『豚汁が恋しいです』常連客の声支えにキッチンカーで再起へ

「いつからランチ始まりますか」
「豚汁が恋しいです」
飲食店を閉めて、先が見えない日々の私の支えは、常連客の声でした。

多くの方の人生を変えた感染拡大の3年あまりがすぎ、今月からキッチンカーで手作りの弁当を届けます。

「5類」移行後も完全に元のようには戻らないかもしれないですが、ひたすら明るく元気に笑顔で過ごしていきたいです。

ちょっとの休業のはずが

吉澤万里子さん(61)
吉澤万里子さんが、東京都内で営んでいた飲食店を一時休業したのは最初の緊急事態宣言が出された2020年の春でした。

「最初は協力金も出るし、ちょっと休めばすぐ復活するだろうと、そんな深刻に思ってなかったんです」
飲食店で出していた当時の定食
季節のごはんと豚汁は、おかわり自由。

ビルの1室にあったランチのお店は、近所の家族連れやサラリーマンなど、多くのお客さんで連日にぎわっていました。

それでも感染拡大の中、大切な常連客を感染させてはならないと、休業に応じました。
当時の店内
しかし、感染状況は落ち着いたかと思えばまた拡大。

先の見えない日々の中で、半年後には店を閉めざるをえなくなりました。

キッチンカー 予想外の苦境

なんとか飲食業を続けたいと、代わりに始めようとしたのがキッチンカーでした。

屋外での販売なら感染のリスクも低いはず。

店舗より維持費を抑えられることもプラスでした。
2020年10月5日放送
3か月で50万円がかかる車のレンタル費用は、補助金で一部を賄うめどがつきそうでした。

吉澤さんはこのころ、NHKの取材に応えて、前を向こうとする思いを伝えていました。

「店は常連客も多くて毎日楽しく営業していたので閉めるのは本当に残念でしたが、何とか新しい事業を始められそうです」。

しかし、思ったようには進みませんでした。
当時はほかの飲食店も相次いでキッチンカーへの業種転換を図っていて、いざ出店場所を探すと、競争が激しく確保が難しかったのです。

テレワークが進んだことでオフィス街の人出も激減し、需要自体も減っていました。
2020年3月 東京 丸の内
結局、この車を使って業者向けに仕出し弁当やケータリングを届けることで、なんとか事業を続けることになりました。

「だんだん厳しくなっていって、何をしていいのか分からなくて、このまま感染が収まらなかったらどうしようという漠然とした不安が大きかった。ずっと何もしないといろんなことを悪く悪く考えるので、なるべく先につなげられるよう一生懸命になるように努力しました」

『豚汁が恋しいです』

仕事は続けられましたが、以前のようにお客さんに直接食事を提供することはかないません。

「対面」の大切さが、身にしみました。

「お客さんが恋しくなるんです。『元気?』『きょういいことあった?』みたいな何気ない会話がすごく大事で、大切だったんですよね。宅配だとゆっくりお話はできないし、届けてもありがとうと渡してそのままだったり、ドアにかけていくだけだったり」

その後、2021年の第3波の頃からは、会食でのクラスター発生など特に飲食に関連した感染に注目が集まりました。

政府も営業時間の短縮や酒類の提供の停止を求めるなど、飲食店には厳しい状況が続きました。
終わりの見えない日々に心が折れそうになった時、支えとなったのが常連客からのメールでした。

「時々、『豚汁が恋しいです』とか、『いつからランチ始まりますか』とかメールをいただきました。だから飲食業をやめられなかった。私も『お目にかかれないのは寂しいです。でも緊急事態が解除されたらすぐに始めますから』っていう返事をしました。そのまま3年たっちゃったけど」

一度、飲食業をやめたら、片づけてしまったら、もう戻れないかもしれない。

待っていてくれるお客さんのためにも、できるだけ耐えようと思ったといいます。

自分にできることを

何を作ってどういう売り方をすればいいのか。

誰に向けて売ればいいのか。自問自答が続きました。

2022年の夏には補助金を使ってイベントで使う設備を導入しました。

世の中が少しずつコロナに慣れてくることで、地域のお祭りや外国人の旅行客も戻ってくるかもしれないと考えた模索でした。
知り合いの子どもたちを集めてポップコーンや綿菓子を一緒に作ったり、久しぶりに開かれた祭りにも出店したりもしました。
綿菓子は大人気でした。

