袴田巌さんの再審認める決定 東京高裁 証拠“ねつ造”疑い言及

57年前、静岡県で一家4人が殺害された、いわゆる「袴田事件」で、無罪を主張しながらも死刑が確定した、袴田巌さんについて、東京高等裁判所は再審=裁判のやり直しを認める決定をしました。有罪の根拠とされた証拠について、決定は「捜査機関が隠した可能性が極めて高い」と、“ねつ造”の疑いに言及しました。

袴田巌さん(87)は、57年前の1966年に今の静岡市清水区で一家4人が殺害された事件で、死刑が確定しましたが、無実を訴え、裁判のやり直しを求めています。

9年前、静岡地方裁判所が再審を認める決定を出し、袴田さんは死刑囚として初めて釈放されましたが、その後の東京高裁は一転して再審を認めず、さらに最高裁が審理が尽くされていないと判断したことから、東京高裁で再び審理が行われる、異例の展開をたどっていました。
最大の争点は、逮捕から1年以上あとに現場近くのみそタンクから見つかった衣類についた血痕の色の変化です。

衣類は有罪判決の決め手となった証拠ですが、袴田さんが隠したものかどうかを検証するため、1年以上みそに漬かった状態でも血痕に赤みが残るかどうか、弁護側と検察の双方が主張を繰り広げました。

13日の決定で、東京高裁の大善文男裁判長は、弁護側が示した実験結果などについて、「1年以上みそに漬けられると血痕の赤みは消えることが、専門家の見解からも化学的に推測できる。袴田さんが犯行時に着ていたという確定判決の認定には合理的な疑いが生じる」として、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」にあたると判断し、再審開始を認めました。

さらに、「衣類は事件から相当な期間が経過したあとに第三者がタンクに隠した可能性が否定できず、事実上、捜査機関による可能性が極めて高い」と厳しく批判しました。

また、袴田さんの釈放についても、「無罪になる可能性や再審開始決定に至る経緯、袴田さんの年齢や心身の状況に照らして相当だ」として、引き続き認めました。

決定に不服がある場合、5日以内に検察は最高裁判所に特別抗告することができますが、決定が確定すれば、裁判がやり直されることになります。

東京高裁の前では支援者らから喜びの声

東京高等裁判所の前では、再審を認める決定が出された直後の午後2時すぎ、裁判所から出てきた弁護士が「再審開始」や「検察の抗告棄却」と書かれた紙を掲げると、集まった支援者らから大きなどよめきが起きました。
そして、「よくやった」とか「よかった」といった喜びの声があがっていました。
その後、袴田さんの姉のひで子さんが、裁判所から笑顔で出てきて、「再審が認められ本当にうれしいです。56年間闘ってきて、この日がくるのを心待ちにしていました。これでやっと肩の荷が下りた感じがします」と話していました。

また、弁護団の小川秀世弁護士は「当然の決定だと思いますが、本当にうれしいです。検察に対しては特別抗告をしないよう要請します」と涙を流しながら話していました。

そして、ひで子さんと小川弁護士が抱き合って喜びを分かち合うと、支援者から大きな拍手が送られていました。

このあと、袴田さんの支援者20人余りは午後3時前に東京高等検察庁の前に集まり、プラカードを掲げながら「検察は再審開始決定に従え」とか「袴田さんに真の自由を」などとシュプレヒコールをあげていました。

弁護団長「検察官の主張ことごとく排斥 画期的だ」

再審を認める決定を受け、袴田さんの姉のひで子さんと弁護団、それに支援する日弁連=日本弁護士連合会が会見を開きました。

この中でひで子さんは「再審開始になることを願って今まで生きてきたので、大変うれしく思っています。家に帰ったら本人に『よい結果が出たから安心しなさい』と言うつもりです。早く死刑囚でなくなることを願っています」と喜びを語りました。

また、西嶋勝彦弁護団長は「決定は、高裁での審理の争点だった血痕の色について検察官が行った実験には信用性がないと判断した。これまで争われてきた論点についても検察官の主張をことごとく排斥していて、画期的だ」と述べました。

