使われていない土地 “希望の場所”に

使われていない土地 “希望の場所”に
東日本大震災の発生から12年。被災地には、津波の被害を受けて住民が高台などに移転したあと、活用されないままの土地がいまも多く残っています。課題が多く、買い手も借り手も見つからない。そうした土地に、農業を通じて新たな価値を生み出した人たちがいます。(盛岡放送局記者 高橋広行)

ハウスが建つ場所 実は…

岩手県大船渡市の海沿いに、ひときわ目をひく大きなハウスがあります。
広さはおよそ1.5ヘクタール。

トマトが栽培されていて、内部の温度や湿度、日照時間などは24時間コンピューターで管理されています。
このハウスが建っている場所、もともとは、大規模な農業をできるような土地ではありませんでした。

東日本大震災の津波で浸水し、その後、手付かずのままになっていたのです。

大変だった“土地の買い取り”

このハウスを建てたのは、橋本幸之輔さん(42)です。
盛岡市出身で、大学卒業後は県外で働いていましたが、復興の役に立ちたいと、震災をきっかけに岩手に戻りました。

実家で行っていたトマト栽培に関わる中で、岩手には少ない大規模なハウスを建て、農業のイメージを変えたいと考えるようになった橋本さん。

その夢をどこで実現するのか。自治体の担当者とも面会を重ねる中で、たどりついたのが、いまの土地でした。

市から提示された年間の賃料は、1平方メートル当たり、たったの10円。破格の安さには、もちろん理由があります。

津波のリスクが高い「災害危険区域」にあるうえに、すぐには使えないやっかいな状態だったのです。

なぜやっかい?

やっかいな状態とは、どういうことなのか。

当時の土地の図面を見ると、その理由がわかります。
白い部分は市の土地(公有地)ですが、黄色い部分は民間の土地(民有地)。まさに“虫食い状態”となっていたのです。

原因は、震災後のある復興政策にありました。

この場所は、自治体に浸水した土地を買い取ってもらい、高台に家を建てるという方法で復興が進められました。しかしこの場合、自治体が買い取った土地やその周辺は安全のために「災害危険区域」に指定され、新たに住宅を建てることはできなくなります。

また買い取りの対象となるのは、国の復興予算の関係で「住宅があった土地」だけ。このため、駐車場や倉庫、畑だった場所などは、持ち主が以前のままになっていたのです。

復興の力になりたい

この状態を解消するため、橋本さんは思い切った行動に出ます。

地権者18人と連絡を取り、合わせて数千万円で土地を購入。土地を1つにまとめたのです。
橋本さん
「ものすごく悩んだ。かなりの資金だったので、覚悟がないとできないと思った」
事業について相談していた、山梨県の農業法人との共同出資が実現したことも、大きな助けとなりました。
その後、国の補助金も受けて、2018年にハウスは完成しました。

若い人が集まる場所に

それから5年。

トマトの出荷先は、首都圏を中心に大阪や兵庫など、関西圏にも拡大しています。
年数を重ねる中で、社員だけでなく、パートの人たちの作業の習熟度も向上。

橋本さんは、大きな手応えを感じているといいます。
橋本さん
「“農業を楽しむ環境”はこれまで限りなく少なかった。私から提供できるものは提供して、地域の人たちがそれに応えてくれて、楽しそうに働いてくれていることが、大きなやりがいです」
橋本さんは、2023年度中に、市内の別の場所に3棟のハウスを建てる計画です。
この土地も、市有地と民間の土地が混ざっていましたが、今度は市が独自に1億7000万円の予算を確保し、土地をまとめてくれました。

新たに建設するハウスでは、今後最大で80人を雇用する計画です。
橋本さん
「地元には仕事が少なく、外で学んだことを生かせる場がないということをよく聞きます。若い人たちに、ここを目指して勉強してもらえるような存在になるというのが1つの願いであり目標です」

いちごの稼げる”栽培モデル”

大船渡市でいちごを栽培している太田祐樹さん(45)も、震災後、手付かずだった土地に3年前、新たに農業用のハウスを建てました。
この場所も、もともとは市有地と民間の土地が混在している状態でした。

しかし、太田さんの事業計画を聞いた地元の人の後押しもあり、ほとんどの地権者が土地の交換に応じてくれ、大きな1つの土地にまとめることができました。

「夏いちご」にかける

太田さんが栽培しているのは、6月から11月にかけて収穫の時期を迎える品種で、これらは「夏いちご」とも呼ばれます。

夏いちごは、スーパーなどで冬から春にかけて並ぶ「とちおとめ」や「あまおう」といった「冬いちご」に比べ、市場に出回る量が少なく、価格は冬いちごの2倍になる時期も。ケーキ用などとして、高い需要があります。
もともと岩手県の農業研究センターの研究員だった太田さん。

被災地の農業に新たな担い手を呼び込むため、「稼げる栽培モデル」を求めて研究をしていた2014年。
“夏は暑すぎず、冬は寒すぎない”という岩手沿岸であれば、本来、秋には栽培をやめてしまう夏いちごを、年中育てられるということに気がつきます。そこに大きなチャンスを見いだし、身をもって実践するため、農家に転身したのです。

全国的にいちごの生産が減る夏に出荷できること。

夏いちごを冬に育てると、夏よりも時間をかけて実が大きくなるため、熟成して甘みが増すことなどから、現在の栽培スタイルに大きな自信をもっています。
太田さん
「夏いちごは勝てるコンテンツ。ハウスの電気代が倍になっているのは経営的には大きいですが、夏いちごを年間通して栽培できるアドバンテージは揺るがないです」
販路は着実に拡大。2年前に10だった取り引き先は、現在、洋菓子店を中心に県内外の50以上に広がりました。

太田さんは今後もこの場所で、雇用を生み出し続けることが重要だと考えています。
太田さん
「大船渡で、被災跡地で仕事を立ち上げたので、持続する仕事を作っていくのが使命だと思っています。それは確実に進めていかないといけない」
また、自身のハウスで多くの人にいちごの栽培方法を学んでもらい、岩手沿岸の一帯で、いちご生産の担い手を増やしていきたいと考えています。

“使われていない土地”いまなお多く

橋本さんや太田さんが農業を始めた土地は、津波の被害を受けて住民らが高台などへ移転したあと、人が離れ住めなくなった所で、「被災跡地」とも呼ばれています。

復興庁のまとめによると、2021年12月末時点で、自治体が買い取った被災跡地は、岩手、宮城、福島の3県で約2100ヘクタール。このうち、東京ドーム128個分に当たる約600ヘクタールがなお活用されないままだということです。

これだけでも相当な広さですが、実際には、自治体の集計が進んでいないなどの理由で、使われていない土地は、これを大きく上回ると見込まれています。

そしてほとんどの被災跡地では、民間の土地が虫食い状態で残されたままです。また大半は野ざらしの状態で、活用する場合は、整地・造成をする必要があるほか、草刈りなど土地の管理もしなくてはなりません。

橋本さんや太田さんのような人たちによって、生まれ変わった土地もある一方で、こうした土地の活用に向けた自治体などの模索は、現在も続いています。

被災地にいまなお残る課題を、今後も伝え続けていきたいと思います。
盛岡放送局記者
高橋広行
2006年入局
広島放送局、社会部、成田支局を経て2019年から現所属