沖縄 本土復帰51年「基地の過重負担 いまだに変わっていない」

沖縄が本土に復帰して51年となる15日、当時、復帰運動に関わった人たちが沖縄本島の最北端にある辺戸岬を訪れ、記念碑の前で観光客に当時の状況や基地負担の現状などについて語りかけました。

沖縄本島最北端にある沖縄県国頭村の辺戸岬は、復帰前、20キロ余り離れた鹿児島県の与論島との間で、互いにかがり火がたかれるなど、復帰運動のゆかりの地となっています。

本土復帰から51年となる15日、復帰運動に関わった人たちが辺戸岬に集い、記念碑の前で観光客に当時の状況や基地負担の現状などについて語りかけました。

名護市の元教諭、山城正二さんは(87)復帰前に沖縄の現状と本土復帰に理解を求める手紙を全国の人たちに送り、その数は2000通に上ったということです。

山城さんは「県外の人たちに沖縄の実情を知ってもらおうと手紙を書いていました。基地の過重負担は、いまだに変わっていないので、これからも1人でも多くの人に伝えていきたいです」と話していました。
また、復帰当日が結婚記念日だという大宜味村に住む金城健一さんは(78)「復帰をすれば本土並みになると期待したが、基地問題など復帰前と全く変わっていない。小さな活動ですが、これからも皆さんに訴え続けていきたいです」と話していました。