【全文】さいとうさん お別れの会 ちばてつやさんらが弔辞

「ゴルゴ13」などの作品で知られ、去年9月に亡くなったさいとう・たかをさんのお別れの会が29日、都内のホテルで開かれ、交流のあった漫画家のちばてつやさん、里中満智子さん、秋本治さんが弔辞を読み上げました。3人の弔辞の全文です。

ちばてつやさん弔辞 全文

たかをちゃんを偲んで

さいとう・たかをさん。あなたの突然の訃報を聞いたのは、昨年の9月24日でしたから、もう早くも1年になります。1年たった今になっても、まさか私があんなにお元気だったさいとうさんを見送ることになろうとは思ってもみませんでした。

あなたは私より少し年上でしたけど、ふだんは親しみを込めて「たかをちゃん」と呼ばせてもらっていました。

代表作「ゴルゴ13」とも重なり、この遺影はとてもニコニコしていますけれども、ふだんはちょっとこわもてで、気難しそうな印象の人だから、そのサングラス越しにギョロッとにらみつけられるとたいていの人は足がすくんだんじゃないかと思います。

でもね、あなたは見かけによらず誰よりも周りを思いやる、とても優しくて思慮深いジェントルマンでした。

たかをちゃんはゴルフが大好きで、お互いになかなか時間がなかったにも関わらず、わしら年取った漫画家仲間たちとよく集まって、一緒にゴルフをやって遊びました。

たかをちゃんの腕は相当なもので、お元気なころは、そうついこの間までは、はるか遠くを歩いている前の組に打ち込んで叱られるくらいドライバーをよく飛ばしていたし、グリーンにのればのったで、愛用していたシャフトが木製の、カラミティジェーンと言いましたっけ、クラッシックなパターを自在に駆使して、とんでもなく長いパットを、それこそあなたが描くスナイパーのように冷静に沈めまくっていましたっけ。

そう、こわもての風貌にも関わらず、キャディさんや周りの女性にはとても優しく接するから、ずいぶんあちこちでモテていましたね。仕事も遊びもすべてに大胆で繊細なゴルゴ13とたかをちゃん。今の私には2人がまるで一心同体、記憶の中ではしっかりと重なって見えるんです。

劇画を制作するときにも、映画を作るときのような考え方をいち早く導入して、毎回作品の最後のページにエンドロールを入れて、脚本作家名、スタッフ、担当者の名前もすべて入れて。監督、演出、資料集めなど、役割分担を徹底し、それぞれの工程をとても大切に尊重して、あのたくさんの作品を生み出し続けてきた先駆者で、昔からとても合理的で進歩的な考え方を持っていました。

そしてすでに半世紀以上も前から、漫画は子どもが読むものという時代だったのに、いずれ大人がコミックを楽しむ時代が来るんだということを予見して、成人誌、青年コミック誌の必要性を強く訴え続けていましたね。

「劇画」という漫画の一ジャンルを創生し、日本の漫画劇画文化をここまで大きく育んできたのは疑う余地なく、あなたの功績大です。
これほどの作家を失った漫画界の喪失感は深く、重く、はかり知れませんが、たかをちゃんが心から信頼して制作をともにしてきたさいとうプロの優秀なスタッフさんたちがさいとう・たかをの世界を今もうすでに、そしてこれからも、輝子夫人と共にしっかりと引き継いでくれているのをどうぞご安心ください。

今頃は生前、大の仲良しだった石ノ森章太郎さんや、藤子不二雄Aさん、古谷三敏さんたちと大好きなお酒でも酌み交わしていることでしょう。
たくさんの美女たちに囲まれてね。うらやましい限りです。

たかをちゃん。わしもまもなくそっちに行くので、待っとってね。

令和4年9月29日 友人代表 ちばてつや

里中満智子さん弔辞 全文

先生の劇画家人生は約66年。

長きに渡り、常にプロとして世の期待に応え続けてこられた道のりは、どんなに厳しかったか、想像に難くありません。

先生の業績を一言で表すと「劇画分野の開拓」「プロダクションシステムの確立」といわれるでしょう。
でもそれらは側で見るほど簡単に築けるものではありません。漫画家の多くはアシスタントの力を借りて作品を仕上げています。物理的に負担の大きい仕事なので一人で描いていては間に合わない。昔で言う「弟子」のような感じでアシスタントと共に作画作業をします。

