トルコ南部で6日未明に発生したマグニチュード7.8の地震やその後も続く大きな揺れにより、トルコとシリアではこれまでに
▽トルコ国内で2万665人、
▽シリア側では少なくとも3553人が死亡し、
亡くなった人の数は両国であわせて2万4000人を超えています。
2011年に起きた東日本大震災による死者と行方不明者は、「震災関連死」も含めて10日までに合わせて2万2212人にのぼっていますが、今回の大地震の犠牲者は、これを上回る規模となっています。

【詳報】トルコ大地震 死者2万4000人超 救助活動続く
トルコ南部のシリア国境近くで起きた大地震は発生から5日がたち、これまで両国であわせて2万4000人以上が犠牲となっています。
被災地では、いまも懸命の救助活動が続く一方、トルコ各地から集まったボランティアによる支援も広がっています。
現地の状況や、各国の救援の動きなど最新情報をまとめています。
(※日本とトルコとの時差は6時間 原則日本時間で表記します)
【随時更新】2月10日の動きはこちら

【寄付先一覧も】現地に支援届けるには

東日本大震災による死者と行方不明者を上回る
トルコ 各地からボランティア 支援の輪が広がる

震源に近く甚大な被害を受けたトルコ南部カフラマンマラシュには、被災者を支援する複数の拠点が設けられ、トルコ各地から集まったボランティアによる支援の輪が広がっています。
このうち、カフラマンマラシュの幹線道路沿いの公園に設けられた支援拠点には防災当局のほか、首都アンカラや、最大都市イスタンブールなど、トルコ各地からボランティアが駆けつけ、家を失った人たちへの支援が続けられています。
8か月の赤ちゃんを連れた女性は「こうした支援がなければ、私たちはどうすることもできず、感謝の気持ちしかありません」と話していました。また、63歳女性は「支援には感謝していますが、シャワーもなく、清潔なトイレもなく困っています。寒さもひどく、もし雨が降ったら、さらに寒くなるのが心配です」と話していました。
このうち、カフラマンマラシュの幹線道路沿いの公園に設けられた支援拠点には防災当局のほか、首都アンカラや、最大都市イスタンブールなど、トルコ各地からボランティアが駆けつけ、家を失った人たちへの支援が続けられています。
8か月の赤ちゃんを連れた女性は「こうした支援がなければ、私たちはどうすることもできず、感謝の気持ちしかありません」と話していました。また、63歳女性は「支援には感謝していますが、シャワーもなく、清潔なトイレもなく困っています。寒さもひどく、もし雨が降ったら、さらに寒くなるのが心配です」と話していました。
UNHCR「シリアで530万人が家を失った可能性」
今回の大地震では、内戦が続く隣国シリアでも北西部を中心に深刻な被害が出ています。シリアでの被害についてUNHCR=国連難民高等弁務官事務所は10日発表した声明で「530万人もの人たちが家を失った可能性がある。シリアにとっては危機の中で迎えた危機だ」と訴えました。
UNHCRは道路が大きく損傷し、支援を届けるのは容易ではないとしています。
シリア北西部の反政府勢力が支配する地域に向けては、9日、トルコから国境を越えて入るルートを使って救援物資の輸送が開始されましたが、国際的な支援団体からは物資の輸送が思うように行えず、このルート以外にも支援ルートが必要だという声もあがっています。
UNHCRは道路が大きく損傷し、支援を届けるのは容易ではないとしています。
シリア北西部の反政府勢力が支配する地域に向けては、9日、トルコから国境を越えて入るルートを使って救援物資の輸送が開始されましたが、国際的な支援団体からは物資の輸送が思うように行えず、このルート以外にも支援ルートが必要だという声もあがっています。
震源近くの県 長い亀裂や道をふさぐ岩も

ロイター通信が10日、ドローンで撮影した映像では、震源に近いトルコ南部のカフラマンマラシュ県の畑や丘に、長い亀裂が入っている様子が確認できます。そして道路では、激しい揺れによって路面の舗装が壊れたほか、岩が斜面を転がり落ち、車の通行を妨げていました。
また別の映像では、南部ハタイ県でオリーブ畑の地盤が崩れてがけが出現し、地形が大きく変わった様子がとらえられていました。
また別の映像では、南部ハタイ県でオリーブ畑の地盤が崩れてがけが出現し、地形が大きく変わった様子がとらえられていました。
がれきの下に110時間以上 女の子を救出
現地では救助活動が続き、南部カフラマンマラシュでは、10日、がれきの下に110時間以上閉じ込められていたという女の子が救出されました。
23:00 地震から100時間以上経過 夫婦救出

