しかし、テレビ事業ではブラウン管から薄型テレビへの転換が遅れたほか、ウォークマンのブランドで人気を集めた携帯音楽プレーヤーの分野は、アメリカのアップルにリードを許すなど、主力事業で苦戦が続きました。
2003年の業績の悪化による株価急落は、ソニーショックとも呼ばれました。
その後も業績が低迷し、出井氏は2005年に会長を退きました。
一方、出井氏は国際派の経営者としても知られ、各国の政治や経済界のリーダーが一堂に会するいわゆる「ダボス会議」などを通じて、欧米の経営者らの幅広い人脈をつくったほか、アメリカの自動車大手のGM=ゼネラル・モーターズの社外取締役も務めました。
また、政府のIT戦略会議で議長に就任したほか、2003年から4年間、経団連の副会長を務め、最近はコンサルティング会社を経営し、日本のベンチャー企業や若手経営者の育成に力を尽くしました。
出井伸之氏死去 84歳 ソニーの社長や会長を10年にわたり務める
ソニーの社長や会長を10年にわたって務め、IT時代を先取りして国際派の経営者として知られた出井伸之氏が今月2日、肝不全のため亡くなりました。84歳でした。
1960年にソニーに入社した出井氏は、1995年に大賀典雄氏のあとを受けて異例の14人抜きで社長に就任しました。
インターネットの可能性に早くから着目した出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」というキーワードを掲げ、テレビやオーディオなどのものづくりから、ITをビジネスの中核にする戦略にかじを切りました。
テレビなどのハードウエアに映画や音楽などのソフトウエアを融合させたほか、「VAIO」ブランドでパソコン事業に再参入するなど、デジタル関連の事業を積極的に推し進め、10年にわたって社長やCEO、会長としてソニーの経営を担いました。
また、執行役員制度をいち早く取り入れるなど、コーポレートガバナンス=企業統治の改革にも積極的に取り組みました。
記事リンク:SONY出井さんが残したもの “先見の明とダイバーシティでビジネス変えた”

ハードウエア開発にITを取り入れて成長
出井氏は、インターネットの台頭にいち早く注目し、ハードウエア開発にITを取り入れて成長させるという方針をさまざまな製品に反映させました。
▽1996年に「音と絵を総合的に扱えるパソコン」として『VAIO』ブランドのパソコンを発売したほか、
▽2001年には携帯電話の分野でスウェーデンの通信機器メーカー、エリクソンと組み、世界市場に進出しました。
また、
▽1999年に発売した犬型ロボット「AIBO」は、4足歩行ができ、利用者とコミュニケーションをとることができるなど、ITを駆使したロボットとして新たな市場を確立しました。
さらに、
▽2001年にはインターネットと金融と融合させます。
ネット専業銀行「ソニー銀行」を立ち上げ、人手をかけない分、手数料を下げるなど、ITならではの新しいサービスを次々と生み出しました。
出井氏が種をまいたITを活用した事業は、その後音楽や映画などのコンテンツサービスやゲーム、それに総合金融サービス事業として成長し、これらは会社全体の売り上げの6割を超える規模にまで拡大して会社の屋台骨を支えています。
▽1996年に「音と絵を総合的に扱えるパソコン」として『VAIO』ブランドのパソコンを発売したほか、
▽2001年には携帯電話の分野でスウェーデンの通信機器メーカー、エリクソンと組み、世界市場に進出しました。
また、
▽1999年に発売した犬型ロボット「AIBO」は、4足歩行ができ、利用者とコミュニケーションをとることができるなど、ITを駆使したロボットとして新たな市場を確立しました。
さらに、
▽2001年にはインターネットと金融と融合させます。
ネット専業銀行「ソニー銀行」を立ち上げ、人手をかけない分、手数料を下げるなど、ITならではの新しいサービスを次々と生み出しました。
出井氏が種をまいたITを活用した事業は、その後音楽や映画などのコンテンツサービスやゲーム、それに総合金融サービス事業として成長し、これらは会社全体の売り上げの6割を超える規模にまで拡大して会社の屋台骨を支えています。
