この3年、外食も我慢、旅行も、映画も行かなかった

この3年、外食も我慢、旅行も、映画も行かなかった
「常に不安と闘っています」

千葉県市川市にある特別養護老人ホームです。できる限りの感染対策を続けてきましたが、これまで3回、施設内クラスターを経験しました。

前日までは普通にご飯を食べて、症状が落ち着いていた高齢者が、明け方に急に呼吸が荒くなって、すぐ救急車を呼んで…

「経済を止めないってことはすごく大事だとよくわかっています。でも…」

(社会部 記者 飯田耕太)

「感染しました、申し訳ありません」

年が明けて2日目、1月2日の朝。

市川市の特別養護老人ホームの施設長、千野哲孝さん(56)の電話が鳴りました。
「熱が出ました。咽頭痛と頭痛があり、37.8度あります」

元日から出勤していた介護職員が体調悪化を訴え、検査の結果、新型コロナの感染が確認されました。

施設の利用者2人も無症状ながら陽性を確認。即座にゾーニングなど必要な対策をとり、クラスターにまでは拡大しませんでした。

施設では、その後も厳重な感染防止対策がとられています。

感染者が出た時、千野さんがつらくなるのは、そのあとに聞かれる職員たちの、この言葉だといいます。

「コロナに感染しました、申し訳ありません」

施設ではコロナ禍のこの3年間に、3度のクラスターが発生。第6波のさなかの去年2月に起きた2度目のクラスターでは、感染して亡くなる利用者も出ました。
施設長 千野哲孝さん
「職員たちは感染したら、みんなに迷惑がかかるという気持ちがとても強いです。職員は人一倍、責任の重さを理解して、みんなこの3年間、飲み会をせず、旅行にも行かず、楽しいことを我慢しています」

それでも「歯を食いしばって」

亡くなったのは82歳の男性でした。

施設内での療養を余儀なくされていましたが、症状は比較的軽く、前日までは元気にごはんも食べていました。

しかし、翌朝5時半に職員が、呼吸状態がおかしいのを確認して119番。すぐに救急隊が到着しましたが、搬送先の病院が決まらない状態が続きました。
搬送先が決まらない間も外では救急車が待機。家族は感染対策で中に入れず、外で待っていました。

4時間後、ようやく搬送されましたが、病院に到着して10分後に息を引き取りました。

あまりにも急な最期にショックを受けて心の整理ができない遺族に、千野さんは頭を下げ続けたといいます。

何が起きたのか、どんな感染対策をとっていたのか。

詳しい説明を求める遺族のもとを何度も訪ねました。

「これからも歯を食いしばって頑張っていきます」

事実をひとつひとつ説明し、そう伝えました。
施設長 千野哲孝さん
「遺族にとっては『男性がコロナに感染した』『調子が悪くなって救急車を呼んだ』という電話連絡だけで、現場に来ても会えないんです。亡くなったときも会えないし、火葬場でも顔を見られないまま骨になって、遺骨が渡されるだけ。大切な家族が心の準備ができないまま灰になってしまい、悲しみも相当なものだったことと思います。前日までご飯をちゃんと食べられていたし、正直、私たちもまさか亡くなると思っていなかった中、ショックや絶望感がありました」

「むだにしないで」

男性が亡くなったあと、職員たちの意識は、これまで以上に切迫感を伴うものになりました。
人との接触をできるだけ避けるなど、行動はより慎重に。体調が悪いときには必ず申告して休み、ウイルスを持ち込まないためにできることを徹底するようになりました。

遺族からの「家族の死を、むだにしないでほしい」との声を受けて、感染者とそうでない人の場所を分ける「ゾーニング」もさらに厳しく徹底。
また、感染者が1人でも出た場合、すべての利用者家族にホームページや電話で連絡していましたが、感染者の家族には、さらにこまめに、状況が良くても悪くても、そのつど連絡するなど、詳しい状況がわからない不安の中で過ごさざるをえない家族への情報提供を積極的に行うようにしました。
しかし、それでも去年11月には3度目のクラスターが発生。

12月にかけて利用者と職員あわせて23人が感染しました。

その時の状況と対策については、千野さんが取材に答えた内容がニュースでも放送されています。

コロナ「5類」へ 対策緩和の中で

依然続く、高齢者施設での厳重な感染対策。

一方で、コロナ禍も3年たち、感染症法上の扱いを「5類」に、この春にも引き下げる方針が示されるなど「対策緩和」や「平常化」へ向けた議論が進んでいます。

「5類」になった場合、具体的にどう変わるかは今後、専門家の意見を聞きながら決まる見通しです。

ただ「5類」になれば、原則として地方自治体は入院勧告などの措置がとれないほか、医療費は一部で自己負担が発生します。このほか、保健所などが行っている入院調整がどうなるのかも今後の焦点となっています。

こうした動きをどう見ているのか、1月20日、再び千野さんに話を聞きました。

Q.5類への引き下げの議論をどう見ていますか。
A.今でもものすごい苦労しているのに、5類になることでさらに苦労するようなことも考えられるので、そのあたりを行政がどのように考えているのか、知りたいです。
A.高齢者の場合、体調が急変することがあります。119番して消防が駆けつけてくれたあとも、コロナに感染していたり疑いがある方を救急搬送する場合には、3時間も4時間も受け入れ先の病院が決まらないということが起こっています。

