78年前の3月26日、アメリカ軍は沖縄本島の西、およそ40キロにある慶良間諸島の座間味村に上陸を開始し、日米間の戦闘やいわゆる「集団自決」などでおよそ1200人が亡くなりました。
村内にある犠牲者の名前が刻まれた「平和之塔」では、雨が降る中、遺族などが平和への祈りをささげました。
沖縄戦 米軍上陸から78年 遺族らが平和への祈り 沖縄 座間味村
沖縄県民の4人に1人が犠牲となった太平洋戦争末期の沖縄戦で、アメリカ軍の上陸が始まってから26日で78年です。最初にアメリカ軍が上陸し、多くの住民が命を落とした慶良間諸島の座間味村では、遺族などが平和への祈りをささげました。
太平洋戦争末期の昭和20年3月に始まった沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、20万人を超える人が犠牲となり、県民の4人に1人が命を落としました。


曽祖母などが「集団自決」で亡くなったという宮里征吾さん(38)は、「犠牲者に手を合わせたくて子どもと来ました。戦争体験者が少なくなる中、歴史を語り継いでいきたい」と話していました。

夫の91歳の祖母から戦争体験を聞くという高江洲果奈子さん(36)は「戦争のない世の中になるようにと願いました。おばあちゃんから聞いた戦争の話を次の世代に伝えていきたい」と話していました。
村によりますと、戦争体験者の高齢化が進み、当時の出来事を語ることができる人は村内にはほとんどいないということで、歴史の継承が課題となっています。
村によりますと、戦争体験者の高齢化が進み、当時の出来事を語ることができる人は村内にはほとんどいないということで、歴史の継承が課題となっています。