72歳女性はなぜ亡くなったのか アンダーパス 見過ごされた危険

72歳女性はなぜ亡くなったのか アンダーパス 見過ごされた危険
“なんで死ななあかんかったかなぁ”
今年7月、滋賀県近江八幡市で大雨の日に亡くなった女性の遺族は訴えました。
女性が亡くなったのは、線路の下をくぐる「アンダーパス」と呼ばれる地下歩道。ふだんは便利なアンダーパスですが、大雨の際には車だけでなく、歩行者にとっても極めて危険な場所になることがわかりました。

(大津放送局記者 光成壮 稲田慎太郎)

歩道で女性が死亡 死因は「溺死」

私たちが知らせを受けたのは、今年7月19日。

近江八幡市のJR安土駅の近くの歩道で女性が亡くなっているのが見つかったという、警察発表でした。

目立った外傷や着衣の乱れはなく、犯罪による被害ではなさそうです。

その後、わかった死因は「溺死」。女性は、線路をくぐる地下歩道、アンダーパスで溺れたというのです。

“人が溺れるほど急速に水がたまることがあるのか”

その日、近畿地方は大気の状態が非常に不安定となり、各地で大雨でした。

現場の近江八幡市には非常に激しい雨が降り、記録的短時間大雨情報も発表。

これまでもアンダーパスで車が動けなくなる事故はありましたが、女性は徒歩でした。

人が溺れるほど急速に水がたまることがありうるのか。

アンダーパスでいったい何が起きたのか、取材を進めました。
現場の写真です。

右側から下ってくるスロープが、左奥の線路下のトンネル部分に続く歩道に合流しています。

トンネル部分は地上から4メートル近く下にあります。

女性が見つかったのは、スロープの部分でした。

当時、このスロープは大部分が水につかり、女性は水面に浮いた状態だったそうです。

「なんで母が死ななあかんかったかなぁ」

亡くなったのは近くに住む無職、岩田鈴美さん(72)。

岩田さんの死から2週間後、遺族が取材に応じてくれることになりました。
長男の木下応祥さん(48、写真右)と、次男の岩田宣丈さん(46、写真左)。2人は口をそろえて、訴えました。
2人の息子
「なんで母が死ななあかんかったかなぁ。誰も何も教えてくれず、いまだに信じられないんです」
岩田さんは、息子2人が独立して家を出たあとは、夫とともに現場近くの一軒家に暮らしていました。

10年前、夫に先立たれてからは1人暮らしでしたが、友人や趣味に恵まれていたといいます。

アンダーパスで溺死したことが報じられたあと、ネット上には、「自殺じゃないか」とか「認知症だったのでは」などと書き込みがあり、遺族は心を痛めていました。
長男 木下応祥さん
「そんなことはありえないと思います。母は体に不自由もなく元気そのものでした。今年4月の孫娘の入学式にも出席し、成長を誰よりも楽しみにしていました」
大雨で水があふれていることをわかっていながら、歩道に入っていくはずはない。

私たちも遺族と同じ疑問を持ちました。

最短ルートはアンダーパス

警察や岩田さんの知人らに取材を進めると、当日の行動がわかってきました。
岩田さんはこの日の午前中も、仲間と一緒に近くのコミュニティーセンターで、趣味の太極拳を楽しんでいました。

午前11時半ごろ、コミュニティーセンターをあとにします。

大雨のなか、友人たちに「早く家に帰りたい」と話していたといいます。

コミュニティーセンターから自宅まで直線距離でおよそ1キロ。

途中にあるJRの線路を越えるには地下歩道、アンダーパスを通るのが最短ルートでした。

岩田さんが歩道に入ったのは、午前11時40分ごろから正午までの間とみられています。

1時間ほどで水位が急速に上がる

ところが、この時間帯、歩道では異変が起きていました。

大雨で急激に水が流れ込んでいたのです。
歩道に設置されたカメラの画像です。10分ごとに静止画を撮影しています。
午前11時の写真、それほど水はたまっていません。
しかし、30分たつと、すでに地面が見えにくくなっています。
さらに30分後の正午には、水面はカメラのすぐ下に迫っています。

このとき、岩田さんは中にいたとみられます。

この10分後、カメラからの画像が途絶えました。

2メートルあまりの高さに設置されたカメラは水につかり、作動しなくなったとみられています。

1時間ほどの間に水位は急速に上がっていたのです。

その後もさらに水位は上がり、3メートル20センチの高さまで冠水しました。

何が起きていたのか 専門家は

このアンダーパスで、岩田さんの身に何が起きていたのか。

河川工学など水に関する防災が専門で、立命館大学防災フロンティア研究センター長の里深好文教授に、現場をみてもらいました。
歩道の線路下のトンネル部分につながるスロープは、岩田さんが見つかったところも含めて4つあります。

トンネル部分の地下歩道は、すり鉢のいわば、底にあたります。
里深教授は、周辺に降った雨水が一気に流れ込み増水したのではないかという見方を示しました。
里深教授
「よくある構造で珍しい構造ではありません。アンダーパスは周辺地盤より低いですから、処理しきれなかった、流しきれなかった雨はここに集まってくるので、このアンダーパスも大雨が降ると浸水のリスクが高まる場所になります」

急激な水位上昇 見えなかった可能性

里深教授はもうひとつの点に注目しました。

トンネル部分の急激な水位の上昇が見えなかった可能性です。
この写真は、岩田さんが下りたスロープの入り口です。
突き当たりを右に曲がると、線路下のトンネルへ向かいます。

しかし、スロープは鋭角でトンネルと合流していて、ほぼ下りきるまでトンネルの状態は見えません。
里深教授
「人が歩いていて、その前がどんどん浸水している状況が分かれば、普通は立ち止まる、あるいは引き返すことになると思うんですね。女性が地下道に入られた瞬間には、そこまでの状況ではなかった。そして運悪く地下道の深いところにさしかかったところで、急激な水位上昇があって、抜け出せなくなったことがありうるかなと思います」

冠水の危険性は指摘されていた 市や県の対応は

岩田さんは急激に水位が上昇する危険性を事前に知ることはできなかったのか?

