フランスの作家モーリス・ルブランは、怪盗アルセーヌ・ルパンの活躍を描いた作品などで知られ、「ルパン」シリーズは今も世界中で親しまれています。
見つかった資料は、1930年代ごろにルブランが日本でのルパン・シリーズの出版の際に送った手紙や原稿など少なくとも17点です。
ルパンシリーズの翻訳で知られる翻訳家の保篠龍緒の遺族が保管していた資料を二松学舎大学の山口直孝教授らが調査し、見つかりました。
このうちルブランから日本の読者に宛てたメッセージは、1931年に発行された「ルパン全集第1巻」に写真が掲載されているものの原本で、ルブランの直筆とみられます。
怪盗「ルパン」生みの親 仏作家ルブラン 直筆とみられる新資料
「アルセーヌ・ルパン」の生みの親として知られるフランスの作家、モーリス・ルブランが日本の翻訳家に送った直筆とみられる手紙や原稿などの資料が新たに見つかりました。


ルブラン自身がルパンの友人という設定で書かれていて「文化的な日本の大衆に理解され、愛好されることはこの上もない喜びであります」などとつづられています。
また「バルタザールのとっぴな生活」という作品の原稿はタイプライターで打たれていて、ルブラン自身によるとみられる手書きの修正が書き加えられています。
このほか、日本での翻訳の際にルブランとの間で交わされた文書なども含まれています。
山口教授によりますと、ルブランの直筆資料はフランスにも多くは残されていないとされ、ルパンシリーズが世界に広がっていく過程を知る貴重な資料だということです。
また「バルタザールのとっぴな生活」という作品の原稿はタイプライターで打たれていて、ルブラン自身によるとみられる手書きの修正が書き加えられています。
このほか、日本での翻訳の際にルブランとの間で交わされた文書なども含まれています。
山口教授によりますと、ルブランの直筆資料はフランスにも多くは残されていないとされ、ルパンシリーズが世界に広がっていく過程を知る貴重な資料だということです。

山口教授は「日本の読者へのメッセージは力強い字体からきちょうめんで誠実な人柄がうかがえ、遠く離れた東洋の国で自分の作品が読まれることを喜んでいたのではないか」と話していました。
モーリス・ルブランとルパン
フランスの作家モーリス・ルブランは、もともと純文学などが中心でしたが、1905年、40歳を過ぎて発表したルパンシリーズの最初の作品「アルセーヌ・ルパンの逮捕」が話題となります。
変装の名人である怪盗ルパンが財宝を盗み出す一方で、貧しい人たちを助けたり難事件に立ち向かったりする冒険小説で国内外で人気を集め、1941年に亡くなるまでに50以上の作品が発表されました。
日本でも明治時代から読まれていましたが、昭和のはじめごろに翻訳家の保篠龍緒が翻訳権を取得して「ルパン全集」を出版し、広く知られることになりました。
保篠龍緒は、当時、フランス語の発音から「リュパン」としたり、「有田龍造」など日本人の名前にしたりして紹介されていた主人公の名前を「ルパン」として定着させたほか、原題を直訳すると「空洞の針」となる作品を「奇巌城」という題名で翻訳するなど、その後のルパンシリーズの翻訳に大きな影響を与えたとされています。
変装の名人である怪盗ルパンが財宝を盗み出す一方で、貧しい人たちを助けたり難事件に立ち向かったりする冒険小説で国内外で人気を集め、1941年に亡くなるまでに50以上の作品が発表されました。
日本でも明治時代から読まれていましたが、昭和のはじめごろに翻訳家の保篠龍緒が翻訳権を取得して「ルパン全集」を出版し、広く知られることになりました。
保篠龍緒は、当時、フランス語の発音から「リュパン」としたり、「有田龍造」など日本人の名前にしたりして紹介されていた主人公の名前を「ルパン」として定着させたほか、原題を直訳すると「空洞の針」となる作品を「奇巌城」という題名で翻訳するなど、その後のルパンシリーズの翻訳に大きな影響を与えたとされています。