憧れて警察官に」
事件翌日の26日、池内巡査部長の妻と、長野県警察本部の警察官の長男がNHKの取材に応じました。
長男の池内将吾さん(34)は「父に憧れて警察官になりました。同じ仕事に就いたら喜んでくれました。私が小さいときは厳格な父でしたが、同じ職場だからこそ話せることもあり、一気に距離が近づきました。仕事で相談することも増え、最近は優しい父親でした。憧れの父を超えたいと思っていましたが、このようなことになりつらいです」と話しました。
父親の音楽隊の活動については「何十年もやっていて自慢の父でした。仕事の面でもプライベートでも、何でも自慢できる父でした。仕事も子育ても、同じ趣味のつりだって教えてもらいたかったし、家庭菜園も教えてもらいたかったし、全部何でも教えてもらいたかったです」と話しました。
その家庭菜園でことし初めてトマトの苗を植えた時、池内巡査部長は「こうやってやるんだよ」と優しく声をかけながら教えてくれたということです。
長男の池内将吾さん(34)は「父に憧れて警察官になりました。同じ仕事に就いたら喜んでくれました。私が小さいときは厳格な父でしたが、同じ職場だからこそ話せることもあり、一気に距離が近づきました。仕事で相談することも増え、最近は優しい父親でした。憧れの父を超えたいと思っていましたが、このようなことになりつらいです」と話しました。
父親の音楽隊の活動については「何十年もやっていて自慢の父でした。仕事の面でもプライベートでも、何でも自慢できる父でした。仕事も子育ても、同じ趣味のつりだって教えてもらいたかったし、家庭菜園も教えてもらいたかったし、全部何でも教えてもらいたかったです」と話しました。
その家庭菜園でことし初めてトマトの苗を植えた時、池内巡査部長は「こうやってやるんだよ」と優しく声をかけながら教えてくれたということです。

事件の3日前の5月22日には家族で集まり、池内巡査部長がチャーハンをふるまったということです。
父が作った最後のチャーハン。
将吾さんは「食べることができたことはよかったです。チャーハン作ってくれて、むちゃくちゃうまかったです」と振り返りました。
最後に将吾さんは自分の父親でもある警察官が立てこもり事件で殉職したことについて、「警察官という仕事は常に危険と隣り合わせだと自分では心のどこかで分かっていたつもりでしたが、いざ身内がこのようなことになると、改めて強く感じます。気をつけたいし、まわりにもこういう経験を伝えて、殉職だとかそういう目にあってもらいたくないです。そのために、父親はもういないですが、警察という仕事を続けていきたい」と強く語りました。
父が作った最後のチャーハン。
将吾さんは「食べることができたことはよかったです。チャーハン作ってくれて、むちゃくちゃうまかったです」と振り返りました。
最後に将吾さんは自分の父親でもある警察官が立てこもり事件で殉職したことについて、「警察官という仕事は常に危険と隣り合わせだと自分では心のどこかで分かっていたつもりでしたが、いざ身内がこのようなことになると、改めて強く感じます。気をつけたいし、まわりにもこういう経験を伝えて、殉職だとかそういう目にあってもらいたくないです。そのために、父親はもういないですが、警察という仕事を続けていきたい」と強く語りました。
妻の佳代子さん「たくさんの孫に囲まれ優しいじぃじ」
妻の池内佳代子さん(61)は「26日はもともと同僚とタケノコを採りに行く予定で、タケノコ汁を作ってくれるのを楽しみに待っていました。じいじの、お父さんのたけのこ汁はいつもおいしいから。食べられなかったのは残念です。自宅の庭先でむいて瓶詰めにするんです。たくさんとってきて。ことしはないな」と話していました。
夫の人柄について「若い頃は厳しい人でしたが、いまはたくさんの孫に囲まれ、優しいじぃじでした。警察の音楽隊ではドラムの担当で、後輩にも慕われていました。音楽隊の練習で、家でドラムスティックをたたいてました。孫たちと一緒に音楽隊の演奏会に行ってとてもうれしそうでした」と振り返りました。
佳代子さんは「ドラムの音をもう聞くことができないのは本当にさみしいです」と話していました。
夫の人柄について「若い頃は厳しい人でしたが、いまはたくさんの孫に囲まれ、優しいじぃじでした。警察の音楽隊ではドラムの担当で、後輩にも慕われていました。音楽隊の練習で、家でドラムスティックをたたいてました。孫たちと一緒に音楽隊の演奏会に行ってとてもうれしそうでした」と振り返りました。
佳代子さんは「ドラムの音をもう聞くことができないのは本当にさみしいです」と話していました。