それでも今はまだ県・保健所が必死になって県内全域で探してくれるからなんとか見つかっている状態ですけど、そうした介入がなくなった時に、どうやって病院を探すのかと。入院調整はもっと困難になると思います。一刻を争うような状況の時に、命の危険にさらされる人が増えないようにしてほしいです。
Q.5類になっても施設の感染対策のガードは下げられない?
A.もっともっと感染者数が減ってきて、インフルエンザのように重症にならないような対応策ができてからであれば、いろいろな緩和策を考えますけれども、重症化したときに戻ってきてくれるという担保がない中で何かを変えるってことは不安に思います。感染者数が前の週より減ったなどと報道されていますが、実際に、高齢の方など重症化しやすい人たちのリスクは変わってないと思うので。
A.施設では今、県の補助を受けてすべての職員が週2回、抗原検査をする対策をとっています。以前は週1回のPCR検査でしたが、頻度を週2回にしたことで感染が拡大する前にわかり、施設へウイルスを持ち込むのを水際で防げたケースも増えました。

抗原検査は陰性で出勤してきて、あとでもう1度検査したら陽性になっているといったケースがあり、どうしてもかいくぐる人もいます。県の補助や支援が減って、検査の回数が減ったりなくなったりすれば、感染リスクは増えていきます。
Q.現在は「行動制限」も感染者は最大7日間、濃厚接触者は家庭内などに限定したうえで最大5日間に短縮されています。

5類になってこうした制限がなくなれば、介護職員など暮らしを支えるのに欠かせない仕事をしている「エッセンシャルワーカー」が家族などの濃厚接触者となって出勤できなくなるケースなどが無くなると期待する声もあります。この点については?
A.クラスターの経験から考えると、人手不足を解消するために、感染したものの無症状の職員が出勤してきていいといったふうに、今の基準を緩めるっていうのは、正直怖いです。

人数が少なくても、利用者さんにコロナウイルスがうつったときには本当に死と隣り合わせなので、感染した人の出勤基準を緩めることで人手不足を解消するという考え方は、私が勤めている施設でも施設の嘱託医の先生も考えていないです。
Q.今後に向けて、世の中の対策が緩和されていくとすると、どうなる?
A.職員たちには外食だとか、人混みだとか、こういう所に行ってほしくないっていうのは伝えています。世の中が、もっと制限が緩やかになっても、先ほど言ったような理由から、こういう施設に勤めている職員は、そこに関してすごく気を遣わなければいけない。

そうなった時に「こんな大変な思いをするなら、この業界にいたくない」と思う人も正直増えてくると思いますし、自分たちは映画も行かない、外食もしない。旅行もいかない。でも周りの人はしてる、というような「分断」っていうんですかね。もう何か俗世界と自分たちがもう全然違う生活をしているっていうような状況にも陥ってしまうのではと思います。

ですので、重症化してしまう人たちのことも考えた方向性に持って行ってもらいたいと。

そして続く「非日常」

千野さんがいつも携帯しているポーチの中には、施設のどこにいてもつながるPHSや私用の携帯電話、消毒スプレー、ゴーグルなどが収まっています。
特にかかってくる電話には、いつもすぐに出るようにしている千野さん。

毎回、緊張を強いられるのが、この記事の冒頭でも紹介した、施設の誰かが体調を崩したという1報です。介護職員1人でも陽性になれば、防護服を着ての介助や、施設内の一部でゾーニングも始まり「臨戦態勢」に入ります。

「感染対策にやり過ぎはない」として、そこは徹底してやっているといいます。

「まるで船の船長のようですよ」

誰かの感染がわかると休み無く施設に駆けつけ、利用者の安全や事業所運営の舵取り役が求められる施設長の業務。3年前の初めてのクラスターの時には休日出勤や、帰宅できない夜も数多くありました。

そんな立場を、1度陸を離れたあとは休みも勤務も関係なく、船や乗組員のために働く船長の姿に重ね合わせてしまうんだそうです。
時々、施設の屋上に上がると、遠くに富士山が見えます。

この時期、白く雪をかぶった優雅な姿に思わず手を合わせて「これ以上広がりませんように」。

考えられる限りの対策を尽くしたあとは、いつしか「祈ること」も習慣になっていました。
最後に、今回、忙しい中で取材を受けていただいた理由を伺うと、千野さんはこのように話していました。
施設長 千野哲孝さん
「重症化しやすい高齢者が大勢いる介護施設は、クラスターが最も起きてはいけない場所で、今でも体調が悪い人が1人出るだけで皆ピリピリして、不安になります。これからも、とてもマスクは外せないし、私たちが感染症対策のガードを下げることはないと思います。そうした仕事に誇りを持って、この年末年始も必死に働いた若い人たちがいることを知ってほしいし、今後も働き続けられるよう後押ししてほしいです」
社会部 記者
飯田耕太
2009年入局
千葉局、秋田局、ネットワーク報道部などを経て現所属
コロナ禍の医療や福祉分野を中心に取材