久しぶりに対面で見られた笑顔と“おいしい”のことば。

みんな、久しぶりに集まれたのがうれしかったように見えました。

3年越しにキッチンカーで再起

そして、今月。

吉澤さんは、銀座の一角にキッチンカーを出店することになりました。
感染対策の緩和でオフィス街に人が戻ってきているからと、取り引きがあった企業から提案を受けたことがきっかけでした。

キッチンカーでの営業を目指してから、3年越しの実現です。

「あー、やっと!って感じでした」

販売するのは、玄米や野菜など入った健康なお弁当や、いち押しの肉を使ったカレーとデミカツ丼など。

暖かいまま、食べてもらえるように準備しています。

「対面」を取り戻すことで吉澤さんが大事にしたいことは、やはり、お客さんとの何気ない会話でのふれあいです。
「お客さんと顔を合わせての飲食業だと思っているので。ただ売るだけじゃなくて、『こんにちは』『あら、きのうも来てくださいましたね』とか、なにかちょっとひと言プラスして話せたらいいなと思います」

「5類になっても…」

一方で、「5類」移行後も、変わってしまった「新たな日常」と向き合い続ける人たちがいます。
千葉県市川市 特別養護老人ホーム「親愛の丘市川」
重症化リスクが高い高齢者が暮らす特別養護老人ホーム「親愛の丘市川」では、引き続きマスク着用などの感染対策が続いています。

5類に変わっても感染や重症化のリスクは減っておらず、クラスターや死亡者を出さないためには、基本的な対策を緩めるわけにはいかないといいます。

それでも「対面」復活

こうした中でも、施設では対面での面会を再開しました。

これまで、対面での面会は原則、禁止し、窓を挟んでワイヤレスマイクを使った面会などを行ってきました。
ただ、4月からは対面での面会を再開し、1日に受け付ける面会の予約の数も倍に増やすなど緩和を進めています。

面会の機会の減少は「入居者の心身の健康に影響を与える」として、感染対策をとりながらもできるだけ再開するよう厚生労働省も求めています。

妻の面会に訪れた90歳の男性は「施設はできるかぎりの対応をしてくれていると思いますが、認知症の症状が進んで、家族の顔を忘れられてしまう不安もあり、自由な面会や家での一時的な宿泊ができるようになってほしい」と話していました。

一方、引き続き居住スペースでの面会はできず、館内ではマスク着用を徹底するほか、入居者の外出は緊急時以外はできないなど、今後も制限は残るということです。
「親愛の丘市川」施設長 千野哲孝さん
施設長の千野さんは「コロナが重症化しなくなるなど希望の光が見えれば別ですが、今はまだ基本的な対策を緩めるわけにはいかないと考えています。コロナ前までは、ご家族が親御さんがいる部屋まで自由に入って面会できて、それも何時間いても構わなかったのが引き続き制限せざるをえず申し訳なく思いますが、ご理解いただきたい」と話しています。

そのうえで、次のように話しています。

「感染状況も一時期より落ち着き、今は介護施設の職員だからといって旅行や外食など制限されることはないと思っています。ただ施設で暮らすのは感染すれば命の危険もある人たちで、日頃それぞれの行動には十分注意するよう職員には伝えていて、私が言わずとも、施設では“きょうから5類だ”といって気を緩めるような職員はいません。これからは入所者の安全を守りつつ、制限されてきた家族や地域の人たちとの交流などをどう戻していくかが難しい課題になります」

多くの人生変えた3年がすぎ、ひたすら笑顔で

今月からキッチンカーを出店する吉澤さん。

吉澤さんがつくる弁当には、食べる人の健康に気を配ったメニューが詰まっています。

エビの5色あられ揚げ、ほたてオリーブオイル煮、ズッキーニロール、彩りピクルス、それに酵素玄米の元気ごはん。
その人の状況を考えてメニューをそろえたり、一人一人の好き嫌いにあわせて調整することもあるといいます。

3年越しの再起を前に改めて吉澤さんに思いを聴くと、こんなことばが返ってきました。
吉澤万里子さん
「人生設計を変えた方も何人もいらっしゃったので、すごく多くの方の人生を変えた3年間だったと思います。この3年間本当につらかったししんどかったですが、そういうことばかり思っていても先に進めないし、元のようには戻らないかもしれないけれども、ひたすら明るく元気に笑顔で過ごしていきたいなという気持ちです」

「今までどおり感染症対策は続けることには違いはないんですけど、ただお客様の楽しそうな様子が目の前で見えたりとか、自分が笑顔で接客しているっていうことを分かって頂けるっていうのは、すごくうれしいですし、楽しみです」