「ゲノム医療」の現状と課題は? シンポジウムで議論

遺伝子を調べてそれぞれの患者に応じた治療を行う「ゲノム医療」についてのシンポジウムが日本医学会総会の中で開かれ、医師らが診断がつきにくい難病で病名が分かり、治療につながるようになってきていることなど、診断や治療の進歩を報告しました。

ゲノム医療は、遺伝子の解析にかかるコストが安価になったことから特にがん治療の分野で普及してきていて、シンポジウムではがんや難病のゲノム医療の研究や治療を進めている医師らが議論を行いました。

このうち、慶応大学医学部の小崎健次郎教授は全国400近くの医療機関でネットワークを作り、診断がつきにくい希少な病気の患者の遺伝子の解析を行ったところ、およそ7000の家系の半分近くでどんな遺伝性の病気があるか分かり、治療につながるケースもあったと報告しました。

一方で、ゲノム医療では検査で病気のかかりやすさなどが分かるため、保険の加入や雇用や結婚などで、不当な差別を受けるという懸念や倫理的な課題もあり、日本医学会などは去年、差別を防ぐために早急な法整備を求める声明を出しています。

シンポジウムの座長をつとめた国立がん研究センター研究所の間野博行所長は「ゲノム情報は究極の個人情報で、それによって不利益を被らないような体制整備やよりよい方向で活用できるための仕組みが必要だ。国として基本的なルールを作るべきだ」と話していました。

がん治療ではゲノム医療で改善も

がん患者の遺伝子を調べて最適な治療薬を選ぶ新たながん医療の手法は「がんゲノム医療」と呼ばれ、2019年6月に公的な保険が適用され普及が進んでいます。

がんゲノム医療では、がんの発症などとの関連が指摘されている最大300余りの遺伝子に変異があるか調べる「遺伝子パネル検査」を受けたあと、患者に最適な治療薬を選びますが、国立がん研究センターによりますと、この検査を受けた人はことし2月までにおよそ5万人に上るということです。検査を受けた後、個人に適した抗がん剤を受けた結果、がんの症状が改善したケースもあります。

去年、国立がん研究センターを受診した70代の女性は希少な皮膚がんが肝臓に転移するなど進行し、有効な治療がなくなった段階で遺伝子パネル検査を受けました。検査で見つかった遺伝子変異に対応する「分子標的薬」の投与を受けたところ、7センチ以上あったがんが半年ほどで2センチになり、けん怠感などの症状もおさまり仕事をしながら治療を続けているということです。

治療を担当した国立がん研究センター中央病院の山本昇副院長は「半年ほどでこれほどの効果が出るとは思っておらず私たちも驚いた」と話しています。

その一方で、遺伝子パネル検査を受けた人のうち、遺伝子変異に対応する治療薬が見つかって実際に治療を受けられる患者は全体の1割ほどだということで、山本副院長は「遺伝子変異が見つかっても対応する治療薬がない場合が多い。研究開発は進んでいてこれから使える薬が増えれば、それぞれに適した治療を受けられる患者は増えてくると思う」と話しています。

さまざまな病気のリスクを推定する研究も

ゲノム解析によって、がんだけでなく、生活習慣病などさまざまな病気のリスクを推定する研究も進んでいます。

東京大学大学院の岡田随象教授は、糖尿病や心筋梗塞、関節リウマチなどの患者や、コレステロールなどの値が高い人など、300種類以上の病気や体質について数万人の遺伝情報を解析して、病気を発症するリスクと関連のある遺伝子の変異を見つけ出す研究を進めています。

病気の発症リスクにつながる遺伝子の変異には、病気の発症との関連が非常に強いものや一つ一つは関連が強くないものの、複数が積み重なることで病気のリスクが高まるものがあり、岡田教授は遺伝子に変異がどれだけあるかを調べて計算することで、特定の病気を発症するリスクの高さを推計しています。

こうした手法は「ポリジェニック・リスク・スコア」と呼ばれ、病気の予防や早期発見につながるとして各国で研究が進められています。

岡田教授は「生活習慣病など多くの人がかかる病気は、特定の遺伝子だけでなく数千のたくさんの遺伝子変異が組み合わさって、病気の発症に至るということが解析で分かってきている。生活習慣も発症に大きく関わるが、病気のなりやすさを知ることでより適切に、病気の予防に貢献できるのではないかと考えている」と話しています。
「ポリジェニック・リスク・スコア」について、愛知県にある藤田医科大学の医師らが設立したベンチャー企業では、去年から大学の病院に通院している患者などを対象に、唾液を採取して遺伝子を分析し病気の遺伝的なリスクを判定する検査を行っています。

この会社では岡田教授らが作った遺伝子と病気の関連を解析したデータベースの情報をもとに、糖尿病やがん、高血圧など40種類の病気や、血中のコレステロールの値や尿酸値が高くなりやすいといった25種類の体質の特徴について、どれくらいのリスクがあるのか分析して病気の知識や予防法とあわせて示しています。
この企業の社長を務める名古屋大学大学院の池田匡志教授は「遺伝的にリスクが高いからといって必ず病気になるわけではないが、リスクが高いからこそ予防のために生活習慣など行動を変えるきっかけにしてほしいというのが目的だ。将来的には結果を医師と共有して治療などに生かしてもらうサービスにもつなげたい」と話しています。

遺伝情報の取り扱いには課題も

がんの遺伝子検査を担当する医師の中には、遺伝性の大腸がんで手術を受けた患者が、医療保険の支払いを請求した際に保険会社から検査の結果などについて照会を受け、給付金の支払いが通常より遅れたケースを経験した人がいます。

千葉県がんセンターの横井左奈遺伝子診断部長は、遺伝性の病気の診断や患者の遺伝情報の違いに応じて最適な治療薬を選ぶ「がんゲノム外来」を担当しています。

横井部長によりますと、去年、遺伝性の大腸がんで内視鏡手術を受けた20代の男性が、損害保険会社に給付金を請求した際、男性の遺伝子の疾患について2回、文書での照会を受けたということです。
男性は保険に加入した後、親が遺伝性の大腸がんだったため、遺伝子検査を受けたところ、若くして大腸がんを発症するリスクが高い「リンチ症候群」と診断され、実際に去年、遺伝性の大腸がんを発症しました。
横井部長は、去年5月末に男性が加入する保険会社から「リンチ症候群」は加入時に保険会社への告知が必要だったとして、診断の経緯や検査の結果の詳細について調査会社を通じて照会を受けたということです。

これについて横井部長は、遺伝子検査の結果について照会を受けたと受け止め、日本損害保険協会が去年5月27日に出した「保険の加入や支払いでの遺伝子検査の結果などの収集や利用を行っていない」とする声明に反するとして保険会社への回答を拒否したということです。

その後、保険会社と協議した結果、手続きを始めてから半年以上たって給付金が支払われたということです。
横井部長は患者が不利益を被りかねなかったケースだったとしていて「遺伝情報の取り扱いについて定める法制度の整備を早急に進めるべきだ」と話しています。

一方、日本損害保険協会は当該の保険会社に対し事実確認を行ったということですが、従来から協会に加盟する保険会社では遺伝情報の利用は行っていないとしています。