【詳しく】避難所で出会った、ウクライナ避難者たちの声

「仕事も住む場所も見つからない」
「国に帰って戦いたい」

ポーランドの避難所で暮らすウクライナの人たちの声です。
ウクライナ国外に避難した人は500万人を超えました。ロシアによる軍事侵攻から2か月たった今も、避難所での生活を余儀なくされている人たちが大勢います。

住み慣れたふるさとを離れ、厳しい生活を強いられる人たちが、いま何に困っているのか。避難所で暮らす人たちに、以下の3つの質問をしました。
(1)避難したときはどのような状況でしたか?
(2)いま困っていることは何ですか?
(3)今後の生活で何が1番心配ですか?

今回は、取材に応じてくれた4人の回答を紹介します。

(国際部・紙野 武広)

避難者であふれかえる巨大展示場

今回、取材で訪れたのは、ポーランドの首都ワルシャワの中心部から車で20分ほどのところにある巨大な避難所です。もともと展示場として使われていた施設が避難所になっていて最大収容人数は2万人。

取材に訪れた4月上旬で5000人余りが滞在していました。
避難者の多くはここに数日滞在し、ここからほかの国やポーランド国内の一般家庭などに移動していて、いわば避難者の中継所となっていました。

ここで避難者の人たちに話を聞かせてもらいました。

奪われた1か月

◎ビクトリア・ザハートナさん
北部チェルニヒウから母と2人の子どもと避難

(1)避難した当時の状況は?
北部チェルニヒウから2人の子どもと一緒に避難しました。夫と長男は地元に残りました。

戦争が始まったとき、私は混乱してただぼう然としていました。最後の最後まで信じられませんでした。それから私たちの街は毎日のように爆撃を受けていました。静かになったのは最近です。だから政府は街の再建に着手しています。

でもまだ故郷に戻るのがとても怖いのです。当時は、外に出られない状況だったので私たちは街の中心にある防空ごうに1か月ほど隠れていました。光も水もなく、料理する場所もシャワーを浴びる場所もありません。この1か月間、人生を奪われたような思いです。

(2)いま困っていることは?
防空ごうで生活していたことを思い出しますが、それに比べれば、ここは完璧です。
いちばんの悩みは82歳の祖母の健康です。ぜんそく持ちで入院しています。病院は無料で医者も助けてくれるので、とても感謝しています。

当初はきょうだいのいるジョージアに避難しようと思っていたのですが、祖母の容体が悪く、ポーランドに残るしかありません。

(3)今後の心配は?
仕事が最初の問題ですが、アパートを探すことも仕事も幼稚園も、全部一緒なんです。まず、幼稚園が決まらないと仕事に行くことができません。すべてがうまくいくことを祈っています。

18歳になったら国のために戦いたい

◎ミコラ・ハラーさん(17歳)
西部ボルィーニ州から避難

(1)避難した当時の状況は?
私たちの街では爆撃はありませんでしたが、近くではありました。最初に州内に大きなロケットが落ちてきて、63歳の祖父に「この先どうなるかわからないから、ポーランドに行け」と言われました。

私は孤児で、家族は祖父しかいません。ロシアの侵攻当日にポーランドに来てすぐに働きましたが、会社が倒産しました。

ホステルなどで部屋を借りたかったのですが、避難民が多くてできませんでした。だから、ここにきました。
(2)いま困っていることは?
お金が欲しいから働くしかないんです。学校に行って座ってなんかいられません。

祖父にお金も送っています。仕事があれば何でもやります。建設現場の仕事の技術もあるし、必要があれば何でもすぐに覚えられます。

しかし、一度に多くのウクライナ人がポーランドに来たので、仕事がありません。

(3)今後の心配は?
ドイツやほかの国に行くにも18歳になるか、後見人が必要なので受け入れてもらないといいます。だから、当面はワルシャワでボランティアをしようと思っています。
12月20日の誕生日が来て18歳になったらウクライナに戻って戦いたいです。私たちは戦争を求めていませんが、ロシアが求めています。

戦争に行くのは怖くありません。国のために戦いたいから行きたいんです。

家族4人、どうすればいいか分からない

◎マリーナさん(20)
東部ルハンシク州から母と祖母と妹と避難

(1)避難した当時の状況は?
私たちの街は何もかも爆撃されたので、怖かったです。ミサイルの大きな音を聞いたとき、本当に怖くなりました。

廊下に逃げたり地下室に逃げたり。

出発前の数日間、母はストレスで普通に食事をすることができませんでした。祖母はパニック状態でした。夜に音がすると、よく目が覚めました。

避難所に着いても、ここが静かで安全な場所だと分かっていても、大きな音がすると怖くなり、飛び起きてあたりを見回してしまいます。

(2)いま困っていることは?
バスや列車を使って4月のはじめにポーランドまで避難しました。どこか違う場所に行くべきか、ここに残るべきか考えましたが、とりあえずワルシャワに残ることにしました。

できれば仕事も探したいです。妹を学校に通わせる必要もあります。

妹は先生から課題を出されているのですが、それをする機会がありません。
私たちは折り畳み式のベッドで寝ています。かなり居心地が悪いのです。

(3)今後の心配は?
仕事を見つけるのも住む場所を見つけるのも大変です。受け入れ施設からのオファーもありますが、小さい子どものいる家族を探していて、私の妹はそれに該当しません。
仕事が見つかれば、みんなアパートを探すのを手伝ってくれるかもしれないと思っていますが、家族4人なので、どうするのが一番いいのかわかりません。

犬1匹と猫2匹のペットを家に置いてきてしまいました。とても寂しかったです。早く終わってほしいと心から願っています。

平和を強く望んでいます。家に帰りたいです。

すべてが終わって、家に帰りたい

◎オクサナ・モチェルニャクさん(41)
南部ミコライウ州から2人の子どもと避難

(1)避難した当時の状況は?
南部ミコライウ州から2人の子どもと避難しました。母と24歳の長男は地元に残りました。

戦争が自分たちのところにやってくるなんて、考えもしませんでした。でも、ロシア軍は私たちのところには来ていませんでした。

ウクライナの人たちがよく守ってくれていますが、彼らがとても心配です。

でも、絶え間なくサイレンが鳴り響いていて子どもたちの精神にダメージを与えていました。74歳の母は「どこにも行かない」と言っていましたが、私は子どもたちを守らなければならないので、母を残して避難するほかなかったのです。

(2)いま困っていることは?
私はパンなどの製造を行う会社を経営していましたが、今は経営が悪くなっています。現金が不足しています。大変なんです。

子どもたちの健康も心配です。

(3)今後の心配は?
スウェーデンに行きたいと思っています。教育も医療もそちらの方が充実しているから。友達がたくさんスウェーデンに行っていて、彼らはどうにかして仕事を得ています。

ことばの問題も恐れてはいません。

でも、できるだけ早くすべてが終わり、家に帰りたいです。住み慣れたわが家が落ち着くものです。

避難者たちの話を聞いてー

避難生活が長期化する中で、それぞれが問題を抱えていて、そして苦悩が深まっているように感じました。

取材した避難所は、食事は無料で提供されるほか、子どもが遊ぶことができる施設もあります。
また、カウンセラーが相談に応じてくれるなど受け入れ態勢は整っています。

しかし、それでもプライバシーが十分に確保されているわけでもありませんし、特に子どもを連れて避難してくる人たちにとっては決して落ち着いて暮らせる環境とは言えません。

いまも多くの人たちがこうした避難生活を余儀なくされているという現実に、事態の深刻さを改めて感じました。

引き続き、取材を続けたいと思います。