【マリウポリ】なぜ子どもの集合写真を ロシア軍包囲の街で

不安そうな表情を浮かべる子どもたちの集合写真。
撮影された場所は、ロシア軍に包囲されたウクライナ東部マリウポリにある教会です。
子どもたちは、電気も水道も途絶えた教会の地下で、避難生活を送っていました。
写真が問いかける、戦場の現実です。

家族と幸せに暮らしていたのに

撮影したのは、ワレリー・コロトコフさん(22)です。
写真には、不安そうな表情を浮かべる子どもたちや幼い子を抱いた母親の姿が写っています。
コロトコフさんは、マリウポリにある教会で、この子どもたちと一緒に数週間、避難生活を送っていました。

マリウポリで生まれ育ったコロトコフさんは、ロシアの軍事侵攻が始まる直前まで大学院で国際貿易について研究するかたわら新しいビジネスを始めるなど、充実した毎日を送っていました。
家族と一緒に過ごす時間は何よりも幸せだったと言います。
しかし、2月下旬にロシア軍がマリウポリに迫ると故郷の日常は一変しました。
家族と暮らしていた郊外の住宅の周りでも爆発音が聞こえるようになりました。

コロトコフさんは急いで自宅を出て、親や妹らと一緒に、街の中心部にある教会に向かうことにしました。
街の中心部は、自宅から見て、ロシア軍が向かってくる方角とは反対に位置していたからです。

“死ぬのを待つしかない気持ち”

教会には、すでに数十人が避難していました。

すぐにロシア軍がマリウポリの中心部へも砲撃を行うようになり、避難して来る人も日に日に増えました。
最も多い時で、およそ150人が身を寄せました。
3人に1人が、子どもでした。
水道も電気もガスも使えず、真っ暗で爆発音が響く中での生活は、どれほど不安だったでしょう。
避難した人たちは互いに支え合って生活するためのルールを話し合い、それぞれが自宅から持ち寄った食材で自炊をして共同生活を送りました。
コロトコフさんたちが最も悩んでいたのは、子どもたちの心のケアです。
絵を描かせたり、携帯のゲームで遊ばせたりして、爆発の音から注意をそらせようとしました。
しかしロシア軍の攻撃はおさまる気配はなく、毎朝、爆撃の音で目覚めるようになります。

教会が爆撃されたら、全員が建物の下敷きになってしまう。
コロトコフさんは、ミサイルが落ちないよう、神様に祈り続けるしかありませんでした。

さらに、身近なところまで危険が差し迫っていると感じる出来事がありました。

その日も、大きな爆撃の音で目覚めました。
教会の外に出てみると、近くに止めてあった車が大きく壊れているのを見つけたと言います。
知り合いから「教会のそばにある湧き水の近くで3人が死亡しているのが見つかった」と聞きました。
水をくみに行く途中でロシア軍の爆撃にあったとみられています。
そこは、いつもコロトコフさんが水をくみにいっていた場所でした。

「あす自分たちはどうなってしまうのか分からない状況でした。次第に、死ぬのを待つしかないという気持ちになりました」

”この写真で故郷の現状を伝えたかった”

まして子どもたちは恐怖におびえて毎日を過ごしていることが、マリウポリの外の人たちには十分に伝わっていないかもしれない。
通信インフラが破壊され、外部との連絡を取るのも難しくなっていたからです。

そこでコロトコフさんの頭に浮かんだのが、教会にいる子どもたちの姿を記録することでした。

教会の地下に集まってもらい、シャッターを切りました。
そしてわずかに携帯の電波がつながっている人に頼んで、拡散してもらうことにしたのです。

「マリウポリにはまだ多くの子どもたちが残っているということを、メッセージとして伝えたかったんです。子どもたちをまず救うべきであるということを」

避難する車で渋滞も

マリウポリから脱出する計画を立てましたが、使う予定の車が直前に爆撃に遭いました。
改めて、知り合いが用意してくれた車でマリウポリを出たのは3月15日。
教会で集合写真を撮ってから、2日後のことでした。

ロシア軍の包囲網が狭まる中、マリウポリの外に向かう道路は、同じタイミングで街を出ようとする人たちの車で渋滞が起きていました。
ずっと爆発音が響き、道路脇には地雷が仕掛けられているという話も聞きました。

ロシア軍が設置した検問所を通るたびに、危害を加えられるのではないかと恐怖を感じましたが、2日間車を走らせ、西部リビウの近くにある親戚の家に無事に着くことができました。

写真の子どもたちは無事に避難 しかし

まもなく、コロトコフさんにうれしい知らせが届きました。
教会に避難していた子どもたちの家族全員が、無事にマリウポリから出ることができたということでした。
子どもたちには、あの写真には写っていなかった笑顔が戻ってきていることでしょう。

しかしマリウポリには、今も多くの市民が取り残されています。
コロトコフさんの祖母も、その1人です。
コロトコフさんは、住民や兵士に食料などを届けるボランティア活動に加わっています。

「港町マリウポリを拠点にビジネスに挑戦したい」と夢を語るコロトコフさんは、今は故郷のためにできる支援を続けていくことにしています。

「マリウポリを離れた多くの人は、故郷に戻ることを望んでいます。皆、マリウポリが大好きだからです。最後まで戦い続けます」

(国際部・栄久庵耕児)