軍事侵攻から24日で半年 ウクライナ 国際会議でロシアに圧力を

ロシア軍のウクライナへの侵攻から24日で半年となります。

これを前に、ロシアによって8年前に一方的に併合されたウクライナ南部のクリミアの奪還を目指して、ウクライナ政府が各国に連帯と支援を呼びかける国際会議が開かれました。
ゼレンスキー大統領は、「クリミアの解放は世界的な法秩序の回復につながる」と述べ、ロシアへの圧力を強めるよう訴えました。

クリミア・プラットフォームと呼ばれる国際会議は、ウクライナのゼレンスキー大統領が、8年前にロシアに一方的に併合されたウクライナ南部クリミアの奪還を目指して去年、立ち上げたもので、日本時間の23日夜、オンラインで行われました。

会議でゼレンスキー大統領は「ウクライナやヨーロッパ、そして世界に安全を取り戻すには、ロシアからの侵略との戦いで勝利することが必要だ」と訴えました。

そのうえでゼレンスキー大統領は「クリミアの解放が必要であり、それが世界的な法秩序の回復につながる」と述べ、ロシアへの圧力を強めるよう訴えました。

これに対し、ドイツのショルツ首相は「支援が求められるかぎり、私たちはウクライナの側に立って制裁を続ける。資金や兵器の供与を続けたい」と応じ、出席したイギリスやフランスなど各国の首脳からもウクライナと連帯する姿勢が示されました。

ウクライナ政府によりますと、会議への参加は、およそ60の国や国際機関に上り、去年に比べて出席者も多かったということです。

岸田首相 ロシア非難、ウクライナとの連帯強調

この国際会議に岸田総理大臣がビデオメッセージを寄せ「一方的な現状変更の試みには断じて反対する」とロシアを非難し、ウクライナとの連帯を強調しました。

この中で岸田総理大臣は「ロシアによるウクライナ侵略はヨーロッパのみならず、アジアを含む国際秩序の根幹を揺るがす暴挙だ。日本はクリミアを含めたウクライナの主権と領土の一体性を一貫して支持し、一方的な現状変更の試みには断じて反対する」と述べ、ウクライナとの連帯を強調しました。

そのうえで「広島出身の総理大臣として核兵器の使用・威嚇も決して許さない。侵略が長期化する中、国際社会が結束して対応することが重要であり、TICAD=アフリカ開発会議の機会をとらえたアフリカ諸国への働きかけなど、わが国独自の取り組みを全力で進めていく」と述べました。

そして「日本は来年G7=主要7か国首脳会議の議長国を務めるが、ウクライナの一刻も早い平和の回復、復興の実現に向け、国際社会と緊密に連携しつつ、日本の経験を生かして最大限の努力、積極的な貢献を続けていく」と述べました。

ウクライナ軍を支える市民の動き広がる

ウクライナでは、ロシアによる軍事侵攻が長期化するなか、子どもを含む市民が軍を支える動きが広がっています。
兵士たちの訓練や備品の確保を担っている市民もいます。

今月、キーウ州の森で東部ドネツク州などから一時的に戻ってきた兵士20人ほどに対して再び戦場に出るのを前に応急手当ての訓練を行いました。

指導にあたったのは、市民団体が招いた民間のインストラクターです。

侵攻が始まった当初は包帯などの医療品が不足していましたが、その後、欧米から最新の止血用のバンドなどの備品が供給され、先月ようやくすべての地域に行き渡ったということです。

なかには、戦地での経験が十分でない兵士もいてインストラクターから備品の扱い方などを教わっていました。

今回訓練を開いた市民団体のオクサーナ・ジニコフスカさんは「民間人は、軍にとって不可欠な存在になっています。私たちは、仕事をしながら軍を助けます。国がまとまれば無敵の力になります」と話していました。

子どもたちも軍を支援

子どもたちも、軍を支える活動を行っています。

ワレリヤ・エジョワさんは、チェスと同じ碁盤で行うボードゲーム「チェッカー」の世界チャンピオンです。

キーウ近郊のブチャに暮らす祖父母を救ったウクライナ軍を支援したいと、スーパーマーケットを訪れる買い物客を相手に「チェッカー」で対戦し、相手から寄付を集めています。

これまでに日本円にしておよそ35万円が集まり、軍の関係者に届けられたということです。

ワレリヤさんは「大人も子どももみんな今はウクライナを支えるべきです。だから私は私なりのやり方で支えようと決めました」と話していました。

住民はどう生き延びたのか

今回の侵攻で世界に衝撃を与えたのが多くの住民の遺体が見つかった首都キーウ近郊のブチャに代表される市民への残虐な行為です。

ロシア軍は無差別な攻撃を行っているという証言も出ています。

侵攻当初に攻撃を受け、238人の住民が殺害されたキーウ近郊の町、マカリウの町長は「犠牲者の中には子どもや高齢者、男性や女性も含まれていた。犠牲者どうしを結び付けるものはなにもない」と指摘し、殺された人たちの年代や性別、場所に共通点はなかったとしています。

無差別な攻撃を住民はどう生き延びたのか。

マカリウに暮らしていた会社員のワレリー・ジワハさん(43)は「幸運のほかに、唯一の方法は『直ちに避難する』ことだけだった」と話しています。

ジワハさんは、2月24日の未明に大きな爆発音が聞こえたのをきっかけに、家族とおよそ6キロ離れた隣村に避難しました。

ロシア軍が町に入ってきたのはその2日後で暮らしていたアパートは砲撃を受けて大破しました。

数日後には避難先の村にも軍が来たため、さらに遠い街に避難し、難を逃れました。

しかし、ジワハさんの避難先近くに残った同級生はそのおよそ2週間後、畑道を歩いていた際に銃撃され死亡したということです。