しかし、さいとう先生が築き上げられたプロダクションシステムは、映画づくりと同じように、完全な分業制なのです。
ストーリー、シナリオ、構図、作画、それぞれのプロが自身の持ち場を仕上げ、最終的に一つの作品に仕上げる、それがさいとうプロ作品です。
さいとう先生は以上の全ての分野をリードし、関わりますが、各分野のスタッフに委ねる部分が大きいのです。

これは、並の漫画家にできることではありません。

なぜなら漫画家は自分のイメージを自分で表現したいと願ってしまうのです。物理的にそれが叶わないのでアシスタントの力を借りるのです。

私は先生に伺ったことがあります。「自分で隅から隅まで描きたくなる時はあるのではないですか?」と。
先生は「世の中には自分より絵の上手な人はいっぱいいる。漫画家はストーリー、シナリオ、構図、キャラクター、作画、全てを求められる。その全てがうまく表現できないと作品発表の場をなくす。そんな勿体無い話はない。それぞれが得意な分野を集めて、一つの作品を作る。自分は自分より上手な人の才能を生かしたい」このようなお答えでした。

自分を抑えてこそ、みんなの力を生かすことができる。
そういう意味だと受け止めました。信念がおありだったからこそ、そしてその信念を貫くという覚悟があったからこそ成立したプロダクションシステムであり、さいとうプロ作品なのです。
誰もが真似できるシステムではありません。

人の力を信じると言ってもご自身の努力は凄まじいものがありました。

80歳近くになられたころだったでしょうか、手の調子が悪いとおっしゃって、見せていただくと、手のひらに太い針金を埋め込んだように1本ぴーんと棒が入っているように見えました。神経が固まってとても痛いらしいのです。
でもその手で、月産200ページほど手を入れておいでなのです。
発表された作品は、そんなこと、痛みは微塵も感じさせませんでした。

「プロダクションシステムで分業だから、自分ではほとんど描いていないのだろう」という話がまことしやかに飛び回ってたこともありますが、そんなことはありません。

自分のやるべきことから逃げない強さに教えられました。

こういうことを思い出すと、とても固い先生かと誤解を招きそうです。
先生は柔らかい話も大好きでいらっしゃいました。
昔は「女性はどうしてこうなんや?男にはわからん」という話が多かったような気がします。

でもある時期から本格的にお惚気が入りました。
輝子夫人とお付き合いが始まったころから、少しずつお惚気を聞くようになりました。男の人同士だと照れてしまって言いにくいことでも、女の私には言いやすかったのかもしれません。何より、とにかく誰かに聞いてほしかったというお気持ちがあったのではないかと思います。

お惚気を聞くのは気分のいいものです。その人が幸せな気分でいる。そのお裾分けをしてもらっているみたいで、こちらまであたたかい気持ちになります。

輝子さまと一緒になられて3年ぐらいたったころでしょうか、こうおっしゃいました。

「自分はもともと一人でいるのが一番落ち着く。だから結婚には向いていない。しかし今の妻と出会って、もし仮にこの人が男であっても一緒に暮らしたいと思った。人生の奇跡だ」とおっしゃったのです。

ああよかったーー。

先生は本当にお幸せなんだ。と、感動しました。人と人とは出会いだと思います。

漫画界はさいとう先生はじめ多くの心の広い先輩たちによって、私たち後輩は助けられてきました。

ありがとうございます。

先生、そちらではもうお仲間とご一緒かと思いますが、どうかさいとうプロのみなさま、版元のみなさま、輝子夫人、そして読者である私たちを見守ってください。

よろしくお願いします。

これからも頼りにしております。

そして、先生が残されたプロダクションシステム、その結実とも言える作品の続きをこれからもずっと楽しみにしております。

ありがとうございます。

令和4年9月29日 後輩 里中満智子

秋本治さん弔辞全文

さいとう先生、僕ら世代は劇画が少年誌に出てきたころの、夢中になって見ていたころの、いわゆる劇画少年というかたちで言わせてもらいます。

僕は今日、ファン代表として読み上げることにします。

劇画が現れたころは、僕らはそれまで見たことのない漫画が漫画誌に出てきた。
これはストーリーも今まで見たこともないし、絵も今までと違う。
漫画がやっぱり変わって、劇画に変わって大人が読める本になっていくんだなっていうのを体感しました。