実は、このアンダーパス、以前から危険性が指摘されていました。
「道路の高さが低く、大雨が降った際には冠水し、重大な事故が起きる可能性がある場所」
国土交通省がインターネットで公開している道路の冠水想定箇所に、今回の現場の地下歩道も掲載されていました。

現場の2つの歩道を管理するのは、滋賀県と近江八幡市です。
左側の、線路の下をくぐるトンネルを含む部分は、滋賀県。

そこにつながる右側のスロープ部分は、近江八幡市の管轄です。

この日の午前中には、冠水の危険性を指摘する通報が複数回、市民から寄せられていました。

しかし、岩田さんが入った市道側には、急激な水位の上昇に注意を促すような看板などは設置されていませんでした。

市や県は、歩道のカメラで水位を確認できる状況にはありましたが、現場を通行止めにしたのは、岩田さんが歩道に入ったあとでした。

近江八幡市は。
小西市長
「従来から基本的には冠水するという状況がありましたので、県にはポンプの増設等、基本的には要望はしていましたが、死亡事故につながるという認識は正直なかったです」
「当時市道としてあそこに、冠水と同時に通行止めにしないといけない認識を、担当として持っていなかったと思われます」
滋賀県は。
滋賀県の担当者
「現場のカメラなどで冠水の情報を把握していたが、事故が起きてしまった。完全に想定外のスピードで水位が上がり、これ以上の早さで通行止めにするという対応はなかなか難しいと感じている」

滋賀県内すべての自治体にアンケート調査すると…

アンダーパスは滋賀県内にどれくらいあるのか。私たちは、県内のすべての自治体にアンケート調査を行いました。

その結果、同じような構造のアンダーパスは県内に150か所以上あることがわかりました。

そのアンダーパスの通行止めの基準を設けているかをたずねました。

すると、一部の自治体を除いて、ほとんどの自治体が通行止めを行う基準は定めていないと回答。

注意看板や水位表示などについても、「対策している」と答えたのは全体の4分の1の自治体でした。

一方で、自治体へのアンケートからは、災害時、さまざまな対応に追われ、人員も限られるなかで、危険箇所をくまなく監視するのは難しいといった声も聞かれました。
防災が専門の里深教授も、行政だけに頼るのは限界があり、まずは、アンダーパスの危険性をより広く知ってもらう必要があると、指摘します。
里深教授
「県も市も限られた人員で緊急時対応を余儀なくされ、結局は非常時のマンパワー不足が原因なのだろうと思います。それを抜本的に解決できない以上、事故を防ぐには、アンダーパスの危険性に対する理解を深めることが大切です。それに対して皆さんが行動を、その考えに従って行動してもらうことが必要と思います」

「母の死を無駄にしてほしくない」

今回の取材中、市や県の関係者からは「あんなに雨が降るなんて予想できなかった」という言葉を多く耳にしました。

激しい雨を集中的にもたらす線状降水帯などによる被害が最近、各地で相次いでいて、大雨の予想が難しいのも事実だと思います。

また、少しの雨で毎回、すべてのアンダーパスを通行止めにしていたら、生活道路が使えなくなって不便になるという面もあります。

一方で、今回の現場は、中学校の通学路でもあり、すぐ近くでは小学校を建設する計画も進んでいる場所でした。

大雨で一気に水位が上がる危険性は以前から指摘されていました。

それを知らせる看板や標示があれば…。

私たちも、大雨の際にアンダーパスで車が巻き込まれる事故は、たびたび報じていましたが、歩行者の危険性は、伝えることができていませんでした。

アンダーパスの危険性をもっと広く注意喚起していれば…。

岩田さんの息子の言葉が印象に残っています。
岩田さんの息子
「まずは母親がなぜ死んだか知りたい。それがなければ、再発防止にもつながらないと思う。今後の備えとしては、大雨への想定の見直しや抜本的な対応をしてほしい、母の死を無駄にしてほしくないと、家族としてはやっぱりそう思います」
現場には岩田さんが亡くなったあと、危険を知らせる、大きな看板やわかりやすい標示が、急きょ、設置されました。

国土交通省によりますと、アンダーパスは全国で少なくとも3600か所以上にのぼります。

岩田さんの死を無駄にしないために、何が必要なのか、私たちは何ができるのか、これからも取材を続けていきたいと思います。
大津放送局 記者
光成 壮
2017年入局
初任地の盛岡局では東日本大震災からの復興や課題を取材
現在は滋賀県の経済の話題や災害・防災を中心に取材
大津放送局 記者
稲田 慎太郎
2018年入局
初任地の神戸局では事件・事故を担当
現在は県警キャップを務めるとともに地方行政の課題を取材