そのうえで「それぞれの証拠を総合評価して、無実になる可能性があることを明言していて、速やかにやり直しの裁判に移行するべきだと表明していると思う」と強調しました。

また、日弁連の再審法改正実現本部で本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は、「再審手続きを定めた法律には証拠開示について明文化した規定がなく、再審開始を認める決定が出ても、検察官が不服を申し立てることができるため、審理が長引き、取り返しのつかない悲劇を生み出している。法改正しかないということを世の中に訴えていきたい」話していました。

東京高検「主張認められず遺憾 適切に対処したい」

再審の開始を認める決定を受け、東京高等検察庁の山元裕史次席検事は「検察官の主張が認められなかったことは遺憾である。決定の内容を精査し、適切に対処したい」というコメントを出しました。

きょうの袴田さんの様子は

支援者によりますと、袴田巌さんは、13日は午前9時半ごろに起床し、朝食にみかんやりんごなどの果物を食べたということです。
ひで子さんが袴田さんのひげをそったり、髪を整えたりしていました。

ひで子さんは決定文を受け取るため東京高裁に向かい、袴田さんは同行しません。
ひで子さんが「きょうは東京へ行ってくるから。一晩、泊まってくるからね」と伝えると、袴田さんは「あ、そう」と応じていました。

午後は、支援者の運転する車で、幼少期に足を運んでいた浜松市浜北区の「岩水寺」を訪れました。

袴田さんは寺の本堂の前でさい銭箱にお金を投げ入れると、静かに手を合わせ、線香をあげていました。

また、寺の近くにある大きな仏像の前でも手を合わせていました。

そして記者から「きょうはどんな日ですか」と声をかけられると、「勝つことだね。勝つ日だと思うがね」などと話していました。

識者「『疑わしきは被告人の利益に』という考え方に」

決定について、元裁判官で刑事裁判の経験が長い、半田靖史弁護士は「『血痕の赤みが失われるか化学的に説明する』という最高裁から与えられた課題について、高裁は専門的な知見によって合理的に裏付けられたと認定した。『疑わしきは被告人の利益に』という考え方に立ち、誰が衣類を隠したのかはっきりわからなくても、血痕に赤みが残っているのはおかしいとさえ言えればよいと判断した」と評価しました。

その上で、「検察が行った実験も弁護側の理論を裏付けるものと判断された。検察は立証の機会をたっぷり与えられていたので、潔く結論を受け入れるべきではないか」と指摘しました。

袴田事件 今後の手続き

再審開始を認めた東京高裁の決定に不服がある場合、検察は5日以内に最高裁判所に特別抗告することができます。

今回は週末を挟むため、特別抗告の期限は今月20日となります。

特別抗告が行われれば、再審開始の判断は最高裁に委ねられることになり、審理が続きます。

一方、13日の決定が確定すれば、静岡地方裁判所でやり直しの裁判が行われ、無罪に大きく近づくことになります。

過去の再審判断と法改正の動き

過去にも死刑や無期懲役が確定した事件で再審開始が認められ、無罪となったケースがあります。

死刑が確定した事件では、
▼1948年に熊本県で夫婦2人が自宅で殺害された免田事件や、
▼1954年に静岡県で当時6歳の女の子が連れ去られて殺害された島田事件などで無罪が言い渡されました。

無期懲役が確定した事件では、
▼1990年に栃木県で当時4歳の女の子が殺害された足利事件や、
▼1997年に東京電力の女性社員が殺害された事件などで、
再審によって無罪が言い渡され、その後、確定しています。

最近では、大阪 東住吉区の住宅で11歳の女の子が死亡した火事で殺人などの罪で無期懲役が確定し、服役していた母親が、2016年に再審で無罪となっています。

また、先月27日には、39年前に滋賀県日野町で起きた強盗殺人事件で無期懲役が確定し、服役中に死亡した男性について、大阪高等裁判所が再審開始を認める決定を出しました。

再審が認められるまでに長い年月がかかっていることから、日弁連=日本弁護士連合会は「法制度の不備がえん罪被害を救済する妨げになっている」として、再審手続きに関する法律を速やかに改正するよう求めています。

先月公表した意見書では、
▼再審の手続きでも通常の裁判と同じように裁判所が検察に対して証拠の一覧表を提出するよう命じられるようにするほか、
▼手続きが長期化しないよう、裁判所が再審を認めた場合には検察による不服の申し立てを禁止すべきだとしています。

