ロシア軍のキーウ侵攻防ぐために破壊した橋を「遺構」に

ウクライナの首都キーウ近郊には1年前、ロシア軍の侵攻を食い止めるためウクライナ側がみずから破壊した橋があります。

ロシア軍が迫ってきたおそろしい体験を語り継ごうと、現地では、この橋を撤去せず「遺構」として保存する取り組みが進められています。

軍事侵攻が始まったあと、ロシア軍に一時占拠され、多くの市民が殺害されたキーウ近郊のブチャは、解放後、破壊された町の復旧が続き、侵攻の痕跡は薄まりつつあります。

一方、キーウに隣接するイルピンでは、幹線道路の橋をそのまま残し、隣に新たな橋をかける工事が進められていました。

地元の議員、タラス・ビアザチェンコさん(44)は、ブチャから市民が避難するのを手伝おうと、自分の車を使ってブチャの周辺とこの橋の間を何度も往復しました。

当時、ウクライナ側はロシア軍の首都侵攻を防ごうと橋をみずから破壊したため、市民は冷たい川の中や不安定な板の上を歩いて、向こう岸に渡らなければなりませんでした。

一時はおよそ2000人の市民が殺到し、砲撃されるのではないかとおびえながら、川を渡る順番を待ったということです。
ビアザチェンコさんたちは、こうしたおそろしい体験を語り継ぐために、壊れた橋を撤去してはならないと訴え、地元の議会は橋を「遺構」として保存することを決めました。

ロシア軍の侵攻が1年以上も続くなか、「遺構」となった橋には人々が足を運び、抵抗の気持ちを新たにしています。

子ども連れの母親は「ロシアが何をしたのか、事実を子どもにも伝えたいと思って見に来ました。橋を残すのはすばらしいことで、多くの人に知ってほしい」と話していました。
ビアザチェンコさんは「多くの市民は橋を残すことを望みました。この橋は、ロシア軍を食い止め、キーウ陥落を防いだ抵抗の象徴であり、われわれの自由のために犠牲になりました。そして、どうやってたくさんの人が救われたかを教えてくれる『命の道』でもあるのです」と話していました。