中山太郎元外相死去 98歳 国会での憲法論議で中心的役割果たす

湾岸戦争の際に外務大臣を務め、アメリカなどとの交渉にあたったほか、国会での憲法論議で中心的な役割を果たした、中山太郎氏が3月15日に老衰のため亡くなりました。98歳でした。

中山太郎氏は、大正13年に大阪市で生まれ、母親は日本で初めて女性閣僚を務めた、中山マサ元厚生大臣です。

医師や大阪府議会議員を経て、昭和43年の参議院選挙で自民党から立候補して初当選し、その後、昭和61年に衆議院議員に転出して7回の当選を重ねました。

この間、昭和55年に鈴木内閣で沖縄開発庁長官などとして初入閣し、平成元年から2年余りにわたって海部内閣の外務大臣を務めました。

外務大臣としては、湾岸戦争にあたって、日本の人的貢献を求めるアメリカなどとの交渉にあたり、その後も、各国との友好親善を図る議員連盟の会長や、自民党の外交調査会長を務めるなど、長年、外交に携わりました。

また、平成12年に設置された衆議院憲法調査会で会長を務めるなど、国会での憲法論議で中心的な役割を果たし、憲法改正の手続きを定めた国民投票法の成立に携わりました。
臓器提供の在り方を定めた臓器移植法をめぐっても、平成9年の成立や、その後の改正にあたり、提案者の1人として深く関わりました。

中山氏は、民主党政権が誕生した平成21年の衆議院選挙で落選しましたが、平成23年に、今の衆議院憲法審査会が設置されて初めて実質的な質疑を行った際に、参考人として見解を披露するなど、その後も、憲法改正をめぐって積極的に発言していました。

関係者によりますと、中山氏は、3月15日に大阪府内の施設で老衰のため亡くなりました。

98歳でした。

稲田元防衛相「遺志を引き継ぎ憲法改正を実現」

中山氏が所属した派閥の流れをくむ自民党安倍派で憲法改正の作業チームの座長を務める稲田元防衛大臣は、記者団に対し「自民党の中で、憲法改正に一番熱意を持って、先駆的に取り組んだ方であり、その遺志をしっかりと引き継ぎたい。私たちも憲法改正を実現すべく頑張っていきたい」と述べました。

立民 中川憲法調査会長「民主的な運営に勉強させていただいた」

衆議院憲法審査会で野党側の筆頭幹事を務める立憲民主党の中川憲法調査会長は、記者団に対し「憲法に関して合意を作り上げていこうという思いと、少数意見も含めて一人一人の考え方を丁寧に聞く民主的な運営には、本当にいい勉強をさせていただいた。今の憲法審査会も、そうした流れをくんで、しっかり議論していきたい」と述べました。

維新 馬場代表「憲法審査会の土台を作った」

かつて中山氏の秘書を務めていた日本維新の会の馬場代表は、記者団に対し「心からお悔やみを申し上げる。湾岸戦争など世界の『地殻変動』の中で外務大臣を務めて東奔西走し、憲法改正にも全力を挙げて今の憲法審査会の土台を作った。その思いを受け止めて、憲法改正の国民投票が実現するよう傾注していきたい」と述べました。