それで、それまでは一人で描いていた漫画が、原作付きという漫画がその頃増えたと思います。
要するに何人かでやっぱり漫画を制作するのが、大人が読める漫画になるというのが、出版社も漫画家もどんどん築き上げた時代だと思います。

それで僕も劇画家を目指し、夢中になって劇画の漫画を描きました。

当時100ページぐらいの劇画を描いたんですけども、それが重い劇画で、その箸休めとして「こち亀」を描きました。その「こち亀」が、応募したらなんと入賞してしまって、その年から連載になってしまったのです。
それで、連載当時は「秋本くんのギャグ漫画うまいね」って言ってたんですけれども、いや、これはギャグじゃなくてユーモアがある劇画です。

それでそのうち、いろいろ言われるたびに「笑える劇画を僕は描いています」って、ずっと劇画を主張していたんですけども、編集部ではちょっとやっかいな漫画になってきたので、「あ、やっぱりギャグ漫画です」と後半は言うようになりました。

それで、ギャグ漫画でデビューしてしまったので、さいとう先生とはもう接点がないって諦めてたんですけども、後、どういうわけかコミックスの巻数で先生とまたご一緒することになりました。

当時は「サザエさん」や「三国志」など、いろいろ巻数の多い作品があって、もちろん「ゴルゴ」が一番上だったんですけども、あ、これで先生と並べるだけでもすごくうれしいなと思ってたんですけども、だんだんだんだん周りが終わってきてですね、そのうち2人だけになってしまったんですね。

「ゴルゴ」に続くのは「こち亀」と言われて。

そういうギャグと劇画は全然違うものだけどっていうふうにいつも言ってたんですけども、しまいには床屋でどっちが読まれてるか対決になりまして。

で、床屋というと、やっぱり先生の実家が床屋なので、それはすごい失礼な対比じゃないかと、心の中で思ってたんですけども、やっぱりそれでも取材来るたび、やっぱりさいとう先生と並べられるんで、うれしくはありました。

それで、そのうち巻数が並んでしまったんですね。

「ゴルゴ」と同じ巻数になってしまって、そのときパーティーで先生にお会いしたとき「すいません、ゴルゴと並んでしまいました」と言うと、「巻数が多いのは仕事してる証拠だから良いことじゃよ」って先生は笑って言われました。

そのうち「ゴルゴ」を抜いてきたんですね。

で、「別に気にしないよ」とは言ってたんですけども、さいとう先生はすごい負けず嫌いなんですね。
それは石ノ森先生が月650ページを描くと言って漫画界一と言われていたときに、「いや、わしは章太郎よりいっぱい描くよ」と本気になってやってたんですね。

先生はね、数字には厳しい先生だと思ってたので「あ、これ以上はあまり抜かないでくれ」と思ってたんですけども、ようやく200巻で完結して、ほっとしてました。

で、そのうち「ゴルゴ」もいずれ追いついてくるだろうと、ゴルフ場でよく先生と会うたびに、コミックスの巻数は言わないようにして、なるべくお天気の話とかクラブの話とかして、なるべく話をずっとそらしてたんですね。

そしたら去年の春、ちょうど「ゴルゴ」が200巻迎えまして。
で、ビッグコミックの企画で「200巻対談どうですか?」って。
もうこれ以上うれしいことはないですね。

だから僕らにとっては、先生は劇画の憧れの人だったので、もう会うなりいきなりこう言おうと思ったら、先生、会うなり「200巻は通過点だよ」って言われて。

「あ、それもうもちろん知ってます。先生の書いてる本とか自叙伝とか全部把握してるので、先生別に200巻を目指してはないです。それもう十分分かります」と。

そっからまずスタートして、それでそれまで劇画がどういう影響を与えたか、漫画界だけでなくて漫画を目指していた僕たちにも影響を与えて、全員劇画を真似しよう、劇画を描こうという気になって、ずっと劇画を毎日毎日描いてました。