地震で甚大な被害を受けた、トルコ南部ハタイ県の中心都市アンタキヤでは、地震から100時間以上が経過した10日、がれきの下に取り残された夫婦が倒壊した建物から助け出されました。
近所の住民などによりますと、助け出されたのは50代の夫婦で、6日未明の地震で倒壊した8階建てマンションの下敷きになっていました。救助隊員が電動ドリルでがれきを取り除くなか、10日午後5時ごろ、毛布などにくるまれ、担架に乗せられた夫が救急車へと運び込まれていきました。
その後まもなく運び出された妻ははだしで、疲れ切った様子でしたが、妻を乗せた救急車が出発すると現場からは大きな拍手が送られました。
トルコメディアは、夫は助け出される際に「妻を先に運び出してほしい」と話していたと伝えています。
トルコでは、生存率が著しく下がるとされる災害発生から72時間をすぎてからの救出劇が相次いで報告されていて、家族の生還を待ち望む人たちに希望を与えています。
近所の住民などによりますと、助け出されたのは50代の夫婦で、6日未明の地震で倒壊した8階建てマンションの下敷きになっていました。救助隊員が電動ドリルでがれきを取り除くなか、10日午後5時ごろ、毛布などにくるまれ、担架に乗せられた夫が救急車へと運び込まれていきました。
その後まもなく運び出された妻ははだしで、疲れ切った様子でしたが、妻を乗せた救急車が出発すると現場からは大きな拍手が送られました。
トルコメディアは、夫は助け出される際に「妻を先に運び出してほしい」と話していたと伝えています。
トルコでは、生存率が著しく下がるとされる災害発生から72時間をすぎてからの救出劇が相次いで報告されていて、家族の生還を待ち望む人たちに希望を与えています。
22:30 アンタキヤ中心部 被害甚大

地震で甚大な被害を受けたトルコ南部ハタイ県のアンタキヤの中心部では、建物ごと潰れたショッピングセンターやアパート、それに、大きく傾いたマンションなどがあちらこちらで見られまちの機能が大きく損なわれている様子がうかがえました。
アンタキヤに住む32歳の男性は「まちの半分ほどが破壊されたように思います。ここで暮らすことはもう無理なので、家族と他のまちに移り住む準備をしています」と話していました。
また、39歳の男性は「悪夢を見ているように感じ、夢なら早く覚めてほしいと思ってしまいます。早くすべてがよくなることを願っています」と話していました。
アンタキヤに住む32歳の男性は「まちの半分ほどが破壊されたように思います。ここで暮らすことはもう無理なので、家族と他のまちに移り住む準備をしています」と話していました。
また、39歳の男性は「悪夢を見ているように感じ、夢なら早く覚めてほしいと思ってしまいます。早くすべてがよくなることを願っています」と話していました。
19:00 イスラヒエ 停電と断水 テント足りず

トルコ南部では広い範囲に被害が広がり、ガジアンテプ県の町、イスラヒエでも、建物があちらこちらで倒壊し、10日も各地で捜索活動が続いていました。
被災した住民によりますと、広い範囲で停電と断水が起き、ガスの供給も止まっているということで、中心部の広場では、防災当局などが被災者支援の拠点を設けています。
ここでは水やパン、それに温かいスープのほか、毛布や衣服などが配られ、空いたスペースには当局が用意したテントが設置されていました。
3か月の赤ちゃんを含む家族と親戚10人でテントでの避難生活を続ける28歳の男性は「テントは用意してもらったが、ほとんど何も持たずに逃げてきた。寒さで子どもたちが我慢できずにいます」と訴えていました。
当局が用意したテントは数が足りず、被災者の中には屋根と風よけのあるレストランの屋外スペースを借りて暖を取る人たちの姿も見られました。ただ、幅7メートル、奥行き20メートルほどの場所に多い時には100人以上が詰めかけ、多くの人は横になることもできずいすに座って夜を明かしているということです。
一方、町の中では、簡素なテントを張り、たき火をたいて寒さをしのぐ被災者の姿もみられました。2つの家族17人でテントでの避難生活を送る被災者の女性は、「政府のテントは足りず、私たちには回ってきません。寒くて耐えられません」などと訴えていました。
被災した住民によりますと、広い範囲で停電と断水が起き、ガスの供給も止まっているということで、中心部の広場では、防災当局などが被災者支援の拠点を設けています。
ここでは水やパン、それに温かいスープのほか、毛布や衣服などが配られ、空いたスペースには当局が用意したテントが設置されていました。
3か月の赤ちゃんを含む家族と親戚10人でテントでの避難生活を続ける28歳の男性は「テントは用意してもらったが、ほとんど何も持たずに逃げてきた。寒さで子どもたちが我慢できずにいます」と訴えていました。
当局が用意したテントは数が足りず、被災者の中には屋根と風よけのあるレストランの屋外スペースを借りて暖を取る人たちの姿も見られました。ただ、幅7メートル、奥行き20メートルほどの場所に多い時には100人以上が詰めかけ、多くの人は横になることもできずいすに座って夜を明かしているということです。
一方、町の中では、簡素なテントを張り、たき火をたいて寒さをしのぐ被災者の姿もみられました。2つの家族17人でテントでの避難生活を送る被災者の女性は、「政府のテントは足りず、私たちには回ってきません。寒くて耐えられません」などと訴えていました。
18:30 アンタキヤのモスク 被災者に祈り
地震で甚大な被害を受けたトルコ南部ハタイ県の中心都市アンタキヤにあるモスクでは10日、イスラム教で金曜日に行われる集団礼拝に多くの住民が参加して、被災した人たちのために祈りをささげました。
昼すぎにモスクに集まった人たちは、建物の安全が確認されていないため、モスクの前の広場に持参した敷物や段ボールを広げ、その上に座って礼拝を行っていました。
このうち、地震でいとこを亡くしたというオメル・セルテルさん(36)は「多くの人が同じような経験をしました。きょうはこのような災害がもう起きないように祈りました」と話していました。
また、イスマイル・オズトルクさん(60)は「この地域では家がたくさん壊れて多くの命が失われました。皆が生き延びれるように祈りをささげました」と話していました。
昼すぎにモスクに集まった人たちは、建物の安全が確認されていないため、モスクの前の広場に持参した敷物や段ボールを広げ、その上に座って礼拝を行っていました。
このうち、地震でいとこを亡くしたというオメル・セルテルさん(36)は「多くの人が同じような経験をしました。きょうはこのような災害がもう起きないように祈りました」と話していました。
また、イスマイル・オズトルクさん(60)は「この地域では家がたくさん壊れて多くの命が失われました。皆が生き延びれるように祈りをささげました」と話していました。
18:00 イスラヒエ 医療の提供困難

