陸路で30時間超 スーダン在留邦人 “長い緊張に満ちた退避”

情勢が悪化しているアフリカのスーダンから25日までに日本人やその家族あわせて58人が退避しました。
その多くは、首都ハルツームを出発してから30時間以上かけて空港に到着し、自衛隊の輸送機で周辺国ジブチへ移動。道中の緊迫した状況が明らかになってきました。

約1200キロのルートも 空港目指し二手に分かれる

スーダンの首都ハルツームにいた日本人とその家族45人が退避のために陸路で向かったのが北東に直線距離でおよそ700キロ離れたポートスーダンにある空港です。

関係者によりますと、ハルツームの空港は攻撃で被害を受けていたほか、空港から北におよそ25キロ離れた空軍基地も経路の途中で衝突が続いていたことなどから、ポートスーダンの空港に向かったということです。
移動は複数のルートが検討され、このうち、ハルツームの北側に向かう800キロ余りのルートと、南側をう回して向かうおよそ1200キロのルートの二手に分かれてバスなどで移動しました。

出発から数時間後 “フランス大使館の車列が攻撃受けた”情報

このうち北側のルートは日本時間の23日午後2時すぎ、現地時間の午前8時すぎ、国連の車列などと一緒にハルツームを出発したということです。
また、南側のルートも23日午後3時半ごろ、現地時間の午前9時半ごろハルツームを出たということです。

その数時間後、関係者の間に衝撃を与えるニュースが入ります。退避にあたっていたフランス大使館の車列が攻撃を受けたという情報でした。関係者の1人は「停戦が合意されているはずなのに攻撃があり、移動中の安全が保たれない可能性があった。とにかく無事にポートスーダンにたどりついて欲しいという気持ちだった」と話しています。

また、別の関係者は2021年8月アフガニスタンで在留邦人らが退避する際に起きた自爆テロのことが頭をよぎったと言います。「アフガニスタンでは空港に向かっていた車列の近くで爆発が起き、引き返す事態となった。今回も同じようなことが起きるのではないかと思った」と話しています。

南側ルートではタイヤがパンクするトラブルで焦りも

関係者によりますと今回、南側のルートではバスのタイヤがパンクするトラブルが起きたといいます。パンクが起きたのはポートスーダンまで半分を過ぎたあたりのところで、これによって到着時間が読めなくなったといいます。

関係者の1人は「トラブルはつきものだが、停戦合意の期限も迫っていたため焦りを感じた。数時間後に再出発の知らせが来た時は胸をなで下ろした」と当時の心境を明かしました。

結局、ポートスーダンに到着したのは、いずれのルートも出発からおよそ30時間後の日本時間の24日夜9時前後。道路の状態が悪いなか、夜間の移動が伴ったことに加え、トラブルも起きたため、到着は計画よりも大幅に遅れたということですが、全員、けがをすることもなく、スーダンを退避することができました。

みずから車運転 NPOの日本人理事長 退避の状況語る

ポートスーダンへ退避途中の車内から撮影
スーダンで医療や教育などの支援に取り組むNPO法人「ロシナンテス」の川原尚行 理事長(57)が日本時間の25日午後、退避先のジブチでNHKの取材に応じました。

川原さんによりますと現地時間23日午前4時に首都ハルツーム市内の集合場所に集まり、車列を組んで東部の都市、ポートスーダンを目指したということです。

川原さんはほかの在留邦人も乗せてみずから車を運転し、ポートスーダンに到着したのは30時間以上たった翌24日午後1時ごろだったということです。

道中では、食事休憩の途中に危険が迫っている情報があるとして休憩を中断したこともあったということです。
退避した川原尚行さん 
川原さんは「いつ攻撃されるかわからない中をかいくぐって長い時間運転して、退避してきたので、自衛隊に会えた時は本当に安心しました。感謝の気持ちしかないです」と話していました。

「長い緊張に満ちた退避」と語る日本人女性も

スーダンの首都ハルツームからジブチに退避した日本人の女性が日本時間の25日午前、SNSのメッセージでNHKの取材に応じ「大変に長い1日でした。国連機関の調整によりハルツームからポートスーダンまで退避し、ポートスーダンからは自衛隊機と一緒にジブチまできました。ハルツームからポートスーダンまでは待ち時間も含めて36時間に及ぶ長い緊張に満ちた退避でした」とコメントしました。

C2輸送機1機で45人をジブチへ運ぶ

スーダンから日本人など45人をジブチに運んだのは航空自衛隊のC2輸送機です。C2がスーダンへ向けてジブチを離陸したのは日本時間の24日午後5時15分ごろ。そのおよそ40分後には、C130輸送機もスーダンに向けて離陸しました。