そのうちですね、劇画の話をする、今まで僕が見てた漫画の話をするチャンスだと思って、僕も時代劇とかそういうのが好きなんですけど、先生の描くギャグテイストのスパイ物が好きなんですね。

それは「シュガー」とか「ディンゴ」とか「ホーキング」とか「DOLL」。
その話を立て続けにすると、「よう知っとるな」という返事がかかって。

でもそれは、その場では言わなかったんですけど、僕ら劇画少年にとっては劇画の教科書なので、もうほぼここに並んでいるのもそうですけど、ほぼみんな見てます。それは劇画少年はもう当然の教科書なんで見て知ってるのは当たり前だったんです。

先生はそれぐらいの影響力を持った方でした。

そんでようやくその後、ゴルゴが201巻になって「あ、ようやくこれで良かった。ゴルゴ、名実ともに世界一だよ」って。

で、そのあと「こち亀」も201巻出ちゃったんですね。

これは僕も出ると思わなかったんですよ。「まさかの201巻」って書いてある。僕が一番驚いたんですね。別冊で出るかと思ったらまた出ちゃって。

「あーまた先生と並んじゃった」と思ったんですけど。

あれはちょこちょこ書いているのがまとまっただけで、今後一切抜けないと思います。抜く意志もないので。

これから、ゴルゴの道をずっと進めて行ってもらいたいと思います。

そんで今やっぱりビッグコミックで面白いのは「銃器職人デイブ」。これはゴルゴのいわゆる銃のドクターみたいなもんなんですね。ゴルゴがまたデイブの所に来てむちゃを言うわけですよ。火薬量少なくて22口径で1500キロ先のターゲットを当てる弾を作れって。
デイブが「えっ?」って驚くと、「次の日お昼には取りに来るからな」って。
そんで「銃の弾に10万ドル、時間に10万ドル払うから作れ」って言ってそのまま帰っちゃうんですよ。デイブはそれから徹夜で作るわけですね。
そんで次の日のお昼にゴルゴが行くとデイブが疲れて寝てて、そんで枕元に銃の弾が1個だけ置いてあって、ゴルゴは20万ドル払って。試し撃ちもできないのか、1発。
それを信頼して持って行ってデイブの顔を一瞬見てまあ「ありがとう」とは言わないんですけど、目でニヤッとして持って行くっていう。

そのデイブのシリーズが僕大好きなんですよ。

それが今度ビッグコミックで始まって。さらに「Gの遺伝子 少女ファネット」。

これがゴルゴでは珍しい昔からよく東研作とかゴルゴの母親が誰かとかそういう関連のやつをよく先生が書いていたんです。これは本当にさいとうプロのオリジナルで。

もしかしたらゴルゴに娘がいるかもしれない、ものすごく興味深い話の上、女性主人公ってさいとう先生あんまり書かないんですよ。だいたい男が主人公で。

これはマニアからするとやっぱりドール探偵、「ホテル探偵DOLL」以来の作品なんで、これもすごく楽しみにしてます。

さいとう先生はよく「劇画は1人で描くのではない。専門の分野を集めてみんなで寄って作り上げていくものだ。そんでみんなもそういう形で作るぞ」っていうのはかねがねおっしゃってまして。

そのファネットとかデイブを描いて意欲的にやっている現場を見て、おそらく先生は「あーみんなよくやっとるな。この描き文字はちょっと違うぞ」とか言いたいことはいっぱいあるかもしれないんですけども、こうニヤって笑いながら「あ、やっぱりみんな俺の言うことをよく聞いて頑張ってやってくれる」って言ってにこやかな顔をされているのじゃないかなと思います。

先生の育てた有能なさいとうプロのスタッフ、そして優秀な編集者。
ぜひ「ゴルゴ13」を夢の300巻に向けて続けてみたいと思います。

頑張ってください。