大阪駅?梅田駅? “ダンジョン”梅田の秘密に迫る

大阪の玄関口として知られる梅田。
私鉄や地下鉄の駅には「梅田」がつく一方、JRは「大阪駅」。
そして、ひとたび地下に潜れば、“ダンジョン”と言われる、迷路のような地下街。
大阪を訪れたことがある人ならば、必ずぶつかる、梅田の疑問に迫りました。

(大阪放送局 なんでなん?取材班 谷井健吾 能勢万里奈)

JRだけが「大阪駅」のなぜ

駅や商業施設が集まり、日々、通勤客や買い物客など多くの人が行き交う梅田。

街の人がどんな疑問を感じているのか、聞いてみると。

埼玉から来た女性
「梅田駅ってあったり、大阪駅ってあったり、訳がわかんない」
40代男性
「梅田の地下街が迷路。方向がわからなくなる」
梅田にまつわるさまざまな疑問が出てきましたが、まずは、ほぼ同じ場所にあるのに、駅名がなぜ違うのかを探ってみることにしました。

JRや私鉄、地下鉄が乗り入れる梅田エリア。

私鉄と大阪メトロは「梅田」がつく駅名となっている一方で、JRだけが「大阪駅」となっていて、駅名に「梅田」の名前がつきません。

どうしてこのように異なる駅名となったのでしょうか。

由来を調べようと、関西の鉄道に関する資料が多くある「京都鉄道博物館」を訪れました。
明治7年(1874年)、国は、大阪と神戸を結ぶ鉄道を開通させます。このとき初めて大阪にできた鉄道の駅が、今の「JR大阪駅」です。

上の写真は、京都鉄道博物館に展示されている、明治7年当時の大阪駅の模型です。

国は、東京から京都を幹線と位置づけたうえで、さらに京都と神戸を結ぶ計画でした。

主要都市を結ぶ鉄道だったため、こうした名前がつけられたのです。

大阪駅だけど「梅田ステンショ」

大阪駅が建てられた場所はもともと湿地帯でした。

湿地帯を埋め立てて田んぼなどにしたことから、このエリアは「埋め田」と呼ばれるようになりました。

そして、明治時代のはじめには、「梅」の字を使った「梅田」という呼び方が地元では定着していたのです。

このため、京都鉄道博物館の学芸員、岡本健一郎さんによると、駅ができた当時、地元の人たちは「大阪駅」とは呼ばず、「梅田ステンショ」と呼んでいたといいます。
なぜ「大阪駅」という呼び方が広まらなかったのでしょうか。
当時の大阪の中心部は大阪城を中心とした濃い緑色のエリア。

大阪駅がつくられたのはピンク色の場所。

中心部から離れていた分、梅田=大阪という認識が広がらず、「大阪駅」という呼び方が根づかなかったと考えられています。

その後、阪神や阪急、そして地下鉄が次々に開通。いずれも、駅名は「梅田」と名づけられました。
「大阪駅」があるのに、私鉄や地下鉄は「梅田」という駅名を選んだ理由について、各社に問い合わせましたが、資料が残っておらず、詳細な理由はわからないということでした。

大阪の近代の歴史に詳しい専門家に話を聞くと、駅名の違いは役割が違うためではないかと指摘します。

大阪歴史博物館 船越幹央 学芸員
「JRの大阪駅は、東京からやってくる鉄道の大阪に設置された駅なので、都市の名前をとった大阪駅となります。一方、私鉄の駅は、地元の方が日常的によく使われる路線ですので、「梅田」という親しみのある名前をつけることがいいのではないかと考えたのではないでしょうか。梅田駅と比べると、大阪駅は少し遠出をするときに利用されるようなイメージの駅だったと思います」

“ダンジョン”の謎に迫る

もう一つの梅田の疑問は、巨大な地下街についてです。

私(記者)も大阪に赴任して3年で、ようやく慣れてきましたが、今でも迷うことがあります。

なぜ梅田の地下街がこれほど複雑になったのでしょうか。
梅田の地下街は、およそ6万平方メートル。(※国土交通省の基準にのっとって計算)
甲子園球場1.6個分で、日本有数の広さです。

迷路のように道が入り組んでいるほか、坂や段差も多く、SNSでは某有名ゲームを意識して、「地下ろう」などを意味する「ダンジョン」と呼ばれることもあります。

大阪歴史博物館の船越さんと実際に街を歩いてみることにしました。

船越さんがまず指摘したのは、地上の道です。
地下街の地図を見てみると、通路はピンク色で示した部分です。

実は、このピンク色の部分、地上の道と同じ場所を通っているのです。
地下街と地上の道を比較してみると、このように、地上の道が二股に分かれている場所では、地下街の通路も二股に分かれています。

地上の道がさらに複雑になっている部分は、地下街でもそのまま通路となっています。

地上では周りの建物も見えるので目印となるものが多く、迷うことはあまりありません。

しかし、地下街では目印になるようなものが少なく、見通しもききません。

このため、迷路に迷い込んだような感覚に陥るのだといいます。

地上の道が複雑になったのは

そもそも梅田の地上の道は、どうして複雑になったのでしょうか。
大阪駅がつくられた当時はまだ田んぼが多く、道路建設を妨げるものがありませんでした。

そのため、繁華街や住宅地から最短距離で駅に向かうために、さまざま方角から道路がつくられていったのです。

大阪歴史博物館 船越幹央 学芸員
「建物がないような田んぼの中に道路を通すので、大阪駅に向かって斜めに道を通すことができました。こうしたことから、駅周辺が複雑な形の道路になったと考えられます」

地下街の目的には交通事故の減少も

さらに、地下街が複雑化した背景には、戦後の社会問題もありました。
自動車が普及し、昭和20年代後半ごろから、梅田周辺でも交通量が急増。

こうした中、大阪市は、歩行者が巻き込まれる事故を減らそうと、地下街を建設する計画を進めていきます。

そして、昭和38年(1963年)、梅田初の地下街となる「ウメダ地下センター」、現在の「ホワイティうめだ」が完成したのです。

それから地下街は、利用客の増加とともに拡張していくようになり、より複雑な構造になったのです。

さらなる“ダンジョン”化も!?

大阪の玄関口である梅田ですが、現在、再開発が進められています。

来年春、大阪駅の北側、「うめきた」エリアの地下にJRの新駅が開業する予定です。

そして、商業施設が入る駅ビルも、2025年の大阪・関西万博の開幕に合わせて全面開業します。

こうした再開発によって、梅田にはさらなるにぎわいが生まれることになりそうですが、“ダンジョン化”が一段と進むかもしれません。

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