ボクシング界の支援団体「感無量のひと言」

元プロボクサーの袴田巌さんに対して、ボクシング界は支援団体を設立して拘置所で袴田さんに面会したり、再審を求めるデモを行ったりするなど、長年にわたって活動してきました。

再審を認める決定について、支援団体の中心メンバーで元東洋太平洋バンタム級チャンピオンの新田渉世さんは、「感無量のひと言だ。ほかの支援者や弁護団の活動のたまものだが、ボクシング界でも精いっぱい支援してきたのでうれしい。まだ確定ではないが、ボクシング界の大先輩である袴田さんに勝利の見込みが出てきたので、おめでとうと伝えたい」と喜びを話しました。

その上で、「検察には特別抗告をしないように求めていきたい」と話していました。

再審開始決定のポイント

東京高等裁判所は、9年前に静岡地方裁判所が出した再審開始の決定に「誤りはない」として改めて再審開始を認めました。決定のポイントです。

【最大の争点は「5点の衣類」血痕はなぜ赤かったのか】

最大の争点は、死刑判決の決め手となった「5点の衣類」についた血痕の色の変化です。

「5点の衣類」は事件から1年2か月後、裁判も始まっていた時期に現場近くのみそタンクから見つかり、衣類についた血痕の色は当時の捜査資料に「濃い赤色」などと記され、赤みが残っていたとされます。

過去の死刑判決では、衣類は袴田さんが犯行当時着ていてその後隠したものだと認定されましたが、弁護側は「1年以上みそにつかっていたら血痕は黒く変色するはずで、赤みがあるのは袴田さんが逮捕された後、発見される直前に誰かが入れたものだからだ」と主張。

血痕のついた布をみそに長期間つける実験結果の報告書や「血液がみその成分に1年2か月さらされると化学反応が進み、赤みを失う」とする専門家の鑑定書を提出しました。

決定はこれらの証拠を丹念に分析し「弁護側の専門家の見解は化学的に十分信用することができる」として赤みは失われるはずだと判断。

「実験の報告書などの『新証拠』が、過去の裁判で出されていたら袴田さんは有罪にはなっていなかった」と指摘しました。

一方、高裁の審理では検察も血痕がついた布をみそに漬ける実験を行い「一部には赤みがみられ、赤みが残る可能性を十分に示すことができた」と主張していました。

これについて決定は「検察が提出した実験結果の写真は、被写体の赤みが増すとされる白熱電球の下で撮影された」と指摘したうえで、実際に裁判官が肉眼で確認した実験の様子なども踏まえ「赤みが残ったと認めるのは困難だ」と一蹴しました。

さらに「検察の実験はみそタンクよりも赤みが残りやすい条件で行われたにもかかわらず、赤みが残らない結果が出た。弁護側の専門家の見解をかえって裏付けるものだ」と述べました。

そして「5点の衣類」について「事件から相当な時間がたった後袴田さん以外の第三者がみそタンクに隠した可能性が否定できず、袴田さんを犯人と認定することはできない」と結論づけました。

【“ねつ造”の疑いを指摘】
では、誰が「5点の衣類」をみそタンクに入れたのか。

決定は「第三者」について「事実上、捜査機関の者による可能性が極めて高い」とする厳しい見方を示しました。

9年前に静岡地方裁判所が再審開始を決定したときも「5点の衣類」について「長期間、みその中に隠されていたにしては、血痕の赤みが強すぎて不自然だ」として「重要な証拠が捜査機関によりねつ造された疑いがある」と批判していました。

【今後の焦点は検察の対応】
9年ぶりに開いた再審の扉。今後は検察が13日の決定の取り消しを求めて、最高裁判所に特別抗告するかが焦点となります。

特別抗告した場合、再審を認めるかどうかの判断は最高裁に委ねられ、さらに時間がかかります。

日弁連などは再審開始決定が出されても検察が繰り返し抗告できる今の法制度に課題があると訴えています。

死刑判決が誤っていた可能性を示唆した13日の決定は、再審をめぐる法制度や捜査機関の問題点も浮き彫りにしたといえます。