福島 富岡町 「特定復興再生拠点区域」の避難指示 解除

福島県富岡町にある帰還困難区域のうち、国が先行して除染などを進めてきた「特定復興再生拠点区域」の避難指示が4月1日、解除されました。

12年前に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故で、富岡町では町の面積の1割余りが立ち入りが厳しく制限される帰還困難区域に指定され、このうち46%にあたる夜の森地区と大菅地区のあわせて3.9平方キロで1日午前9時に避難指示が解除されました。

今回の解除によって、町のシンボルで、ちょうど満開になっている全長およそ2キロの桜並木の周辺地域すべてが居住可能になりました。
桜並木の近くの自宅に帰還した75歳の男性は「12年たってようやく元の暮らしに戻れます。夕方、花見客が少なくなったらゆっくり桜を楽しみます」と話していました。

一方、JR常磐線の夜ノ森駅前では、避難指示の解除に合わせて消防団のメンバーが山本育男町長などに見送られながら防犯パトロールに出動しました。

団員のほとんどはまだ町の外で避難生活を続けていますが、仕事が休みの時などに交代で地域のパトロールを行うということです。
山本町長は「生活環境の整備など課題は山積みだが、新たな産業を興すなどして移住・定住につなげていきたい」と話していました。

ふるさとへ帰還の男性「やっと元の暮らしに」

夜の森地区の桜並木の近くにある自宅で、10か月前から自宅に寝泊まりして帰還の準備を進める「準備宿泊」を続けていた小野耕一さん(75)は、午前9時の避難指示解除とともにふるさとへの帰還を果たしました。

小野さんは、12年前に起きた原発事故で避難を余儀なくされたため、妻の繁子さんともに郡山市で避難生活を続け、毎年、桜が咲く時期には一時立ち入りを申請してふるさとに足を運んできました。

生まれてから原発事故が起きるまで63年間、夜の森の桜並木とともに暮らし、子どものころは通学路も友達と遊ぶのも桜のトンネルの下だったということです。

小野さんは「定年退職し、第2の人生が始まると思ったやさきに震災と原発事故が起きたので、12年たってやっと元の暮らしに戻れます。夕方、花見客が少なくなったらゆっくり桜を楽しみます。周りではたくさんの家が解体されて今は人がいませんが、『帰還するつもりだ』と話している人もいるので、これから少しずつにぎわいが出てくればいいと思います」と話していました。

シンボルの桜並木 光に照らされて

避難指示が解除された1日には、町のシンボルになっている桜並木のライトアップが始まりました。

夜の森地区の桜並木は、例年より早い先月23日に開花し、5日後の28日に満開が発表され、1日午後6時に夜桜を楽しむためのライトアップが始まりました。点灯式で山本町長などが点灯ボタンを押すと、夕暮れの中、満開の桜が華やかに浮かび上がりました。

ライトアップは1日から、今月9日までの午後6時から9時に行われます。

帰還困難区域の避難指示解除は5例目に

富岡町の避難指示解除は、JR常磐線夜ノ森駅周辺の解除以来3年ぶりで、帰還困難区域の避難指示解除は、去年の葛尾村、大熊町、双葉町、それに3月31日の浪江町に続いて5例目です。

今回の解除で町のシンボルになっている全長およそ2キロの桜並木の周辺地域すべてが居住可能になります。

この区域には3月1日時点で1143世帯2580人が住民登録していて、町は5年後までに居住者を1600人まで増やしたいとしています。

ただ、自宅に寝泊まりしながら帰還の準備を進める「準備宿泊」の制度に登録したのは2%にあたる26世帯54人にとどまっていて、帰還の促進に加え移住者など、まちづくりの担い手をどのようにして呼び込むかが課題となります。