震源に近い被災地では、病院も被害を受け医療サービスの提供が難しくなっていて、人々は厳しい避難生活を余儀なくされています。
このうち、トルコ南部のガジアンテプ県の町、イスラヒエでは、地域の拠点となる病院が被災し患者の受け入れをとりやめています。
町の中心部ではあちらこちらで建物が倒壊して薬局も営業できなくなっていて、中心部の広場では地震が発生した6日から仮設テントの診療所が設けられ、病人やけが人の対応にあたっています。
ただ、医師はおらず、看護師と薬剤師が、患者の症状を聞き取って薬を渡したり、傷口を消毒したりしていました。
看護師の男性は「ここでできることには限界があるうえ、薬の量も限られている」と話していました。
診療所を訪れたシリア人の45歳の女性は「常備薬があと少ししか残っておらず、診療所にやってきましたが、薬はないと言われました。どうにかして薬をみつけたいです」と話していました。
また、現地では、最低気温が氷点下の冷え込みが続いていて、仮設テントや車の中での避難生活を続ける人たちが体調を崩して相次いで訪れていました。
このうち、英語教師のピナル・イルティジさん(26)は、自宅が被災し、家族とともにトラックの荷台で毛布にくるまって夜を過ごしています。
47歳の母親は寒さで体調を崩し診療所でかぜ薬をもらってしのいでいます。イルティジさんは「安心して寝られる場所もなく、家族も体調を崩し、こんなにつらい経験は初めてです」と話していました。
このうち、トルコ南部のガジアンテプ県の町、イスラヒエでは、地域の拠点となる病院が被災し患者の受け入れをとりやめています。
町の中心部ではあちらこちらで建物が倒壊して薬局も営業できなくなっていて、中心部の広場では地震が発生した6日から仮設テントの診療所が設けられ、病人やけが人の対応にあたっています。
ただ、医師はおらず、看護師と薬剤師が、患者の症状を聞き取って薬を渡したり、傷口を消毒したりしていました。
看護師の男性は「ここでできることには限界があるうえ、薬の量も限られている」と話していました。
診療所を訪れたシリア人の45歳の女性は「常備薬があと少ししか残っておらず、診療所にやってきましたが、薬はないと言われました。どうにかして薬をみつけたいです」と話していました。
また、現地では、最低気温が氷点下の冷え込みが続いていて、仮設テントや車の中での避難生活を続ける人たちが体調を崩して相次いで訪れていました。
このうち、英語教師のピナル・イルティジさん(26)は、自宅が被災し、家族とともにトラックの荷台で毛布にくるまって夜を過ごしています。
47歳の母親は寒さで体調を崩し診療所でかぜ薬をもらってしのいでいます。イルティジさんは「安心して寝られる場所もなく、家族も体調を崩し、こんなにつらい経験は初めてです」と話していました。