航空機が発信する情報をもとに飛行コースを公開している民間のホームページ、「フライトレーダー24」によりますと、C2は離陸後、ジブチなどに面した紅海の上空を北上し、午後7時ごろにはポートスーダンの沖合上空に到達します。
そして、周辺で旋回を繰り返したあと、午後7時20分ごろにポートスーダンの空港に着陸したとみられています。

関係者によりますと、このとき、45人はまだ空港に着いていませんでしたが、退避活動にあたっている各国の航空機が空港を使用し、駐機場が確保できないおそれもあったため、着陸したということです。

実際にあとから出発したC130は駐機場に空きがなかったため着陸できず、ジブチに戻ったということです。
結局、C2、1機だけで任務にあたることになりましたがおよそ110人を輸送することができるため、45人全員を乗せて、24日午後11時半ごろポートスーダンを離陸し、日付が変わった25日午前1時10分ごろ、ジブチに到着しました。

情勢悪化後9日で邦人退避へ

今回、スーダンの在留邦人が退避をしたのは、現地で情勢が悪化してから9日後でした。

スーダンで異変が起きたのは今月15日。首都ハルツームを中心に軍と、準軍事組織の間で武力衝突が起きました。

戦闘が激しさを増すなか、19日、林外務大臣が浜田防衛大臣に対し、自衛隊による在留邦人などの輸送の実施に向けた準備を依頼します。

その翌日(20日)、浜田防衛大臣は自衛隊に対し、海賊対処などの活動拠点があるアフリカ東部のジブチに輸送機を移動させ、待機させる命令を出しました。
これを受け、自衛隊の輸送機3機が21日から22日にかけて日本を離陸し、23日未明までにいずれもジブチに到着しました。

一方、スーダンでは21日、軍と準軍事組織の双方が3日間の停戦合意を発表します。

こうした中、23日、浜田防衛大臣は林外務大臣から依頼を受けて、在留邦人の退避に向けて自衛隊に輸送の実施を命令します。

そして自衛隊は24日夜、ハルツームから直線距離で北東におよそ700キロ離れたポートスーダンの空港で、日本人41人とその家族4人をC2輸送機に乗せ、ジブチに向けて輸送しました。

自衛隊は約370人の部隊 護衛艦や車両での輸送にも備える

今回、自衛隊はおよそ370人の任務部隊を編成して、スーダンの在留邦人の輸送にあたりました。

実際に輸送を行ったのは航空自衛隊の輸送機ですが、防衛省関係者によりますと、輸送機が空港を使えない場合などに備えて、海上自衛隊の護衛艦でポートスーダンの港から在留邦人を輸送できるようにする命令も出されたということです。また、車両を使った輸送にも備えて、陸上自衛隊の車両を輸送機に乗せてジブチに運んだということです。

ただ、自衛隊による在外邦人の輸送任務では、派遣先の国の同意が必要なうえ、危険を避けるための方策を講じられることが要件となっていて、今回、車両による輸送任務は実施していません。

一方、今回の任務では、災害やテロなど、さまざまな緊急事態に対応する陸上自衛隊の「中央即応連隊」が現地に派遣されたということです。宇都宮市に駐屯する「中央即応連隊」は、陸上自衛隊が海外に派遣される際に先遣部隊として活動し、今回は、ポートスーダンの空港内で、退避してきた人たちの誘導にあたったということです。

海外に滞在する日本人の輸送任務をめぐって自衛隊法では、自分や輸送対象者などの生命や身体を防護するためにやむをえない場合には武器を使用することができると定められていますが、防衛省は今回、武器を携行したかどうかは「運用の詳細になるため答えられない」としています。

輸送実施命令は非公表 “邦人の安全確保を最優先” 防衛省

海外に滞在する日本人の国外退避に向けて自衛隊が輸送の任務を行うためには、防衛大臣の命令が必要となります。

今月20日、浜田防衛大臣は自衛隊に対し、輸送任務に備えてアフリカ東部のジブチに輸送機を移動させ、待機させる命令を出し、これを公表しました。

一方で防衛省によりますと、輸送の実施の命令は23日出されたということですが、25日まで公表していませんでした。
これについて防衛省は、「現地情勢が予断を許さない中で、厳しい状況にさらされている邦人などの安全確保を最優先に考える必要があった。命令を公表することで退避の動きが明らかになるなどの影響が出てはならず、慎重を期す必要があった」などと説明しています。