ソニーグループ 吉田社長 “ソニーのデジタル化を積極的に推進”
出井伸之氏が亡くなったことについて、ソニーグループの吉田憲一郎社長は「出井さんは、グローバル企業としての成長に多大なる貢献をされました。特にインターネットがもたらすインパクトをいち早く予見し、ソニーにおけるデジタル化を積極的に推進されたその先見性には今でも驚かされます。私自身、1998年から2年間、出井さんのもとで社長室室長を務めましたが、そこでの経験と学びは、自分の人生の転機ともなり、現在のソニーの経営にもつながっています。出井さんの多大な貢献と功績に心から感謝し、ここに謹んでご冥福をお祈りいたします」というコメントを発表しました。
元部下のソラミツ 宮沢社長「非常に先見の明があった」
出井氏はベンチャー企業や若手経営者の育成に熱心で、ソニーのトップを退いたあとも会社を設立したり、ベンチャー企業の顧問などを務めたりしていました。
出井氏が顧問を務めていたIT系のベンチャー企業「ソラミツ」の宮沢和正社長は、かつて出井氏の部下としてソニーで働いた経験を持っています。
宮沢さんは、出井氏が亡くなったことについて「ことし1月に会った時には、とても元気だったので、突然のことで驚いています。ソニーを退任したあとも『デジタルが世の中を変えていく』とずっと話していて、欲を言えばもっと一緒に仕事をしたかった」と惜しんでいました。
そのうえで、ソニー時代の出井氏について「隕石(いんせき)が落ちて恐竜が滅びたのと同じように、ソニーもインターネットによって、もしかしたら危機を迎えるのではないか、それに対抗しないといけないと盛んにおっしゃっていた。非常に先見の明があり、90年代にはすでにモノを売るビジネスではなく、これからはサービスで収益を得るビジネスをやっていく必要があると、幹部会議でしきりに話していた」と振り返っていました。
出井氏が顧問を務めていたIT系のベンチャー企業「ソラミツ」の宮沢和正社長は、かつて出井氏の部下としてソニーで働いた経験を持っています。
宮沢さんは、出井氏が亡くなったことについて「ことし1月に会った時には、とても元気だったので、突然のことで驚いています。ソニーを退任したあとも『デジタルが世の中を変えていく』とずっと話していて、欲を言えばもっと一緒に仕事をしたかった」と惜しんでいました。
そのうえで、ソニー時代の出井氏について「隕石(いんせき)が落ちて恐竜が滅びたのと同じように、ソニーもインターネットによって、もしかしたら危機を迎えるのではないか、それに対抗しないといけないと盛んにおっしゃっていた。非常に先見の明があり、90年代にはすでにモノを売るビジネスではなく、これからはサービスで収益を得るビジネスをやっていく必要があると、幹部会議でしきりに話していた」と振り返っていました。
松野官房長官「これまでの功績に敬意を表する」
松野官房長官は午後の記者会見で「デジタルネットワーク事業を積極的に推進するとともに、グループの多様な事業のグローバル化を主導し、現在につながるソニーの発展に大きく寄与された。また、執行と監督責任の分離など、今では広く行われている経営体制の改革にもいち早く取り組まれた」と述べました。
そのうえで「政府のIT戦略会議の議長に就任し、わが国に世界最高水準のブロードバンドインターネット接続環境が整備される礎を築いた。その考えは現政権でも柱となっているデジタル関連政策にしっかりと受け継がれている。これまでのさまざまな功績に敬意を表するとともに、心から哀悼の意を表したい」と述べました。
そのうえで「政府のIT戦略会議の議長に就任し、わが国に世界最高水準のブロードバンドインターネット接続環境が整備される礎を築いた。その考えは現政権でも柱となっているデジタル関連政策にしっかりと受け継がれている。これまでのさまざまな功績に敬意を表するとともに、心から哀悼の意を表したい」と述べました。
経済同友会 櫻田代表幹事「まだまだ必要な人材 大変残念」
ソニーの社長や会長を務めた出井伸之氏が亡くなったことについて、経済同友会の櫻田代表幹事は都内で記者団に対して「まだまだ社会に貢献し、日本というブランドを高めていくために必要な人材だと思っていた。大変残念です」と述べました。